法名解説文

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1愛敬あいきよう「愛」とは、あいするという意味です。「敬」とは、うやまうという意味です。したがって、「愛敬」という法名には、仏の教えに目覚め、人を愛し敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。6,11愛敬父母
2愛法あいほう「愛」とは、大切にするという意味です。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「愛法」という法名には、仏の教えを大切にする人になってほしいという願いを込めさせていただいております。54,3愛法樂法
3安住あんじゅう「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。「住」は、居場所が与えられたことを意味しています。したがって、「安住」という法名には、苦楽を超えて、居場所を見い出してほしいという願いを込めさせていただいております。2,11安住一切
4安生あんしょう「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。「生」とは、うまれるという意味です。したがって、「安生」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。56,11以安群生
5安詳あんじょう「安」は、やすらかという意味があります。「詳」は、あまねくという意味があります。したがって、「安詳」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38,4安詳徐逝
6安聲あんじょう「安」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。「聲」は、念仏の声を意味しています。したがって、「安聲」という法名には、念仏を申して阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。79,8安樂國土 及諸菩薩 聲聞大衆
7安諦あんたい「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。「諦」には、まこと、さとりという意味があります。したがって、「安諦」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。4,16所住安諦
8安頂あんちょう「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。「頂」は、いただくという意味です。したがって、「安頂」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。9,8次名安明頂
9安養あんにょう「安養」とは、阿弥陀仏の浄土の別名です。したがって、「安養」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。57,13往生安養國
10安穩あんのん「安」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。「穩」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。したがって、「安穩」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。13,2快樂安穩
11安明あんみょう「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。「明」とは、あきらかになるという意味です。したがって、「安明」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。9,8次名安明頂
12安妙あんみょう「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「安妙」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。39,10淸淨安穩 微妙快樂
13安樂あんらく「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「安樂」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。57,10微妙安樂
14安立あんりゅう「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。「立」には、立脚地とするという意味があります。したがって、「安立」という法名には、安らかな浄土の功徳を身に受けて、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。43-10各各安立
15一乘いちじょう「一」とは、ひとつという意味です。「乘」とは、乘り物の意味です。したがって、「一乘」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55,1究竟一乘 
16一淨いちじょう「一」とは、ひとつという意味です。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「一淨」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。55,6等一淨故 
17一念いちねん「一」には、このこと一つという意味があります。「念」には、念仏申すという意味があります。したがって、「一念」という法名には、ただひとすじに念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86,7乃至一念 
18一心いっしん「一」には、このこと一つという意味があります。「心」には、本願を信ずる心という意味があります。したがって、「一心」という法名には、ただひたすら阿弥陀仏の本願を信じ、念仏申してほしいという願いを込めさせていただいております。32,1禪思一心
19一寶いっぽう「一」には、このこと一つという意味があります。「寶」には、なにものにもかえがたい尊いものという意味があります。したがって、「一寶」という法名には、なにものにもかえがたい仏のはたらきを信じてほしいという願いを込めきせていただいております。42,2或一寶二寶 
20意得いとく「意」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。「得」には、えるという意味があります。したがって、「意得」という法名には、阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。65,11自在隨意 皆可得之 
21威德いとく「威」は、すぐれているという意味です。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって「威德」という法名には、阿弥陀仏のすぐれた功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。11,8威德無侶 
22威量いりょう「威」とは、すぐれているという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「威量」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7,5威容顯曜 超絶無量 
23映深えいじん「映」は、照らし輝くという意味があります。「深」は、ふかいという意味があります。したがって、「映深」という法名には、人間の闇を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38,3寶沙映徹 無深不照 
24映徹えいてつ「映」は、照らし輝くという意味があります。「徹」は、つらぬきとおすという意味があります。したがって、「映徹」という法名には、人間の闇を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38,3寶沙映徹 
25慧海えかい「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「海」は、限りなく広く深いさまをあらわします。したがって、「慧海」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55,3智慧如大海 
26會願えがん「會」は、かならずという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「會願」という法名には、仏道を歩み、本当の願いを明らかにしてほしいという願いを込めさせていただいております。14,7會當剋果 何願不得 
27慧敬えきょう「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「慧敬」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇い、敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。56,11功慧殊勝 莫不尊敬 
28慧見えけん「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「見」は、みるという意味です。したがって、「慧見」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54,8慧眼見眞 
29慧眼えがん「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「眼」は、まなこという意味です。したがって、「慧眼」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54,8慧眼見眞 
30慧廣えこう「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「廣」には、ひろいという意味があります。したがって、「慧廣」という法名には、すべての人を救うという本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 5,14諸根智慧 廣普寂定 
31慧高えこう「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「高」は、すぐれたという意味があります。したがって、「慧高」という法名には、このうえなくすぐれた仏の智慧に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。 39,12智慧高明 
32慧光えこう「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味しています。「光」は、生きとし生けるものを照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「慧光」という法名には、人のはからいを超えた仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 55,4慧光明淨 
33惠實えじつ 「惠」とは、めぐむという意味です。「實」とは、まことという意味です。したがって、「惠實」という法名には、仏のまことのめぐみに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 8,2惠以眞實之利 
34慧修えしゅう 「慧」は、仏の智慧を意味しています。「修」は、おさめるという意味です。したがって、「慧修」という法名には、念仏して仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 25,8淨慧修梵行 
35惠生えしょう 「惠」とは、めぐむという意味です。「生」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「惠生」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 27,8以惠利群生 
36慧聲えしょう 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「聲」は、声という意味があります。したがって、「慧聲」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏のよびかけに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 38,9諸通慧聲 
37慧照えしょう 「慧」には、はからいを超えた仏の智慧という意味があります。「照」には、てらすという意味があります。したがって、「慧照」という法名には、すべての人をてらす仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 47,12慧日照世間 
38慧勝えしょう 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「勝」は、すぐれたという意味があります。したがって、「慧勝」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 56,11功慧殊勝 
39慧定えじょう 「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「定」には、さだまるという意味があります。したがって、「慧定」という法名には、仏の智慧を得て、まことの人生を生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 5,14諸根智慧 廣普寂定 
40慧成えじょう 「慧」には、はからいを超えた仏の智慧という意味があります。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「慧成」という法名には、仏の智慧に出遇い、人生をまっとうしてほしいという願いを込めさせていただいております。 51,14知慧成滿 
41慧淨えじょう 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧という意味があります。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「慧淨」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇い、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 55,4慧光明淨 
42惠眞えしん 「惠」とは、めぐむという意味です。「眞」とは、まことという意味です。したがって、「惠眞」という法名には、仏のまことのめぐみに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 8,2惠以眞實之利 
43壞眞えしん 「懷」は、想い抱くという意味です。「眞」は、まことという意味です。したがって、「懷眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 10,10心懷悦豫 
尋發無上正眞道意 
44慧心えしん 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「心」は、阿弥陀仏のころを意味しています。したがって、「慧心」という法名には、人のはからいを超えた智慧である阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 55,2慧由心出 
45慧深えじん「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「深」は、ふかく、すぐれたという意味です。したがって、「慧深」という法名には、阿弥陀仏の深い智慧に出遇ってほしいという頗いを込めさせていただいております。11,13智慧深妙
46慧達えだつ「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「達」は、とおるという意味があります。したがって、「慧達」という法名には、人間のはからいを超えた仏の智慧に目覚めてほしいという顔いを込めさせていただいております。39,12智慧高明 神通洞達
47悦淸えつしょう「悦」とは、よろこぶという意味です。「淸」とは、きよらかという意味です。したがって、「悦淸」という法名には、教えを聞いてよろこび、きよらかな生き方をしてほしいという願いを込めさせていただいております。6-16諸根悦豫 姿色淸淨
48悦淨えつじょう「悦」は、よろこぶという意味です。「淨」は、きよらかなという意味です。したがって、「悦淨」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。13-1心悦淸淨
49悦眞えっしん「悦」は、よろこぶという意味です。「眞」は、まことという意味です。したがって、「悦眞」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10心懐悦豫
尋登無上正眞道意
50慧導えどう「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「慧導」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-6以甚深禪慧開導衆人
51慧德えとく「慧」とは、智慧を意味します。「德」は、功徳という意味があります。したがって、「慧德」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、真実の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。11-7三味智慧 威德無侶
52慧日えにち「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「日」は、太腸の意味です。したがって、「慧日」という法名には、人間を照らしだす仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-7曜慧日
53慧入えにゅう「慧」には、はからいを超えた仏の智慧という意味があります。「入」には、はいるという意味があります。したがって、「慧入」という法名には、仏の智慧に出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。51-14知慧成滿 深入諸法
54慧滿えまん「慧」には、はからいを超えた仏の智慧という意味があります。「滿」には、みちあふれるという意味があります。したがって、「慧滿」という法名には、仏の智慧に出遇い、滿足した人生を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。51-14知慧成滿
55慧妙えみょう「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「妙」は、すぐれたという意味です。したがって、「慧妙」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-13智慧深妙
56慧明えみょう「慧」と「明」は、ともに人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。したがって、「慧明」という法名には、人のはからいを超えた仏の智懃に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-4慧光明淨
57慧力えりき「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「力」は、ちからの意味です。したがって、「慧力」という法名には、人のはからいを超えた仏のはたらきによって、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。56-13定力慧力
58演法えんぽう「演」には、のべるという意味があります。「法」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「演法」という法名には、本願の教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。53-4演暢妙法
59演妙えんみょう「演」とは、ひろめるという意味です。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「演妙」という法名には、念仏の教えをひろめてほしいという顔いを込めさせていただいております。53-4演暢妙法
60演量えんりょう「演」には、おしひろめるという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「演量」という法名には、どこまでもはたらく阿弥陀仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-10演出無量
61應慧おうえ「應」は、応供という仏の別名を意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「應慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。83-14是故應當明信 諸佛無上智慧
62往覺おうかく「往」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。「覺」は、仏のさとりを意味しています。したがって、「往覺」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。47-3往觀無量覺
63應現おうげん「應」には、おうじるという意味があります。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「應現」という法名には、苦悩する人々に応じてあらわれた阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-9隨應而現
64應順おうじゅん「應」は、応供という仏の別名を意味しています。「順」には、したがうという意味があります。したがって、「應順」という法名には、仏の教えにしたがい、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。87-9應當信順
65應正おうしょう「應」は、こたえるという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「應正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々とともにお念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。10-7應供等正覺
66應心おうしん「應」は、おうじるという意味です。「心」は、こころという意味です。したがって、「應心」という法名には、わたしたちのこころにおうじて教えてくださっている仏の法を聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。14-9應其心願
67應信おうしん「應」は、応供という仏の別名を意味しています。「信」は、信心を意味しています。したがって、「應信」という法名には、仏の教えを信じて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。83-14是故應當明信
68應隨おうずい「應」には、おうじるという意味があります。「隨」には、よりそうという意味があります。したがって、「應隨」という法名には、すべての人によりそい救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-6隨其所應
69應等おうとう「應」は、こたえるという意味です。「等」は、すべてを等しく見ることができる眼を意味しています。したがって、「應等」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-7應供等正覺
70往道おうどう「往」には、むかいすすむという意味があります。「道」には、正しいすじみちという意味があります。したがって、「往道」という法名には、すべての人々が救われる本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。3-9往詣道場
71應念おうねん「應」は、おうじるという意味です。「念」は、念仏をとなえることを意味しています。したがって、「應念」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。52-9應念即至
72應法おうほう「應」は、おうじるという意味です。「法」は、仏がお説きになる教えという意味です。したがって、「應法」という法名には、仏のお説きになる教えに応じ、かなうように生きてほしいという願いを込めさせていただいております。22-11應法妙服
73温香おんこう「温」は、阿弥陀仏の慈悲のぬくもりを意味しています。「香」は、そのぬくもりのかぐわしさを意味しています。したがって、「温香」という法名には、阿弥陀仏の慈悲をいただいて念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。42-11温雅德香
74遠照おんしょう「遠」には、どこまでもゆきわたるという意味があります。「照」は、闇を照らす阿弥陀仏の光明のはたらきを意味しています。したがって、「遠照」という法名には、どこまでもゆきわたる阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。84-9名日遠照
75開慧かいえ「開」は、ひらくという意味です。「慧」は、仏の智慧を意味しています。したがって、「開慧」という法名には、正しい道理を明らかにする仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-12開彼智慧眼
76皆往かいおう「皆」には、すべての人という意味があります。「往」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「皆往」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。46-13皆悉往詣
77皆壽かいじゅ「皆」は、みなという意味があります。「壽」とは、仏のいのちという意味があります。したがって、「皆壽」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。36-3此皆無量壽佛 威神力故
78皆受かいじゅ「皆」には、すべての人という意味があります。「受」には、うけるという意味があります。したがって、「皆受」という法名には、すべての人が本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。39-15皆受自然
79開善かいぜん「開」とは、ひらくという意味です。人に本当のめぐみを与えるものを「善」といいます。したがって、「開善」という法名には、仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。6-9杜三趣開善門
80開導かいどう「開」には、ひらくという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「開導」という法名には、すべての人の心を開き導く阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。78-3隨器開導
81皆道かいどう「皆」には、すべての人という意味があります。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「皆道」という法名には、人々と共に念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。78-4皆令得道
82皆得かいとく「皆」には、すべての人という意味があります。「得」は、えるという意味です。したがって、「皆得」という法名には、すべての人を救おうとする阿弥陀仏の大悲の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。31-16皆得人身
83皆然かいねん「皆」には、すべての人という意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「皆然」という法名には、すべての人が阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。39-15皆受自然
84開法かいほう「開」は、ひらくという意味です。「法」は、救いのすじみち、正しい道理という意味があります。したがって、「開法」という法名には、正しい救いの道理である仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-16爲衆開法蔵
85皆量かいりょう「皆」は、みなという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「皆量」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。36-3此皆無量壽佛 威神力故
86覺音かくおん「覺」は、目覚めという意味です。「音」は、念仏の声を意味しています。したがって、「覺音」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-6正覺大音
87學曉がくきょう「學」には、学ぶという意味があります。「曉」は、夜明けを意味しています。したがって、「學曉」という法名には、本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-9善學無畏之網 曉了幻化之法
88覺性かくしょう「覺」は、目覚めるという意味です。「性」は、仏のこころという意味があります。したがって、「覺性」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-9覺了法性
89樂聲がくしょう「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。「聲」は、こえを意味しています。したがって、「樂聲」という法名には、阿弥陀仏の安楽浄土から呼びかける念仏のこえに出遇ってほしいという囲いを込めさせていただいております。36-10又其樂聲
90覺心かくしん「覺」は、さとりの意味です。「心」は、さとりを求める心という意味です。したがって、「覺心」という法名には、仏のさとりを求めていく心をおこしてほしいという願いを込めさせていただいております。13-10我發無上正覺之心
91覺通かくつう「覺」は、目党めるという意味です。「通」は、つうじる・心がかようという意味です。したがって、「覺通」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。9-12次名海覺神通
92學道がくどう「學」には、まなぶという意味があります。「道」には、正しいすじみちという意味があります。したがって、「學道」という法名には、本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。3-4入山學道
93覺法かくほう「覺」は、仏のさとりを意味しています。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「覺法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-9覺了法性
94學法がくほう「學」には、まなぶという意味があります。「法」には、救いのすじみちという意味があります。したがって、「學法」という法名には、本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-15學一切法
95覺明かくみょう「覺」は、目覚めるという意味です。「明」は、きよくあかるいという意味です。したがって、「覺明」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。10-8等正覺 明行足
96學明がくみょう「學」には、まなぶという意味があります。「明」には、あきらかという意味があります。したがって、「學明」という法名には、本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-14本學明了
97覺量かくりょう「覺」は、目党めるという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「覺量」という法名には、仏のはたらきに目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。2-12於無量世界 現成等覺
98覺了かくりょう「覺」は、目覚めるという意味があります。「了」には、さとるという意味があります。したがって、「覺了」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-9覺了法性
99願演がんえん「願」は、ねがうという意味です。「演」は、仏が教えを説きのべられることです。したがって、「願演」という法名には、仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。13-16唯願世尊 廣爲敷演
100願應がんおう「願」は、ねがうという意味です。「應」は、おうじるという意味です。したがって、「願應」という法名には、わたしたちのねがいにおうじて教えてくださっている仏の法を聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。14-9應其心願
101歡喜かんぎ「歡」は、身がよろこぶという意味です。「喜」は、心がよろこぶという意味です。したがって、「歡喜」という法名には、本当に自分が歩むべき道を念仏の道に得て、身もこころもよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。22-8歡喜信築
102願樂がんぎょう「願」とは、仏の願いを意味します。「樂」は、ねがうという意味です。したがって、「願樂」という法名には、仏の願いを聞き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。8-12願樂欲聞
103願行がんぎょう「願」は、ねがうという意味です。「行」は、修行という意味です。したがって、「願行」という法名には、どこまでも仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。13-16唯願世尊 廣爲敷演 諸佛如来 浄土之行
104歡光かんこう「歡」には、よろこぶという意味があります。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「歡光」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇い、歡びを得てほしいという願いを込めさせていただいております。30-12歡喜光佛
105願廣がんこう「願」は、ねがうという意味です。「廣」は、ひろいという意味です。したがって、「願廣」という法名には、仏道をねがうという、ひろいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。14-3志願深廣
106願精がんしょう「願」は、仏の本願という意味です。「精」は、こころという意味です。したがって、「願精」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。13-4發願於彼 力精所欲
107願生がんしょう「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。「生」は、浄土に往生することを意味しています。したがって、「願生」という法名には、人々を浄土に往生させたいという阿弥陀仏の本顔に出遇ってほしいという頼いを込めさせていただいております。44-8願生彼國
108願淨がんじょう「願」は、ねがうという意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「願淨」という法名には、すみきった阿弥陀仏の浄土に生まれたいと頻ってほしいという顧いを込めさせていただいております。13-16唯願世尊 廣爲敷演 諸佛如来 浄土之行
109願成がんじょう「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。「成」は、なしとげるという意味です。したがって、「願成」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-3願慧悉成満
110歡信かんしん「歡」には、よろこぶという意味があります。「信」は、信心を意味しています。したがって、「歡信」という法名には、信心をえてよろこぶ生活を送ってほし
いという願いを込めさせていただいております。
86-10歡喜信築
111願深がんじん「顧」は、ねがうという意味です。「深」は、ふかいという意味です。したがって、「願深」という法名には、仏道をねがうというふかいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。14-3志願深廣
112願宣がんせん「願」は、ねがうという意味です。「宣」は、仏が教えをあきらかにお説きになることです。したがって、「願宣」という法名には、仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。13-11願佛爲我 廣宣經法
113貫綜かんそう「貫」には、つらぬくという意味があります。「綜」には、すべてを集めるという意味があります。したがって、「貫綜」という法名には、すべての人を救う本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-15貫綜棲練
114願慧がんね「願」は、阿弥陀仏の本顔を意味しています。「慧」は、仏の智慧を意味しています。したがって、「願慧」という法名には、阿弥陀仏の本顆に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-3願慧悉成満
115願聞がんもん「願」とは、仏の願いを意味します。「聞」とは、聞法するという意味です。したがって、「願聞」という法名には、仏の願いを開き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。8-12願樂欲聞
116願力がんりき「願」は、阿弥陀仏の本頗を意味しています。「力」は、ちからを意味します。したがって、「願力」という法名には、阿弥陀仏の本頻力によって浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。56-12意力願カ
117喜心きしん「喜」とは、よろこぶという意味です。「心」は阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「喜心」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをよろこぶ人となってはしいという願いを込めさせていただいております。54-4喜法之心
118義深ぎじん「義」は、すじみち、道理の意味です。「深」は、ふかいという意味です。したがって、「義深」という法名には、仏が説かれる深い道理にめざめてほしいという願いを込めさせていただいております。13-16斯義弘深
119喜法きほう「喜」とは、よろこぶという意味です。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「喜法」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。54-4喜法之心
120教惠きょうえ「教」とは、おしえという意味です。「惠」とは、めぐむという意味です。したがって、「教惠」という法名には、真のめぐみを与える仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。8-1光闡道教 欲拯群萌 惠以眞實之利
121教開きょうかい「教」は、本願念仏の教えを意味しています。「開」は、ひらくという意味です。したがって、「教開」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。75-4教語開示
122行願ぎょうがん「行」は、お念仏を意味しています。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「行願」という法名には、お念仏を申して本願の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-10無量行願
123教行きょうぎょう「教」は、本願念仏の教えを意味しています。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「教行」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。65-16如教奉行
124教語きょうご「教」は、本願念仏の教えを意味しています。「語」は、ことばという意味です。したがって、「教語」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。75-4教語開示
125馨香きょうこう「馨」は、かおりの広がりを意味しています。「香」は、かおりという意味です。したがって、「馨香」という法名には、念仏の教えをよろこび、人々に伝えてほしいという願いを込めさせていただいております。42-15馨香芬烈
126行權ぎょうごん「行」は、お念仏を意味しています。「權」は、仏が人々を禅くための手立てを意味しています。したがって、「行權」という法名には、人々をお念仏に導こうとされる仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-11行權方便
127教實きょうじつ「教」とは、おしえという意味です。「實」とは、まことという意味です。したがって、「教實」という法名には、まことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。8-1光闡道教 欲拯群萌 惠以眞實之利
128教衆きょうしゅ「教」とは、おしえという意味です。「衆Jとは、人々という意味です。したがって、「教衆」という法名には、どこまでも人々を教化し続ける仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。9-3教化度脱 無量衆生
129教生きょうしょう「教」とは、おしえという意味です。「生」とは、生きるという意味です。したがって、「教生」という法名には、仏の教えに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。9-3教化度脱 無量衆生
130行精ぎょうしょう「行」は、修行という意味です。「精」は、精魂をこめてひたすら進むという意味です。したがって、「行精」という法名には、生活をあげて仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。13-8我行精進
131樂正ぎょうしょう「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。「正」には、すべてに通じるという意味があります。したがって、「樂正」という法名には、すべての人々が救われる阿弥陀仏の安楽浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。56-9唯樂正道
132行成ぎょうじょう「行」は、修行という意味です。「成」は、成就するという意味です。したがって、「行成」という法名には、念仏によって阿弥陀仏の浄土へ往生することを成就してほしいという顆いを込めさせていただいております。14-2當如説修行成滿所願
133教眞きょうしん「教」とは、おしえという意味です。「眞」とは、まことという意味です。したがって、「教眞」という法名には、まことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。8-1光闡道教 欲拯群萌 惠以眞實之利
134敬善きょうぜん「敬」には、うやまうという意味があります。「善」は、よく巧みに人々にめぐみを施す阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「敬善」という法名には、阿弥陀仏のはたらきを敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。64-4若有慈敬於佛者 實爲大善
135行善ぎょうぜん「行」は、念仏を意味しています。「善」は、よく巧みに人々にめぐみを施す阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「行善」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇い念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。71-9端身正行 独作諸善
136行値ぎょうち「行」は、念仏を慈味しています。「値」には、であうという意味があります。したがって、「行値」という法名には、日々新たに念仏の教えに出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。34-14行行相値
137樂聽ぎょうちょう「樂」には、よろこぶという意味があります。「聽」は、きくという意味です。したがって、「樂聽」という法名には、本願念仏の教えをきき、教えをよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。50-2樂聽如是教
138行道ぎょうどう「行」は、念仏を意味しています。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「行道」という法名には、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。76-15受行道法
139敬得きょうとく「敬」には、うやまうという意味があります。「得」には、めぐみをえるという意味があります。したがって、「敬得」という法名には、念仏申し、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。50-13見敬得大慶
140行徳ぎょうとく「行」は、お念仏を意味します。「徳」は、功徳を意味します。したがって、「行徳」という法名には、阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。57-16勸行求道徳
141曉法きょうほう「曉」は、あきらかになるという意味があります。「法」は、仏の教えという意味です。したがって、「曉法」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-9曉了幻化之法
142敬寶きょうほう「敬」には、うやまうという意味があります。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「敬寶」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、うやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。27-9恭敬三寶
143樂法ぎょうほう「樂」には、よろこぶという意味があります。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「樂法」という法名には、仏の教えをきき、教えをよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。54-3愛法樂法
144行法ぎょうほう「行」は、念仏を意味しています。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「行法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-7常行法施
145行滿ぎょうまん「行」は、修行という意味です。「満」は、満たす、完全にするという味です。したがって、「行滿」という法名には、念仏によって阿弥陀仏の浄土へ往生することを完成してほしいという願いを込めさせていただいております。14-2當如説修行成滿所願
146教問きょうもん「教」とは、おしえという意味です。「問」とは、といという意味です。したがって、「教問」という法名には、仏の教えを通して本当の願いを明らかにしてほしいという願いを込めさせていただいております。7-12諸天教汝 來問佛耶
147敬聞きょうもん「敬」には、うやまうという意味があります。「聞」には、信じるという意味があります。したがって、「敬聞」という法名には、本願念仏の教えを信じ、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。49-15謙敬聞奉行
148樂聞ぎょうもん「樂」とは、ねがうという意味です。「聞」とは、聞法するという意味です。したがって、「樂聞」という法名には、仏の願いを聞き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。8月12日願樂欲聞
149敬養きょうよう「敬」には、うやまうという意味があります。「養」には、やしない育てるという意味があります。したがって、「敬養」という法名には、本願念仏の教えにやしない育てられ、教えをうやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。57-1恭敬供養
150曉了きょうりょう「曉」は、あきらかになるという意味があります。「了」には、さとるという意味があります。したがって、「曉了」という法名には、本願念仏の教えに目覚め、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-9曉了幻化之法
151喜量きりょう「喜」は、よろこぶという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「喜量」という法名には、浄土のはたらきに目覚め、喜んでほしいという願いを込めさせていただいております。38-11歡喜無量
152恭敬くぎょう「恭」には、つつしむという意味があります。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「恭敬」という法名には、本願に出遇い、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。52-6恭敬供養
153遇光ぐこう「遇」は、出遇うという意味です。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「遇光」という法名には、自分を照らし包む阿弥陀仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。30-14遇斯光者
154弘誓ぐぜい「弘」は、ひろいという意味です。「誓」は、ちかうという意味です。したがって、「弘誓」という法名には、阿弥陀仏がかならず成就すると皆われた、ふかくひろい本願をうたがいなく信じてほしいという願いを込めさせていただいております。19-1被弘誓鎧
155弘宣ぐせん「弘」は、ひろめるという意味です。「宣」は、教えをのべ伝えるという意味です。したがって、「弘宣」という法名には、本願念仏の教えをよろこぶ身になって、縁ある人にも伝えていってほしいという願いを込めさせていただいております。2-13弘宣正法
156求道ぐどう「求」は、求めるという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「求道」という法名には、仏道を求めていってほしいという願いを込めさせていただいております。25-9志求無上道
157求法ぐほう「求」は、求めるという意味です。「法」は仏の教えを意味します。したがって、「求法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-11志求佛法
158華光けこう「華」は、浄土のはなを意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「華光」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇い、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。43-4其華光明
159華順けじゅん「華」とは、うつくしいという意味です。「順」は、したがうという意味です。したがって、「華順」という法名には、真実の教えに出遇い、その教えにしたがって生きてほしいという願いを込めさせていただいております。34-15華華相順
160華生けしょう「華」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「生」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「華生」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。45-3便於七寶華中 自然化生
161華明けみょう「華」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「明」は、阿弥陀仏のはたらきのおおらかさを意味しています。したがって、「華明」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。43-4其華光明
162華葉けよう「華」は、浄土のはなを意味しています。「葉」は、浄土の木の葉を意味しています。したがって、「華葉」という法名には、きよらかな阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。37-10華葉垂布
163顯意けんい「顯」は、あきらかにするという意味です。「意」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「顯意」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-9顯現道意
164謙敬けんきょう「謙」には、謙虚という意味があります。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「謙敬」という法名には、本願を信じ、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。49-15謙敬聞奉行
165見敬けんきょう「見」は、本願の教えにまみえることを意味しています。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「見敬」という法名には、本願の教えに出遇い、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。50-13見敬得大慶
166賢護げんご「賢」は、すぐれたという意味です。「護」は、まもるという意味です。したがって、「賢護」という法名には、仏のすぐれた教えに出遇い、伝えていってほしいという願いを込めさせていただいております。2-5又賢護等
167見光けんこう「見」には、まみえるという意味があります。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「見光」という法名には、自分を照らし包む阿弥陀仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。31-2見此光明
168顯光けんこう「顯」は、あきらかにするという意味です。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「顯光」という法名には、人間の闇を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-15光明顯曜
169顯寶けんじつ「顯」は、あきらかにするという意味です。「實」は、阿弥陀仏の真実を意味しています。したがって、「顯實」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏のまことの御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-3分別顯示 眞實之際
170堅正けんしょう「堅」は、つよいという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味です。したがって、「堅正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共にお念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。12-8堅正不却
171顯照けんしょう「顯」は、あきらかにするという意味です。「照」は、人間の闇を照らす阿弥陀仏の光明のはたらきを意味しています。したがって、「顯照」という法名には、人間の闇を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-15光明顯曜 普照十方
172顯淸けんしょう「顯」は、あきらかにするという意味です。「淸」は、きよらかという意味です。したがって、「顯淸」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏のきよらかな御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-6顯明淸白
173現成げんじょう「現」には、あらわれるという意味があります。「成」には、成しとげられるという意味があります。したがって、「現成」という法名には、仏の本願に出遇い、教えをよろこぶ身となってほしいという願いを込めさせていただいております。2-13現成等覺
174顯眞けんしん「顯」は、あきらかにするという意味です。「眞」は、阿弥陀仏の真実を意味しています。したがって、「顯眞」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏のまことの御心に出遇ってほしいという頗いを込めさせていただいております。6-3分別顯示 眞實之際
175見尊けんそん「見」は、本願の教えにまみえることを意味しています。「尊」には、腺敬するという意味があります。したがって、「見尊」という法名には、本顧の教えに出遇い、人々を尊敬していく生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。49-14曾更見世尊
176顯超けんちょう「顯」は、あきらかにするという意味です。「超」は、すぐれるという意味です。したがって、「顯超」という法名には、人間の削をあきらかにする阿弥陀仏のすぐれた御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-5威容顯曜 超絶無量
177顯道けんどう「顯」は、あきらかにするという意味です。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「顯道」という法名には、人間の倍]をあきらかにする阿弥陀仏の御心に出遇い、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-9顯現道意
178現道げんどう「現」には、あらわれるという意味があります。「道」とは、仏道という意味です。したがって、「現道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。4-12普現道教
179見徳けんとく「見」には、まみえるという意味があります。「徳」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「見徳」という法名には、阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。80-3即見無量壽佛 威徳巍巍
180顯徳けんとく「顯」は、あきらかにするという意味です。「徳」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「顯徳」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-9顯現道意 無量功徳
181顯明けんみょう「顯」は、あきらかにするという意味です。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「顯明」という法名には、人間の闇を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-6顯明淸白
182見聞けんもん「見」は、まみえるという意味があります。「聞」は、聞法するという意味があります。したがって、「見聞」という法名には、仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。39-8但見色聞香
183顯曜けんよう「顯」は、あきらかにするという意味です。「曜」は、光り輝く阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「顯曜」という法名には、人間の隙を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-15光明顯曜
184顯量けんりょう「顯」は、あきらかにするという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「顯量」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏のはかりなき光に出遇ってほしいという顔いを込めさせていただいております。4-9顯現道意 無量功徳
185現量げんりょう「現」には、あらわれるという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「現量」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇ってほしいという頗いを込めさせていただいております。4-9顯現道意 無量功徳
186廣慧こうえ「廣」は、ひろまるという意味です。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「廣慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-13功勲廣大 智慧深妙
187光慧こうえ「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「光慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。82-2身相光明 智慧功徳
188興演こうえん「興」とは、おこすという意味です。「演」とは、ひろめるという意味です。したがって、「興演」という法名には、念仏の教えをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。6-9興大悲愍衆生 演慈辯授法眼
189廣演こうえん「廣」は、ひろいという意味です。「演」は、仏が教えを説きのべられることです。したがって、「廣演」という法名には、仏のひろく懇切な教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。14-1廣爲敷演
190光英こうおう「光」は、人々を照らし包む仏のはたらきを意味しています。「英」は、その仏のはたらきが他よりすぐれていることを意味しています。したがって、「光英」という法名には、人のはからいを超えた仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-7光英菩薩
191光遠こうおん「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「遠」には、どこまでもゆきわたるという意味があります。したがって、「光遠」という法名には、すべての人を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。9-4名曰光遠
192光教こうきょう「光」とは、あきらかにするという意味です。「教」とは、教えという意味です。したがって、「光教」という法名には、仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。8-1光闡道教
193興教こうきょう「興」とは、おこるという意味です。「教」とは、教えという意味です。したがって、「興教」という法名には、生きとし生けるものを救うためにおこされた仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。9-2興出於世 教化度脱
194廣教こうきょう「廣」には、ひろやかなという意味があります。「教」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「廣教」という法名には、すべての人々を救う仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。53-4廣宣道教
195香薫こうくん「香」は、かぐわしいよいにおいという意味です。「薫」は、かおる、よいにおいがたちこめるという意味です。したがって、「香薫」という法名には、阿弥陀仏の浄土のよいかおりを感じ、念仏して生きてほしいという願いを込めさせていただいております。21-4其香普薫
196光顯こうけん「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「顯」は、あきらかにするという意味です。したがって、「光顯」という法名には、人間の間を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-15光明顯曜
197光顔こうげん「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「顔」は、仏のお顔、願いという意味です。したがって、「光顔」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。11-1光顔巍巍
198香嚴こうごん「香」は、かおりを意味しています。「嚴」は、かざるという意味です。したがって、「香嚴」という法名には、すぐれた香りでかざられた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。39-3衆妙華香 莊嚴之具
199廣濟こうさい「廣」は、ひろくして、大きいという意味です。「濟」は、すくうという意味です。したがって、「廣濟」という法名には、あまねく一切の人々をすくう仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-11廣濟衆厄難
200光實こうじつ「光」とは、仏のはたらきをあらわします。「實」とは、まことという意味です。したがって、「光實」という法名には、仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。8-1光闡道教 欲拯群萌 惠以眞實之利
201幸證こうしょう「幸」は、ねがうという意味です。「證」は、あかすという意味です。したがって、「幸證」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、浄土に生まれることをねがう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。13-3幸佛信明 是我眞證
202光照こうしょう「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「照」は、人々を照らし包み込む仏のはたらきを意味しています。したがって、「光照」という法名には、自分
を照らし包む阿弥陀仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。
30-5或有佛光照百佛世界
203香莊こうしょう「香」は、かおりを意味しています。「莊」とは、かざるという意味です。したがって、「香莊」という法名には、すぐれた香りでかざられた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。39-3衆妙華香 莊嚴之具
204光眞こうしん「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「眞」は、真実を意味しています。したがって、「光眞」という法名には、阿弥陀仏の真実なる光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。45-13光明相好 具如眞佛
205光世こうせ「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「世」は、人の住む世界を意味しています。したがって、「光世」という法名には、人の住む世界をあまねく照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。79-9放大光明 普照一切 諸佛世界
206廣宣こうせん「廣」は、ひろいという意味です。「宣」は、仏が教えをあきらかにお説きになることです。したがって、「廣宣」という法名には、仏のひろく懇切な教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。13-11廣宜經法
207興大こうだい「興」とは、おこすという意味があります。「大」とは、大悲を意味します。したがって、「興大」という法名には、阿弥陀仏の大悲心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-9興大悲愍衆生
208光澤こうた<「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「澤」には、みずみずしいという意味があります。したがって、「光澤」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。42-15柔軟光澤
209廣智こうち「廣」には、どこまでもゆきわたるという意味があります。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「廣智」という法名には、どこまでもゆきわたる阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただい
ております。
81-8大乘廣智
210光智こうち「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「光智」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。82-2身相光明 智慧功德
211高哲こうてつ「高」は、すぐれているという意味です。「哲」は、さとるという意味です。したがって、「高哲」という法名には、仏のすぐれた教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-12高オ勇哲
212廣道こうどう「廣」には、ひろやかなという意味があります。「道」は、本願の仏道を意味しています。したがって、「廣道」という法名には、すべての人々が救われる本願の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。53-4廣宣道教
213光繞こうによう「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「繞」には、そばにいるという意味があります。したがって、「光繞」という法名には、すべての人をつつむ阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。48-2回光圍繞身
214廣法こうぼう「廣」は、ひろいという意味です。「法」は、仏がお説きになる教えという意味です。したがって、「廣法」という法名には、仏のひろく懇切な教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。13-11廣宣經法
215高明こうみょう「高」は、たかいという意味です。「明」は、あきらかという意味です。したがって、「高明」という法名には、仏道をもとめるという、たかくあきらかで、すばらしいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。14-3知其高明 志願深廣
216光妙こうみょう「光」は、人々を照らし包む仏のはたらきを意味しています。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「光妙」という法名には、人々を照らし包むすぐれた仏の光明のはたらきを感じる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。29-3光赫焜耀 微妙奇麗
217光明こうみょう「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「明」は、あきらかになるということを意味しています。したがって、「光明」という法名には、人間の世界の闇を照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。31-3光明顯赫
218好明こうみょう「好」は、うるわしい阿弥陀仏のすがたを意味しています。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「好明」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。80-4相好光明
219光融こうゆう「光」は、生きとし生けるものを照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。「融」には、通じるという意味があります。したがって、「光融」という法名には、仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-6光融佛法 宣流正化
220光曜こうよう「光」は、人々を照らし包む仏のはたらきを意味しています。「曜」は、そのはたらきが光り輝いているありさまを意味しています。したがって、「光曜」という法名には、仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-15光明顯曜
221光耀こうよう「光」は、すべての人を照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。「耀」には、光り輝くという意味があります。したがって、「光耀」という法名には、阿弥陀仏の光り輝く光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。34-16榮色光耀
222晃耀こうよう「晃」は、仏のはたらきが四方に広がり出るさまを意味しています。「耀」は、そのはたらきが光り輝いていることを意味しています。したがって、「晃耀」という法名には、四方に光り輝く仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。42-7光色晃耀
223滉瀁こうよう「滉」には、水が広く深いさまをあらわします。「瀁」には、水のはてしないさまをあらわします。したがって、「滉瀁」という法名には、はてしなく広く深い阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。79-13滉瀁浩汗
224廣量こうりょう「廣」は、ひろくして、大きいという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「廣量」という法名には、すべての人にはたらく仏の広大なこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。32-12深廣無量
225光量こうりょう「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「光屈」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。43-4其華光明 無量種色
226光麗こうれい「光」は、仏の放つ光明という意味で、仏の智愁を表します。「麓」は、うるわしい、澄んできれいなさまという意味です。したがって、「光麗」という法名には、うるわしく澄んできれいな仏の智慧の光にあふれた阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。20-2嚴淨光麗
227護法ごほう「護」には、まもるという意味があります。「法」とは、仏法を意味します。したがって、「護法」という法名には、仏法を護る者になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-5嚴護法城
228勤精ごんしょう「勤」は、つとめるという意味です。「精」は、まじりけなく、ひとすじであるという意味です。したがって、「勤精」という法名には、仏道をひとすじに歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。57-12宜各勤精進
229嚴淨ごんじょう「嚴」は、おごそかなおかざりの意味です。「淨」は、きよらかで、すみきっているという意味です。したがって、「嚴淨」という法名には、おごそかにかざられた、きよらかで、すみきった世界である阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。20-1嚴淨光麗
230嚴明ごんみょう「嚴」は、おごそかな、おかざりを意味しています。「明」とは、あきらかになるという意味です。したがって、「嚴明」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。9-12次名莊嚴光明
231嚴妙ごんみょう「嚴」は、おごそかなおかざりの意味です。「妙」は、すばらしいたえなる世界という意味で、阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「嚴妙」という法名には、阿弥陀仏がおつくりになられた、すばらしくかざられた世界に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。13-12淸淨莊嚴無量妙土
232最勝さいしょう「最」は、もっともという意味です。「勝」は、すぐれているという意味です。したがって、「最勝」という法名には、最も勝れている本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-9最勝福田
233最道さいどう「最」とは、もっともという意味です。「道」とは、仏道という意味です。したがって、「最道」という法名には、世間を超えた仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。7-8住最勝道
234讃壽さんじゅ「讃」には、ほめるという意味があります。「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「讚壽」という法名には、阿弥陀仏の浄土をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。44-6皆共讃歎 無量壽佛
235慈演じえん「慈」とは、慈悲という意味です。「演」は、ひろめるという意味です。したがって、「慈演」という法名には、慈悲のこころをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。6-9演慈辯授法眼
236慈恩じおん「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「恩」には、めぐみという意味があります。したがって、「慈恩」という法名には、阿弥陀仏の慈悲のめぐみに出遇ってほしいという頻いを込めさせていただいております。63-10皆蒙慈恩
237志願しがん「志」は、仏道をもとめるこころという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「志願」という法名には、仏道をねがうというこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。14-3志願深廣
238慈敬じきょう「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「慈敬」という法名には、阿弥陀仏の慈悲を敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。64-4若有慈敬於佛者
239慈教じきょう「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「教」は、念仏の教えを意味しています。したがって、「慈教」という法名には、念仏の教えを通して阿弥陀仏の慈悲に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。74-10慈心放教
240至成しじょう「至」は、いたる、めざすところまでとどくという意味です。「成」は、なしとげるという意味です。したがって、「至成」という法名には、生涯をつくして念仏を修して仏道をなしとげてほしいという顧いを込めさせていただいております。22-4至成佛道
241至誠しじょう「至」には、この上ないという意味があります。「誠」には、まことという意味があります。したがって、「至誠」という法名には、阿弥陀仏のまことの御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。75-11所作至誠
242慈聲じしょう「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「聲」は、こえという意味があります。したがって、「慈聲」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏のよびかけに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-8大慈悲聲
243慈心じしん「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「心」は、阿弥陀仏の心を意味しています。したがって、「慈心」という法名には、阿弥陀仏の慈悲の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。74-10慈心教誨
244志崇しそう「志」は、こころざすという意味です。「崇」には、とうとぶという意味があります。したがって、「志崇」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをとうとぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。54-14志崇佛道
245實善じつぜん「實」は、阿弥陀仏の真実を意味しています。「善」は、よく巧みに生きとし生けるものに恵みをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「實善」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。64-5實爲大善
246至導しどう「至」には、すべてにいたるという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「至導」という法名には、すべての人を救う本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-3名稱普至 導御十方
247至道しどう「至」には、いたるという意味があります。「道」とは、正しい道すじという意味があります。したがって、「至道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。25-2必至無上道
248志道しどう「志」は、こころざすという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「志道」という法名には、仏道を志してほしいという願いを込めさせていただいております。25-9志求無上道
249志道しどう「志」は、こころざすという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「志道」という法名には、仏道を志してほしいという願いを込めさせていただいております。54-14志崇佛道
250慈等じとう「慈」は、仏の慈悲を意味しています。「等」は、仏がすべてを等しく見ることができることを意味しています。したがって、「慈等」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-4大慈等故
251至德しとく「至」には、この上ないという意味があります。「德」は、阿弥陀仏の功德を意味しています。したがって、「至德」という法名には、この上ない阿弥陀仏の功德に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。66-2甚爲至德
252志法しほう「志」は、こころざすという意味です。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「志法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-11志求佛法
253持寶じほう「持」には、たもっという意味があります。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「持寶」という法名には、なにものにもかえがたい阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-6持海輪寶
254寂靜じゃくじょう「寂」は、音もなくしずかという意味です。「靜」は、しずまる、しずかという意味です。したがって、「寂靜」という法名には、仏道を歩むことによって、こころしずかであってほしいという願いを込めさせていただいております。14-12其心寂靜
255志勇しゅう「志」は、こころざすという意味です。「勇」は、いさましいという意味です。したがって、「志勇」という法名には、仏道を志し、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-8志勇精進
256修願しゅがん「修」は、念仏申すことを意味しています。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「修願」という法名には、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。44-14修諸功德 願生彼國
257修敬しゅきょう「修」は、修めるという意味です。「敬」は、敬うという意味です。したがって、「修敬」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えを敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。56-7修六和敬
258壽光じゅこう「壽」は、阿弥陀仏の無量寿を意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「壽光」という法名には、無鉦寿・無量光たる阿弥陀仏に帰依し、念仏の生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。30-4無量壽佛 威神光明 最尊第一
259壽宣じゅせん「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「宣」には、ひろめるという意味があります。したがって、「壽宣」という法名には、すべての人の救いを誓われた阿弥陀仏の本願に出遇い、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。80-10汝寧復聞無量壽佛大音宣布一切世界
260壽尊じゅそん「壽」は、阿弥陀仏の無量寿を意味しています。「尊」とは、とうといという意味です。したがって、「壽尊」という法名には、無量寿仏の尊さに出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。30-4無量壽佛 威神光明 最尊第一
261修德しゅとく「修」は、おさめる、修行するという意味です。「德」は、功德という意味です。したがって、「修德」という法名には、念仏によってさまざまな功德をえてほしいという願いを込めさせていただいております。19-5修習普賢之德
262住德じゅとく「住」は、居場所が与えられたことを意味しています。「德」は、仏のはたらきによる功德を意味しています。したがって、「住德」という法名には、お念仏の功德によって居場所を見い出してほしいという頻いを込めさせていただいております。2-11安住一切功德之法
263住得じゅとく「住」とは、居場所が与えられたことを意味しています。「得」には、えるという意味があります。したがって、「住得」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、居場所をよろこぶ身になってほしいという頓いを込めさせていただいております。5-4佛所住者 皆已得住
264壽德じゅとく「壽」は、無屈寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「德」は、阿弥陀仏の功德を意味しています。したがって、「壽德」という法名には、阿弥陀仏の功德があふれる浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。44-6無量壽佛 威神功德
265修法しゅほう「修」とは、修めるという意味です。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「修法」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという顔いを込めさせていただいております。54-6修心佛法
266澍法じゅほう「澍」には、うるおすという意味があります。「法」には、救いのすじみち、道理という意味があります。したがって、「澍法」という法名には、ひとびとにうるおいと救いを与える本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。3-16澍法雨
267受法じゅほう「受」には、うけるという意味があります。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「受法」という法名には、仏の教えをいただき、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。52-15聽受經法
268壽寶じゅほう「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「壽寶」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。82-6無量壽國 於七寶華中
269壽明じゅみょう「壽」は、阿弥陀仏の無量寿を意味しています。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「壽明」という法名には、無量寿・無量光たる阿弥陀仏に帰依し、念仏の生活を送ってほしいという願いを込めさせていただい
ております。
30-4無量蒜佛威扉車光明
270壽樂じゅらく「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「壽樂」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。57-16壽樂無有極
271壽量じゅりょう「壽」は、寿命、いのちという意味です。「量」は、無量寿という仏のはたらきを意味しています。したがって、「壽量」という法名には、はかりなきいのちに帰命してほしいという願いを込めさせていただいております。14-14彼佛圏土壽量幾何
272純敬じゅんきょう「純」とは、純粋という意味です。「敬」とは、うやまうという意味です。したがって、「純敬」という法名には、純粋に仏をうやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。6-10如純孝之子 愛敬父母
273順實じゅんじつ「順」は、したがうという意味があります。「實」は、真実を意味しています。したがって、「順實」という法名には、仏の教えにしたがい、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。38-12隨順淸淨 離欲寂滅 眞實之義
274順淸じゅんしょう「順」は、したがうという意味があります。「淸」は、きよらかという意味があります。したがって、「順淸」という法名には、仏の教えにしたがい、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。38-12隨順淸淨
275順眞じゅんしん「順」は、したがうという意味があります。「眞」とは、まことという意味があります。したがって、「順眞」という法名には、仏の教えにしたがい、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。38-12隨順淸淨 離欲寂滅 眞實之義
276順慧じゅんね「順」は、したがうという意味があります。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「順慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。53-13隨順智慧
277淸安しょうあん「淸」は、きよらかという意味です。「安」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「淸安」という法名には、きよらかな阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。39-10浦淨安稔
278淨安じょうあん「淨」は、阿弥陀仏の浄土という意味があります。「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。したがって、「淨安」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。39-10淸淨安穏
279正意しょうい「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「意」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「正意」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。66-1端心正意
280調意じょうい「調」は、ととのえるという意味です。「意」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「調意」という法名には、阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。12-1布施調意
281正慧しょうえ「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「慧」は、仏の智慧を意味しています。したがって、「正慧」という法名には、すべての人の悩みを知りつくす仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-8離欲深正念淨慧修梵行
282淸恵しょうえ「淸」にはきよらかという意味があります。「恵」とは、めぐむという意味です。したがって、「淸恵」という法名には、阿弥陀仏のきよらかな恵みである本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。27-8專求淸白之法 以惠利群生
283定慧じょうえ「定」とは、さだまるという意味です。「慧」とは、智惹という意味です。したがって、「定慧」という法名には、仏の智魃を得て、まことの人生を生きてほしいという願いを込めさせていただいております。8-10如束定慧
284淨慧じょうえ「淨」は、きよらかという意味です。「慧」は、仏の智慧という意味です。したがって、「淨慧」という法名には、仏のきよらかな智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-8淨慧修梵行
285生悦しょうえつ「生」は、うまれるという意味です。「悦」は、よろこぶという意味です。したがって、「生悦」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという顧いを込めさせていただいております。13-1十方来生 心悦淸淨
286正音しょうおん「正」は、すべての人に通じるという意味です。「音」は、念仏の声を意味しています。したがって、「正音」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-6正覺大音
287淸音しょうおん「淸」には、きよらかという意味があります。「音」には、こえという意味があります。したがって、「淸音」という法名には、阿弥陀仏の呼びかけである念仏のこえに目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。34-16淸風時發 出五音聲
288照界しょうかい「照」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「界」は、人間の世界を意味しています。したがって、「照界」という法名には、人間の世界の闇を照らす阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。30-5或有佛光照百佛世界
289照界しょうかい「照」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「界」は、人間の世界を意味しています。したがって、「照界」という法名には、人間の世界の闇を照らす阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。51-9普照三千大千世界
290正覺しょうがく「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「正覺」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。3-13成最正覺
291常覺じょうかく「常」は、つねにという意味があります。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「常覺」という法名には、つねに我々にはたらき続ける阿弥陀仏の本顔に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。4-1常以法音 覺諸世間
292成覺じょうがく「成」には、成しとげられるという意味があります。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「成覺」という法名には、仏の本願に出遇い、教えをよろこぶ身となってほしいという願いを込めさせていただいております。2-13現成等覺
293定覺じょうがく「定」は、さだまるという意味です。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「定覺」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-10決定必成無上正覺
294正観しょうかん「正」とは、すべての人に通じるという意味があります。「觀」は、みるという意味です。したがって、「正觀」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-14正念正觀
295正願しょうがん「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「正願」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。1-6尊者正願
296勝願しょうがん「勝」は、すぐれているという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「勝願」という法名には、阿弥陀仏のすぐれた願いに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。14-11超發無上殊勝之願
297成願じょうがん「成」は、成就するという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「成願」という法名には、わたしたちの本当の願いである浄土への往生を成就してほしいという願いを込めさせていただいております。14-2成滿所願
298誠願じょうがん「誠」には、まことという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「誠願」という法名には、阿弥陀仏のまことの本顔に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。46-7以至誠心 願生其國
299淸行しょうぎょう「淸」は、きよらかという意味です。「行」は、修行という意味です。したがって、「淸行」という法名には、阿弥陀仏のきよらかな行によって浄土に生まれてほしいという頻いを込めさせていただいております。14-14淸淨之行
300正行しょうぎょう「正」には、ただしいという意味があります。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「正行」という法名には、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。65-4端身正行
301淨鏡じょうきょう「淨」とは、きよらかという意味です。「鏡」とは、あきらかにするという意味です。したがって、「淨鏡」という法名には、私を映し出すきよらかな鏡のような仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-4如明淨鏡
302淨行じょうぎょう「淨」は、すみきっているという意味です。「行」は、修行という意味です。したがって、「淨行」という法名には、念仏によって、すみきった阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。14-1浄土之行
303常行じょうぎょう「常」とは、つねという意味があります。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「常行」という法名には、念仏する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-16常能修行
304精華しょうけ「精」には、まじりけがないという意味があります。「華」とは、うつくしいという意味です。したがって、「精華」という法名には、まじりけがなく、うつくしい阿弥陀仏の御心に出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。34-11水精爲華
305淸雅しょうげ「清」は、きよらかという意味があります。「雅」は、みやびという意味があります。したがって、「清雅」という法名には、きよらかなる阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。36-10淸揚哀亮 微妙和雅
306成華じょうけ「成」には、なしとげるという意味があります。「華」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「成華」という法名には、すべての人々を救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。52-11化成華蓋
307照見しょうけん「照」は、すみずみまでてらすという意味です。「見」は、みるという意味です。したがって、「照見」という法名には、阿弥陀仏のはなつ光にてらされて、世界のすみずみまでみることができるようになってほしいという願いを込めさせていただいております。20-13皆悉照見
308淨見じょうけん「淨」は、すみきっているという意味です。「見」は、みるという意味です。したがって、「淨見」という法名には、すみきった世界である浄土のありようを見てほしいという顧いを込めさせていただいております。14-10嚴淨國土 皆悉覩見
309常見じょうけん「常」は、つねにという意味です。「見」は、みるという意味です。したがって、「常見」という法名には、念仏する生活のなかでいつでも阿弥陀仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。24-4常見無量
310成現じょうげん「成」には、なしとげるという意味があります。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「成現」という法名には、仏の本願に出遇い、教えをよろこぶ身となってほしいという願いを込めさせていただいております。4-9成等正覺 示現滅度
311定現じょうげん「定」には、さだまるという意味があります。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「定現」という法名には、苦悩する生きとし生けるものを救おうとする本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-16住深定門 悉覩現在
312莊光しょうこう「莊」は、おごそかにおかざりすることを意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「莊光」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。9-12次名莊嚴光明
313正響しょうこう「正」は、すべての人に通じるという意味です。「響」は、ひびくという意味です。したがって、「正響」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共にお念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-6正覺大音 響流十方
314錠光じょうこう「錠光」とは、「燃燈」とも言われ、智慧の光を意味します。したがって、「錠光」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。9-2錠光如来
315淨光じょうこう「淨」は、すみきっているという意味です。「光」は、仏の放つ光明という意味で、仏の智慧を表します。したがって、「淨光」という法名には、すみきった仏の智慧の光にあふれた阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。20-1嚴淨光麗
316淨香じょうこう「淨」は、きよらかなという意味です。「香」は、かおりを意味しています。したがって、「淨香」という法名には、きよらかなかおりにみちた阿弥陀仏の淨士に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。37-2清淨香潔
317常廣じょうこう「常」は、常に教えが説かれていることを意味します。「廣」とは、安楽浄土が広大であることを意味します。したがって、「常廣」という法名には、本l!頁i念仏の教えに出遇い、安楽浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。56-6常欲廣説
318照極しょうごく「照」には、てらすという意味があります。「極」には、きわみ、はてという意味があります。したがって、「照極」という法名には、どこまでも照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-8照耀無極
319清嚴しょうごん「清」は、きよらかという意味です。「嚴」は、おごそかなおかざりの意味です。したがって、「清嚴」という法名には、きよらかで、おごそかにかざられた阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。13-12清淨莊嚴無量妙土
320淨嚴じょうごん「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「嚴」は、おごそかにおかざりするという意味です。したがって、「淨嚴」という法名には、阿弥陀仏の本願によっておごそかにおかざりされた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。13-12清淨莊嚴無量妙土
321稱讃しょうさん「稱」には、かなうという意味があります。「讃」には、ほめるという意味があります。したがって、「稲讃」という法名には、阿弥陀仏の名号をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。79-4常共稱揚 讃歎彼佛
322常修じょうしゅ「常」は、つねにという意味です。「修」は、おさめる、修行という意味です。したがって、「常修」という法名には、生涯をつくしてつねに念仏を申して仏道を成就してほしいという願いを込めさせていただいております。22-4常修梵行
323淨修じょうしゅ「淨」には、きよらかという意味があります。「修」には、おさめるという意味です。したがって、「淨修」という法名には、念仏して仏のきよらかな智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-8淨慧修梵行
324定緊じょうじゅ「定」は、かならず仏となることが定まるということを意味しています。「衆」は、なかまを意味しています。したがって、「定衆」という法名には、本願に出遇い、ともに念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。44-3皆悉住於正定之衆
325常住じょうじゅう「常」には、つねにという意味があります。「住」には、とどまるという意味があります。したがって、「常住」という法名には、いつまでもお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。6-5心常諦住
326淸淨しょうじょう「清」は、きよらかという意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「清淨」という法名には、きよらかで、すみきった阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。13-12清淨莊嚴無量妙土
327莊淨しょうじょう「莊」は、ととのった、おごそかなおかざりの意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「莊淨」という法名には、おごそかにかざられ、すみきった世界である阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。14-13莊嚴佛國清淨之行
328正定しょうじょう「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「定」は、かならず仏となることが定まるということを意味しています。したがって、「正定」という法名には、すべての人が救われる本願のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。44-3皆悉住於正定之衆
329成正じょうしょう「成」は、成就するという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味です。したがって、「成正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共に念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。13-13速成正覺
330正眞しょうしん「正」は、すべての人に通じるという意味があります。「眞」は、まことという意味です。したがって、「正眞」という法名には、すべての人に通じる仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10尋被無上正眞道意
331勝心しょうしん「勝」は、すぐれるという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「勝心」という法名には、阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-3等心勝心
332正心しょうしん「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「正心」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。77-8正心正意
333淨信じょうしん「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「信」は、目覚めるという意味です。したがって、「淨信」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。10-4次名淨信
334誠心じょうしん「誠」には、まことという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の願いを意味しています。したがって、「誠心」という法名には、阿弥陀仏のまことの願いをいただいて、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。46-7以至誠心
335定心じょうしん「定」には、さだまるという意味があります。「心」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「定心」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-3深心定心
336照世しょうせ「照」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「世」は、人間の世界を意味しています。したがって、「照世」という法名には、人間の世界の闇を照らす阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。51-9普照三千大千世界
337常説じょうせつ「常」は、つねにという意味です。「説」は、阿弥陀仏の教えが説かれていることを意味します。したがって、「常説」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-6常欲廣説
338正善しょうぜん「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「善」は、よく巧みに生きとし生けるものに恵みをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「正善」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。71-9端身正行 獨作諸善
339勝善しょうぜん「勝」には、すぐれるという意味があります。「善」は、よく巧みに生きとし生けるものに恵みをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「勝善」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。77-9勝在無量壽國 爲善百歳
340常宣じょうせん「常」とは、つねにという意味があります。「宜」には、ひろめるという意味があります。したがって、「常宣」という法名には、念仏の教えをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。53-13常宣正法
341勝尊しょうそん「勝」には、すぐれるという意味があります。「尊」には、とうといという意味があります。したがって、「勝尊」という法名には、仏の尊くすぐれたこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-5等此最勝尊
342常尊じょうそん「常」は、つねにという意味です。「腺」とは、とうといという意味です。したがって、「常尊」という法名には、仏の尊い教えに出遇い、つねにお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。13-6常令此尊
343常諦じょうたい「常」には、つねにという意味があります。「諦」には、あきらかにするという意味があります。したがって、「常諦」という法名には、人々を救おうとする仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-5心常諦住
344誠諦じょうたい「誠」には、まことという意味があります。「諦」には、あきらかという意味があります。したがって、「誠諦」という法名には、阿弥陀仏のまことのこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-12誠諦不虚
345稱歎しょうたん「稱」には、ほめるという意味があります。「歎」には、たたえるという意味があります。したがって、「稱歎」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをよろこび、ほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。57-2所共稱歎
346勝智しょうち「勝」には、すぐれるという意味があります。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「勝智」という法名には、なによりもすぐれた阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。81-8無等無倫最上勝智
347常知じょうち「常」は、つねにという意味です。「知」は、さとるという意味です。したがって、「常知」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、つねにお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。13-6常令此尊 知我心行
348乘智じょうち「乘」は、すべての人を浄土にいたらせるものを意味しています。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「乘智」という法名には、すべての人を浄土にいたらせる阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。81-8大乘廣智
349淨暢じょうちょう「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「暢」とは、ゆきわたるという意味です。したがって、「淨暢」という法名には、仏の教えを聞いて、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。7-4如明淨鏡 影暢表裏
350清徹しょうてつ「清」は、きよらかという意味があります。「徹」は、つらぬきとおすという意味があります。したがって、「清徹」という法名には、どこまでもきよらかな仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-12耳根清徹
351稱導しょうどう「稱」には、となえるという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「稱導」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-3名稱普至 導御十方
352精道しょうどう「精」は、まじりけなく、ひとすじであるという意味です。「道」は、仏道という意味です。したがって、「精道」という法名には、仏道をひとすじに歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。14-6精進求道不止
353正道しょうどう「正」には、すべての人に通ずるという意味があります。「道」には、正しいすじみちという意味があります。したがって、「正道」という法名には、すべての人々が救われる本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。43-11於佛正道
354昇道しょうどう「昇」は、のぽるという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「昇道」という法名には、仏道をひとすじに歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。57-14昇道無窮極
355成等じょうとう「成」には、なしとげるという意味があります。「等」は、すべてを等しく見ることのできる仏の眼を意味しています。したがって、「成等」という法名には、すべてを等しく見ることのできる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-9成等正覺
356常道じょうどう「常」には、つねにという意味があります。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「常道」という法名には、つねにお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。6-5心常諦住 度世之道
357淨道じょうどう「淨」は、きよらかという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「淨道」という法名には、きよらかな仏道に立って歩んでいってほしいという願いを込めさせていただいております。25-8淨慧修梵行志求無上道
358成道じょうどう「成」は、なしとげるという意味があります。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「成道」という法名には、どこまでも仏道を歩みつづけてほしいという願いを込めさせていただいております。35-12至成佛道
359常導じょうどう「常」は、つねにという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「常導」という法名には、つねに我々を将いてくださる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-9常爲導師
360稱德しょうとく「稱」は、となえるという意味です。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「稱德」という法名には、阿弥陀仏の功徳である念仏を称える生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。31-9稱其功德
361照德しょうとく「照」は、人々を照らし包む仏のはたらきを意味しています。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「照德」という法名には、人々を照らし包む仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-5照諸功德
362正念しょうねん「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「念」には、心におもって忘れないという意味があります。したがって、「正念」という法名には、すべての人の救いを常におもい続ける阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-8離欲深正念
363昭然しょうねん「昭」には、あきらかという意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「昭然」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇い、自らの救いをあきらかにしてほしいという願いを込めさせていただいております。64-9昭然分明
364常然じょうねん「常」は、つねにという意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「常然」という法名には、永遠に絶えることのない阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。27-1建立常然
365淨然じょうねん「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「然」は、阿弥陀仏の自然のはたらきを意味しています。したがって、「淨然」という法名には、阿弥陀仏の自然のはたらきによって浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。80-8微妙嚴淨 自然之物
366淸風しょうふう「淸」にはきよらかという意味があります。「風」は、仏のはたらきが吹きわたることを意味しています。したがって、「淸風」という法名には、阿弥陀仏の淸らかな本顧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。34-16淸風時發
367淸法しょうほう「淸」にはきよらかという意味があります。「法」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「淸法」という法名には、きよらかな仏の本顔の教えに出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。27-8專求淸白之法
368正法しょうぽう「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「法」には、救いの道すじ、道理という意味があります。したがって、「正法」という法名には、すべての人が救われていく本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-13弘宣正法
369請法しょうぽう「請」は、もとめるという意味です。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「請法」という法名には、仏の教えを聞く生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。3-14請轉法輪
370乘寶じょうほう「乘」は、すべての人を浄土にいたらせるものを意味しています。「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「乘寶」という法名には、すべての人を浄土にいたらせる阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。80-12乘百千由旬七寶宮殿
371成滿じょうまん「成」は、成就するという意味です。「滿」は、滿たす、完全にするという意味です。したがって、「成滿」という法名には、わたしたちの本当の願いである浄土への往生を成就してほしいという願いを込めさせていただいております。14-2成滿所願
372莊明しょうみょう「莊」は、かたちづくるという意味です。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「莊明」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。9-12次名莊嚴光明
373淸妙しょうみょう「淸」は、きよらかという意味です。「妙」は、すばらしい、たえなる世界という意味で阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「淸妙」という法名には、きよらかで、すばらしい阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。13-12淸淨莊嚴無量妙土
374莊妙しょうみょう「莊」は、ととのった、おごそかなおかざりの意味です。「妙」は、すばらしいたえなる世界という意味で阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「莊妙」という法名には、おごそかにかざられた阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。13-12淸淨莊嚴無量妙土
375勝妙しょうみょう「勝」には、すぐれるという意味があります。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「勝妙」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-16超勝獨妙
376淸明しょうみょう「淸」は、きよらかという意味があります。「明」は、あかるいという意味があります。したがって、「淸明」という法名には、きよらかで、あかるい阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。38-3淸明澄潔
377淨妙じょうみょう「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「妙」は、思いはかることができないことを意味しています。したがって、「淨妙」という法名には、人間のはからいを超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。13-12淸淨莊嚴無量妙土
378稱聞しょうもん「稱」は、となえるという意味があります。「聞」は、お念仏の教えを聞くという意味があります。したがって、「稱聞」という法名には、阿弥陀仏の呼びかけを聞き、念仏を称えてほしいという願いを込めさせていただいております。38-11稱其所聞
379照耀しょうよう「照」には、てらすという意味があります。「耀」には、光りかがやくという意味があります。したがって、「照耀」という法名には、人間の闇を照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-8照耀無極
380淸揚しょうよう「淸」は、きよらかという意味があります。「揚」は、ほめるという意味があります。したがって、「淸揚」という法名には、きよらかなる仏の功徳をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。36-10淸揚哀亮
381稱揚しょうよう「稱」には、かなうという意味があります。「揚」には、ほめるという意味があります。したがって、「稱揚」という法名には、阿弥陀仏の名号をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。79-4常共稱揚
382照曜しょうよう「照」は、闇を照らす阿弥陀仏の光明のはたらきを意味しています。「曜」には、かがやくという意味があります。したがって、「照曜」という法名には、人間の闇をかがやき照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。80-5靡不照曜
383淨影じょうよう「淨」とは、きよらかという意味です。「影」とは、すがたという意味です。したがって、「淨影」という法名には、私によりそう阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-4如明淨鏡 影暢表裏
384常揚じょうよう「常」には、つねにという意味があります。「揚」には、ほめるという意味があります。したがって、「常揚」という法名には、阿弥陀仏の名号をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。79-4常共稱揚
385照量しょうりょう「照」には、てらすという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「照量」という法名には、あらゆる人々を救わずにはおかないという阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-1光明普照 無量佛土
386淸亮しょうりょう「淸」は、きよらかという意味があります。「亮」は、あかるいという意味があります。したがって、「淸亮」という法名には、きよらかで、あかるい阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。36-10淸揚哀亮
387成量じょうりょう「成」には、なしとげるという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「成量」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。5月14日具足成就 無量總持
388常和じょうわ「常」は、つねにという意味があります。「和」には、なごむという意味があります。したがって、「常和」という法名には、本願念仏の教えによって、常にこころがなごむ生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。29-10常和調適
389眞意しんい「眞」は、まことという意味です。「意」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「眞意」という法名には、阿弥陀仏のまことの御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10尋發無上正眞道意
390深開じんかい「深」には、ふかくすぐれたという意味があります。「開」には、ひらくという意味があります。したがって、「深開」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-6以甚深禪慧 開導衆人
391眞義しんぎ「眞」とは、まことという意味です。「義」は、道理という意味があります。したがって、「眞義」という法名には、仏のまこと教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-12眞實之義
392信喜しんぎ「信」は、本願を信ずることを意味しています。「喜」には、よろこびにみちあふれるという意味があります。したがって、「信喜」という法名には、本願を信じよろこびにみちあふれた生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。44-7信心歎喜
393心喜しんぎ「心」は、本願を信ずる心を意味しています。「喜」には、よろこびにみちあふれるという意味があります。したがって、「心喜」という法名には、本願を信じ、よろこびにみちあふれた生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。44-7信心歡喜
394信樂しんぎょう「信」は、しんじる、うたがいがないという意味です。「樂」は、ねがうという意味です。したがって、「信樂」という法名には、本当に疑いなく信じねがうという信心をえてほしいという顔いを込めさせていただいております。18-3至心信樂
395信行しんぎょう「信」は、信心を意味しています。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「信行」という法名には、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86-13專心信受 持誦説行
396信向しんこう「信」は、信心を意味しています。「向」は、如来の回向を意味しています。したがって、「信向」という法名には、如来回向の信心をえてほしいという願いを込めさせていただいております。81-14信心回向
397深廣じんこう「深」は、ふかくすぐれたという意味です。「廣」は、安楽浄土が広大であることを意味します。したがって、「深廣」という法名には、仏道をもとめるというふかくひろいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。14-3志願深廣
398信受しんじゅ「信」は、信心を意味しています。「受」には、うけとめるという意味があります。したがって、「信受」という法名には、阿弥陀仏の本願を信じ受け止めて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86-13專心信受
399信順しんじゅん「信」は、信心を意味しています。「順」には、したがうという意味があります。したがって、「信順」という法名には、阿弥陀仏の本願を信じて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。87-9應當信順
400心淸しんしょう「心」は、仏の御心という意味です。「淸」は、きよらかなという意味です。したがって、「心淸」という法名には、仏のきよらかな御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。13-1心悦淸淨
401信證しんしょう「信」は、めざめるという意味です。「證」は、さとるという意味です。したがって、「信證」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。13-3幸佛信明 是我眞證
402眞證しんしょう「眞」は、まことという意味です。「證」は、あかすという意味です。したがって、「眞證」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。13-3是我眞證
403心淨しんじょう「心」は、仏の御心という意味です。「淨」は、きよらかなという意味です。したがって、「心淨」という法名には、仏のきよらかな御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。13-1心悦淸淨
404心靜しんじょう「心」は、こころという意味です。「靜」は、しずまる、しずかという意味です。したがって、「心靜」という法名には、仏道を歩むことによって、こころしずかな生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。14-12其心寂靜
405尋正じんしょう「尋」は、たずねるという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「尋正」という法名には、すべての人に通じる仏の教えに出遇ってほしいという顛いを込めさせていただいております。10-10尋發無上正眞道意
406深照じんしょう「深」は、ふかいという意味があります。「照」は、てらすという意味があります。したがって、「深照」という法名には、人間の闇を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-3寶沙映徹 無深不照
407深定じんじょう「深」には、ふかくすぐれたという意味があります。「定」には、かならず仏となることが定まるという意味があります。したがって、「深定」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-16住深定門
408心尋しんじん「心」は、仏のこころという意味です。「尋」は、たずねるという意味です。したがって、「心尋」という法名には、仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10心懐悦豫
尋發無上正眞道意
409尋眞じんしん「尋」は、たずねるという意味です。「眞」は、まことという意味です。したがって、「尋眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10尋發無上正眞道意
410深心じんしん「深」は、深いという意味です。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「深心」という法名には、阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-3深心定心
411心諦しんたい「心」は、仏の御心を意味します。「諦」には、あきらかにするという意味があります。したがって、「心諦」という法名には、仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-5心常諦住
412深諦じんたい「深」は、ふかくすぐれたという意味です。「諦」は、あきらかにするという意味です。したがって、「深諦」という法名には、深くすぐれた本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-9深諦善念
413信智しんち「信」は、信心を意味しています。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「信智」という法名には、阿弥陀仏を信じ、智慧をいただいて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。81-13明信佛智
414深智じんち「深」とは、ふかくすぐれたという意味です。「智」とは、阿弥陀仏の智慧を意味します。したがって、「深智」という法名には、仏の深い智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-15登深智慧
415眞道しんどう「眞」は、まことという意味です。「道」は、仏道という意味です。したがって、「眞道」という法名には、仏のまことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10尋發無上正眞道意
416深導じんどう「深」は、ふかいという意味です。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「深導」という法名には、深い本願念仏の教えに禅かれ、出遇っていってほしいという顧いを込めさせていただいております。5-6以甚深禪慧開導衆人
417尋道じんどう「尋」は、たずねるという意味です。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「尋道」という法名には、本願念仏の教えを聞き、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10尋發無上正眞道意
418深忍じんにん「深」は、ふかいという意味です。「忍」は、やすんじるという意味があります。したがって、「深忍」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇ってほしいという顆いを込めさせていただいております。35-12得深法忍
419信慧しんね「信」は、信心を意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「信慧」という法名には、阿弥陀仏を信じ、智慧をいただいて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。83-14是故應當明信 諸佛無上智慧
420深慧じんね「深」は、ふかいという意味です。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味してまいす。したがって、「深慧」という法名には、阿弥陀仏の深い智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。5-6以甚深禪慧
421深念じんねん「深」は、深いという意味です。「念」には、心におもって忘れないという意味があります。したがって、「深念」という法名には、すべての人の救いを深くおもい続ける阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-8離欲深正念
422深遠じんのん「深遠」とは、奥深く容易にはかりしれない念仏の教えを意味しています。したがって、「深遠」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-1深遠微妙
423眞寶しんぽう「眞」は、真実を意味しています。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「眞寶」という法名には、阿弥陀仏の真実のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。42-5皆以金縷眞珠百千雑寶
424深法じんぼう「深」は、深いという意味です。「法」は、念仏の教えを意味します。したがって、「深法」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-15聞甚深法
425尋發じんほつ「尋」は、たずねるという意味です。「發」には、おこすという意味があります。したがって、「尋發」という法名には、生きとし生けるものを救うためにおこされた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10尋發無上正眞道意
426眞妙しんみょう「眞」とは、まことという意味です。「妙」とは、すばらしい世界という意味で、阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「眞妙」という法名には、まことの教えに出遇い、阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。7-15眞妙辯才
427信明しんみょう「信」は、めざめるという意味です。「明」は、きよくあかるいという意味です。したがって、「信明」という法名には、仏のみ教えにめざめてほしいという願いを込めさせていただいております。13-3幸佛信明
428深妙じんみょう「深」は、ふかいという意味です。「妙」は、すぐれたという意味です。したがって、「深妙」という法名には、深くすぐれた本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-13智慧深妙
429眞利しんり「眞」とは、まことという慈味です。「利」とは、めぐみという意味です。したがって、「眞利」という法名には、仏のまことのめぐみを得てほしいという願いを込めさせていただいております。8-2恵以眞實之利
430隨應ずいおう「隨」には、よりそうという意味があります。「應」は、おうじるという意味です。したがって、「隨應」という法名には、すべての人によりそい救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-9隨應而現
431隨往ずいおう「隨」には、したがうという意味があります。「往」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「隨往」という法名には、本願念仏の教えにしたがって、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。45-2即隨彼佛 往生其國
432隨願ずいがん「隨」には、したがうという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「隨願」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。31-8隨意所願
433瑞華ずいけ「瑞」とは、よろこばしいという意味です。「華」とは、うつくしいという意味です。したがって、「瑞華」という法名には、お念仏をよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。8-3猶靈瑞華
434隨現ずいげん「隨」には、よりそうという意味があります。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「隨現」という法名には、苦悩する人々を救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいておりま
す。
35-9隨應而現
435隨生ずいしょう「隨」には、したがうという意味があります。「生」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「隨生」という法名には、本願念仏の教えにしたがって、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。45-2即隨彼佛 往生其國
436隨心ずいしん「隨」には、したがうという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「隨心」という法名には、阿弥陀仏の御心に出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。52-7隨心所念
437隨眞ずいしん「隨」は、したがうという意味です。「眞」は、阿弥陀仏の真実を意味しています。したがって「隨眞」という法名には、本願念仏の教えを聞くことを通して、阿弥陀仏のまことのこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-12隨順淸淨 離欲寂滅 眞實之義
438隨念ずいねん「隨」には、したがうという意味があります。「念」は、念仏をとなえることを意味しています。したがって、「隨念」という法名には、阿弥陀仏のこころに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。52-7隨心所念
439垂寶すいほう「垂」には、あらわすという意味があります。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「垂寶」という法名には、なにものにもかえがたい阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-7垂寶瓔珞
440隨聞ずいもん「隨」には、よりそうという意味があります。「聞」は、聞法するという意味があります。したがって、「隨聞」という法名には、すべての人によりそい救う本願念仏の教えに出遇ってほしいという顧いを込めさせていただいております。38-6隨其所應 莫不聞者
441誓覺せいかく「誓」は阿弥陀仏の誓いを意味します。「覺」は正しい智慧に目覚めることを意味します。したがって、「誓覺」という法名には、正しい智慧に目覚めることを誓われた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-3誓不成正覺
442誓願せいがん「誓」は、阿弥陀仏の誓いを意味し、「願」は、その願いを意味します。したがって、「誓願」という法名には、一切の生きとし生けるものを救うと誓われた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-3斯願不滿足誓不成正覺
443制智せいち「制」には、とめる、やめさせるという意味があります。「智」には、人のはからいを超えた仏の智慧という意味があります。したがって、「制智」という法名には、さまざまな誘惑を超えさせる仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。3-12制以智力
444誓得せいとく「誓」は、ちかいという意味です。「得」は、えるという意味です。したがって、「誓得」という法名には、すべての人を救うことを誓われた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。12-3吾誓得佛
445誓妙せいみょう「誓」は、ちかいという意味です。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「誓妙」という法名には、すべての人を救うことを誓われた阿弥陀仏の願いに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-14發斯弘誓 建此願已 一向專志 莊嚴妙土
446是精ぜしょう「是」は、まことという意味です。「精」は、こころという意味です。したがって、「是精」という法名には、仏のまことの御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。12-12如是精進
447是證ぜしょう「是」は、まことという意味です。「證」は、あかすという意味です。したがって、「是證」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。13-3是我眞證
448是眞ぜしん「是」は、ただしいという意味です。「眞」は、まことという意味です。したがって、「是眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、お念仏をよろ
こぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。
13-3是我眞證
449攝淨せつじょう「攝」は、おさめとるという意味です。「淨」は、汚れがなくすみきっているという意味です。したがって、「攝淨」という法名には、阿弥陀仏がおさめとった汚れなくすみきった行によって、浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。14-13思惟攝取莊嚴佛國淸淨之行
450攝妙せつみょう「攝」は、おさめとるという意味です。「妙」は、すばらしい世界という意味で、阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「攝妙」という法名には、阿弥陀仏がおつくりになられた、すばらしい世界に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。13-11攝取佛國淸淨莊嚴無量妙土
451專學せんがく「專」には、ひとすじにという意味があります。「學」は、まなぶという意味です。したがって、「專學」という法名には、ひとすじに本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。65-15專精修學
452善學ぜんがく人に本当の恵みを与えるものを「善」といいます。「學」には、まなぶという意味があります。したがって、「善學」という法名には、本願念仏の教えを学び、出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-9善學無畏之網
453宣教せんきょう「宣」には、のべ伝えるという意味があります。「教」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「宣教」という法名には、本願の教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。53-4廣宣道教
454專樂せんぎょう「專」には、ひとすじにという意味があります。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「專樂」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。56-5專樂求法
455專行せんぎょう「專」には、ひとすじにという意味があります。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「專行」という法名には、ひとすじに念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86-13專心信受 持誦説行
456善曉ぜんきょう人に本当のめぐみを与えるものを「善」といいます。「曉」は、夜明けを意味しています。したがって、「善曉」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-9善學無畏之網 曉了幻化之法
457專志せんし「專」には、ひとすじにという意味があります。「志」は、こころざすという意味です。したがって、「專志」という法名には、ひとすじに本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-15一向專志
458善思ぜんし「善」は、善く巧みに人々にめぐみをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「思」は、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「善思」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。78-14汝等各善思之
459善寶ぜんじつ人に本当の恵みを与えるものを「善」といいます。「實」には、成就するという意味があります。したがって、「善實」という法名には、真実の教えに出遇って実り多い人生にしてほしいという願いを込めさせていただいております。1-7尊者善實
460專壽せんじゅ「專」には、ひとすじにという意味があります。「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「專壽」という法名には、ひとすじに阿弥陀仏の浄土に生まれていく歩みをしてほしいという願いを込めさせていただいております。44-13一向專念無量壽佛
461專受せんじゅ「專」には、ひとすじにという意味があります。「受」には、うけとめるという意味があります。したがって、「專受」という法名には、阿弥陀仏の本願を信じ受け止めて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86-13專心信受
462宣正せんしょう「宣」は、教えをのべ伝えるという意味です。「正」には、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「宣正」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えを聞法し、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-6宣流正化
463專淸せんしょう「專」には、ひとすじにという意味があります。「淸」にはきよらかという意味があります。したがって、「專淸」という法名には、ひとすじに、きよらかな浄土に生まれていく歩みをしてほしいという願いを込めさせていただいております。27-8專求淸白之法
464專精せんしょう「專」には、ひとすじにという意味があります。「精」には、まじりけがないという意味があります。したがって、「專精」という法名には、ひとすじに念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。65-15專精修學
465專淨せんじょう「專」には、ひとすじにという意味があります。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「專淨」という法名には、ひとすじに阿弥陀仏の浄土に生まれていく歩みをしてほしいという願いを込めさせていただいております。49-1尊求淨佛土
466善調ぜんじょう「善」には、たくみにという意味があります。「調」には、ととのえるという意味があります。したがって、「善調」という法名には、我々をよく調えてくださる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-3善調伏故
467洗心せんしん「洗」には、きよいという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「洗心」という法名には、きよらかな阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。65-5洗除心垢
468專信せんしん「專」には、ひとすじにという意味があります。「信」は、信心を意味しています。したがって、「專信」という法名には、阿弥陀仏の本願をひとすじに信じて、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86-13專心信受
469專心せんしん「專」には、ひとすじにという意味があります。「心」は、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「專心」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の御心をひとすじに信じて、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86-13專心信受
470善心ぜんしん「善」は、善く巧みに人々にめぐみをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味します。したがって、「善心」という法名には、あらゆる人々を救おうとする阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。31-1善心生焉
471宣暢せんちょう「宣」には、教えをのべ伝えるという意味があります。「暢」には、とどくという意味があります。したがって、「宣暢」という法名には、仏からの声に耳をかたむけ、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-16宣暢演説
472宣道せんどう「宣」には、のべ伝えるという意味があります。「道」は、本願の仏道を意味しています。したがって、「宣道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。53-4廣宣道教
473善德ぜんとく人に本当の恵みを与えるものを「善」と言います。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「善德」という法名には、よく巧みにはたら
<阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。
77-8爲德立善
474專念せんねん「專」には、ひとすじにという意味があります。「念」は、お念仏をとなえることを意味しています。したがって、「專念」という法名には、ひとすじに念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。44-13一向專念
475善念ぜんねん人に本当の恵みを与えるものを「善」と言います。「念」は、念仏という意味です。したがって、「善念」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-9深諦善念
476宣法せんぼう「宣」には、ひろめるという意味があります。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「宣法」という法名には、念仏の教えをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。53-13常宣正法
477專法せんぽう「專」には、ひとすじにという意味があります。「法」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「專法」という法名には、ひとすじに仏の本願の教えに出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。27-8尊求淸白之法
478善法ぜんぽう「善」は、人に本当のめぐみを与えるものを意味します。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「善法」という法名には、人に本当のめぐみを与えてくださる本顆念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-15於諸善法
479專妙せんみょう「專」には、ひとすじにという意味があります。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「專妙」という法名には、ひとすじに本願念仏の教えを聞き、真実の教えに目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。26-15一向專志 莊嚴妙土
480善力ぜんりき人に本当の恵みを与えるものを「善」といいます。「力」には、はたらきという意味があります。したがって、「善力」という法名には、本当の恵みを与える阿弥陀仏の本願力に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。29-16功德善力
481善立ぜんりゅう人に本当の恵みを与えるものを「善」といいます。「立」には、たてるという意味があります。したがって、「善立」という法名には、阿弥陀仏の本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-11善立方便
482專量せんりょう「專」には、ひとすじにという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「專量」という法名には、ひとすじに阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。44-13一向專念無量壽佛
483相敬そうきょう「相」には、互いにという意味があります。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「相敬」という法名には、本当に相手を敬うことができる人になってほしいという顎いを込めさせていただいております。59-9當相敬愛
484相好そうごう「相好」は、阿弥陀仏のすぐれた身体の特徴を意味しています。したがって、「相好」という法名には、うるわしい姿をした阿弥陀仏に出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。43-8相好殊特
485相順そうじゅん「相」には、互いにという意味があります。「順」は、したがうという意味です。したがって、「相順」という法名には、本願の教えを聞く仲間と共に歩んでいってほしいという願いを込めさせていただいております。34-15華華相順
486相勝そうしょう「相」は、ともにという意味があります。「勝」は、すぐれるという意味があります。したがって、「相勝」という法名には、仲間とともに本願の教えを聞き、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。36-7展轉相勝
487崇道そうどう「崇」には、とうとぶという意味があります。「道」は、仏の教えを意味します。したがって、「崇道」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをとうとぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。54-14志崇佛道
488相得そうとく「相」には、互いにという意味があります。「得」とは、えるという意味です。したがって、「相得」という法名には、本願念仏の教えを聞き、阿弥陀仏の智慧をえて、仲間とともに歩んでいってほしいという願いを込めさせていただいております。7-10佛佛相念 得無今佛
489相念そうねん「相」とは、すがたという意味です。「念」とは、念仏という意味です。したがって、「相念」という法名には、念仏して、うるわしいすがたをした阿弥陀仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-10佛佛相念
490速覺そくがく「速」は、すみやかという意味です。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「速覺」という法名には、すみやかに迷いを超えさせようとする阿弥陀仏の本願に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。13-13速成正覺
491速正そくしょう「速」は、すみやかという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味です。したがって、「速正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共に念仏もうす生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。13-13速成正覺
492速成そくじょう「速」は、すみやかという意味です。「成」は、成就するという意味です。したがって、「速成」という法名には、一刻もはやく本願念仏の教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。13-13速成正覺
493觸光そっこう「觸」は、ふれるという意味があります。「光」は、あらゆる人々を照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「觸光」という法名には、どこまでもあらゆる人々を照らす仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-14身觸其光
494尊住そんじゅ「尊」とは、とうといという意味です。「住」とは、とどまるという意味です。したがって、「尊住」という法名には、仏の尊い教えに出遇い、お念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。7-6今日世尊 住奇特法
495大慧だいえ「大」は、人間のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「大慧」という法名には、人間のはからいを超えた阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。11-13功勲廣大 智慧深妙
496大演だいえん「大」とは、仏の大悲という意味です。「演」とは、ひろめるという意味です。したがって、「大演」という法名には、大悲の教えをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。6-9興大悲愍衆生 演慈辯授法眼
497大音だいおん「大」は、おおいなるという意味です。「音」は、念仏の声を意味しています。したがって、「大音」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-6正覺大音
498大願だいがん「大」は、おおきい、すばらしいという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「大願」という法名には、わたしたちが本当にねがっている大きなすばらしい願いに気づいてほしいという願いを込めさせていただいております。15-6無量大願
499大光だいこう「大」は、人のはからいを超えた仏のはたらきを意味しています。「光」は、すべての人を照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「大光」という法名には、一切の人をわけへだてなくおさめとる仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-10神力演大光
500大號だいごう「大」は、人のはからいを超えた仏のはたらきを意味しています。「號」は、阿弥陀仏の本願の名告りである名号を意味しています。したがって、「大號」という法名には、お念仏を通して本願のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。1-6尊者大號
501大慈だいじ「大」は、おおいなるという意味があります。「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。したがって、「大慈」という法名には、おおいなる阿弥陀仏の慈悲に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-8大慈悲聲
502大地だいじ阿弥陀仏の本願は、「大地」に喩えらまれす。したがって、「大地」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-6猶如大地
503諦住たいじゅ「諦」には、あきらかにするという意味があります。「住」とは、居場所を見い出すことを意味しています。したがって、「諦住」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、居場所をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。6-5心常諦住
504大住だいじゅ「大」は、人のはからいを超えた仏のはたらきを意味しています。「住」は、居場所が与えられたことを意味しています。したがって、「大住」という法名には、本願のこころに出遇い居場所を見いだしてほしいという願いを込めさせていただいております。1-11尊者大住
505大照だいしょう「大」は、人のはからいを超えた仏のはたらきを意味しています。「照」は、すべての人を照らしつつむ仏の光明のはたらきを意味しています。したがって、「大照」という法名には、仏の光明に照らされていることに気づいてほしいという願いを込めさせていただいております。25-10神力演大光普照無際土
506大淨だいじょう「大」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「淨」は、平等で、きよらかな阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「大淨」という法名には、平等で、きよらかな阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。1-11尊者大淨志
507大乘だいじょう「大」は、人のはからいを超えた仏の大いなるはたらきを意味しています。「乘」には、乘り物という意味があります。したがって、「大乘」という法名には、人のはからいを超えた仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-11猶如大乘
508諦善たいぜん「諦」は、あきらかにするという意味です。人に本当のめぐみをあたえるものを「善」といいます。したがって、「諦善」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-9深諦善念
509大智だいち「大」は、仏の大いなるはたらきを意味しています。「智」は、仏の智慧という意味です。したがって、「大智」という法名には、人のはからいを超えた仏の大いなるはたらきに出遇い、仏の智慧をえてほしいという願いを込めさせていただいております。11-13功勲廣大 智慧深妙
510諦聽たいちょう「諦」とは、あきらかという意味です。「聽」は、きくということです。したがって、「諦聽」という法名には、仏のまことの教えを聽き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。8-11阿難諦聽
511諦道たいどう「諦」とは、あきらかにするという意味です。「道」とは、仏道という意味です。したがって、「諦道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。6-5心常諦住 度世之道
512大等だいとう「大」は、人のはからいを超えた仏の大いなるはたらきを意味しています。「等」は、すべてを等しく見ることができることを意味しています。したがって、「大等」という法名には、すべてを等しく見ることができる仏の大いなるはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-4大慈等故
513諦念たいねん「諦」は、あきらかにするという意味です。「念」は、念仏という意味です。したがって、「諦念」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-9深諦善念
514大法だいほう「大」は、人のはからいを超えた仏の大いなるはたらきを意味しています。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「大法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-12震大法雷
515多聞たもん「多」は、多いという意味です。「聞」とは、本願念仏の教えを聞くことを意味しています。したがって、「多聞」という法名には、本願念仏の教えを聞く人になってほしいという願いを込めさせていただいております。56-13多聞之力
516端正たんじょう「端正」には、すがたかたちが整っているという意味があります。したがって、「端正」という法名には、念仏の教えを身をもって生きる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。39-14顔貌端正
517湛然たんねん「湛」は、たたえるという意味です。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「湛然」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。37-2湛然盈滿
518智音ちおん「智」は、仏の智慧を意味しています。「音」には、こえという意味があります。したがって、「智音」という法名には、仏の呼びかけを聞いて念仏する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-3辯才之智 入衆言音
519智海ちかい「智」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「海」は、限りなくひろくて深いさまをあらわします。したがって、「智海」という法名には、人のはからいを超え、限りなくひろくて深い仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-3智慧如大海
520致敬ちきょう「致」は、いたす、つくすという意味です。「敬」は、うやまうという意味です。したがって、「致敬」という法名には、念仏の仏道を歩み、共に歩む人々をうやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。22-9莫不致敬
521値經ちきょう「値」には、であうという意味があります。「經」は、仏の教えを意味しています。したがって、「値經」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。87-3値斯經者
522知行ちぎょう「知」は、さとるという意味です。「行」は、念仏という意味です。したがって、「知行」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。13-6知我心行
523値見ちけん「値」には、であうという意味があります。「見」には、まみえるという意味があります。したがって、「値見」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。87-5難値難見
524智眼ちげん「智」は、仏の智慧を意味しています。「眼」は、仏のまなこを意味しています。したがって、「智眼」という法名には、仏の智慧の眼をいただいてほしいという願いを込めさせていただいております。25-12開彼智慧眼
525智光ちこう「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「智光」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。11-13智慧深妙 光明威相
526智言ちごん「智」とは、仏の智慧を意味しています。「言」には、言葉という意味があります。したがって、「智言」という法名には、仏の呼びかけを聞いて念仏する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-3辯才之智 入衆言音
527智勝ちしょう「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「勝」は、すぐれたという意味です。したがって、「智勝」という法名には、なによりもすぐれた阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。11-7三昧智慧 威德無侶 殊勝希有
528智照ちしょう「智」は、仏の智慧を意味しています。「照」は、照らされるという意味です。したがって、「智照」という法名には、仏の智慧に照らされていることに気づいてほしいという願いを込めさせていただいております。26-4如佛無礙智通達靡不照
529智定ちじょう「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「定」には、さだまるという意味があります。したがって、「智定」という法名には、阿弥陀仏の本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-14諸根智慧 廣普寂定
530知心ちしん「心」は、阿弥陀仏のこころという意味です。「知」は、さとるという意味です。したがって、「知心」という法名には、阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。13-6知我心行
531智深ちじん「智」とは、阿弥陀仏の智慧を意味します。「深」とは、ふかいという意味です。したがって、「智深」という法名には、仏の深い智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。11-13智慧深妙
532智洞ちとう「智」は、仏の智慧を意味しています。「洞」には、みぬくという意味があります。したがって、「智洞」という法名には、人間のすべてを見ぬく仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。32-6神智洞達
533智導ちどう「智」とは、仏の智慧を意味します。「導」とは、みちびくという意味です。したがって、「智導」という法名には、仏の智慧に甜かれてまことの人生を生きてほしいという願いを込めさせていただいております。8-5其智難難 多所導御
534値道ちどう「値」には、であうという意味があります。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「値道」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇い念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。87-5難値難見 諸佛經道
535智德ちとく「智」とは、仏の智慧のはたらきを意味します。「德」は、功徳という意味があります。したがって、「智德」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、真実の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。11-7三味智慧 威德無侶
536値得ちとく「値」には、であうという意味があります。「得」には、えるという意味があります。したがって、「値得」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。87-3値斯經者 隨意所願 皆可得度
537知法ちほう「知」には、信じるという意味があります。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「知法」という法名には、本願念仏の教えを信じ、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。48-12知法如電影
538智妙ちみょう「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「妙」は、なによりもすぐれたという意味です。したがって、「智妙」という法名には、なによりもすぐれた阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。11-13智慧深妙
539知明ちみょう「知」は、しるという意味です。「明」は、あきらかという意味です。したがって、「知明」という法名には、すべてをあきらかに知るという仏の智懃にめざめてほしいという願いを込めさせていただいております。14-3知其高明 志願深廣
540智明ちみょう「智」は、仏の智慧を意味しています。「明」は、あかるいという意味があります。したがって、「智明」という法名には、人間の附を照らしだす仏の智慧に目覚めてほしいという)傾いを込めさせていただいております。39-12智慧高明
541智勇ちゆう「智」には、人のはからいを超えた仏の智慧という意味があります。「勇」には、いさましいという意味があります。したがって、「智勇」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという頗いを込めさせていただいております。45-4智慧勇猛
542聽受ちょうじゅ「聽」には、きくという意味があります。「受」には、うけるという意味があります。したがって、「聽受」という法名には、念仏の教えを聽聞する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。65-1聰受經法
543超住ちょうじゅう「超」には、こえるという意味があります。「住」には、とどまるという意味があります。したがって、「超住」という法名には、迷いを超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。6-4超過世間諸所有法心常諦住
544超勝ちょうしょう「超」には、こえるという意味があります。「勝」には、すぐれるという意味があります。したがって、「超勝」という法名には、人のはからいを超えた阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-16超勝獨妙
545澄淨ちょうじょう「澄」は、すむという意味があります。「淨」は、きよらかという意味があります。したがって、「澄淨」という法名には、きよらかですんだ阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。38-3淸明澄潔 淨若無形
546超心ちょうしん「超」には、こえるという意味があります。「心」は、仏のこころを意味します。したがって、「超心」という法名には、人間のはからいを超えた仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-4超過世間 諸所有法 心常諦住
547超世ちょうせ「超」は、すぐれるという意味です。「世」は、世界という意味です。したがって、「超世」という法名には、この世を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。11-5超世無倫
548超諦ちょうたい「超」には、こえるという意味があります。「諦」には、あきらかにするという意味があります。したがって、「超諦」という法名には、人間の分別を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。超過世間 諸所有法 心常諦住
549聽法ちょうぽう「聽」には、きくという意味があります。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「聽法」という法名には、仏の教えを聽き、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。52-15聽受經法
550超發ちょうほつ「超」は、この世をこえているという意味です。「發」は、おこすという意味です。したがって、「超發」という法名には、この世の常識を超えておこされた阿弥陀仏の本願に生きてほしいという願いを込めさせていただいております。14-11超發無上殊勝之願
551暢發ちょうほつ「暢」は、阿弥陀仏の本頻が行きわたることを意味しています。「發」には、おこすという意味があります。したがって、「暢發」という法名には、生きとし生けるものを救うためにおこされた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。47-8暢發和雅音
552暢妙ちょうみょう「暢」は、阿弥陀仏の本願が行きわたることを意味しています。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「暢妙」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。51-15究暢要妙
553暢要ちょうよう「暢」は、阿弥陀仏の本願が行きわたることを意味しています。「要」には、最も大切なという意味があります。したがって、「暢要」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇うことを大切にして人生を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。51-15究暢要妙
554超量ちょうりょう「超」とは、こえるという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「超量」という法名には、人間の思いを超えてはかることができない仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-5超絶無量
555智量ちりょう「智」とは、仏の智慧を意味します。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「智量」という法名には、はかりなき仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。8-5其智難是
556通慧つうえ「通」は、つうじるという意味があります。「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。したがって、「通慧」という法名には、仏の智慧に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。38-9諸通慧聲
557通明つうみょう「通」には、すべての人に通じるという意味があります。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「通明」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-15諸通明力
558徹照てっしょう「徹」には、つらぬきとおすという意味があります。「照」は、闇を照らす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「徹照」という法名には、人間の闇をつらぬき照らす阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。63-14光明徹照
559道意どうい「道」は、仏道という意味です。「意」は、仏のこころを意味しています。したがって、「道意」という法名には、仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10尋發無上正眞道意
560等覺とうがく「等」は、すべてを等しく見ることのできる眼を意味しています。「覺」は、仏のさとりを意味しています。したがって、「等覺」という法名には、すべての人を等しく救う仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-13現成等覺
561等觀とうかん「等」は、等しいという意味です。「觀」には、みまもるという意味があります。したがって、「等觀」という法名には、すべての生きとし生けるものを見守ってくださる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-10等觀三界
562導行どうぎょう「導」とは、みちびくという意味です。「行」は、念仏という意味です。したがって、「導行」という法名には、阿弥陀仏の浄土にみちびく念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-8住導師行
563等現とうげん「等」は、すべてを等しく見ることのできる仏の眼を意味しています。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「等現」という法名には、すべてを等しく見ることのできる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-9成等正覺 示現滅度
564道堅どうけん「道」とは、仏道という意味です。「堅」は、つよいという意味です。したがって、「道堅」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。12-8不如求道 堅正不却
565道實どうじつ「道」とは、仏道という意味です。「實」とは、まことという意味です。したがって、「道實」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという顧いを込めさせていただいております。8-1光闊道教 欲拯群萌
恵以眞實之利
566道樹どうじゅ「道」は、仏道を意味しています。「樹」は、釈腺がさとりを開いた菩提樹を意味しています。したがって、「道樹」という法名には、釈尊が示す仏道に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。35-3其道場樹
567等正とうしょう「等」は、ひとしいという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「等正」という法名には、すべての人に通じる仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-7應供等正覺
568等勝とうしょう「等」は、すべてを等くし見ることができる仏の眼を意味しています。「勝」は、すぐれるという意味があります。したがって、「等勝」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-3等心勝心
569等淨とうじょう「等」は、すべてを等しく見ることができる眼を意味しています。「淨」は、きよらかという意味です。したがって、「等淨」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-6等一淨故
570道正どうしょう「道」は、仏道という意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味です。したがって、「道正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共にお念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。12-8不如求道 堅正不却
571道聲どうしょう「道」には、正しいすじ道という意味があります。「聲」には、仏からの呼びかけという意味があります。したがって、「道聲」という法名には、すべての人が救われる正しい道を知らせる阿弥陀仏の呼びかけに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-6我至成佛道名聲超十方
572等心とうしん「等」は、すべてを等しく見ることができる眼を意味しています。「心」は阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「等心」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-3等心勝心
573道眞どうしん「道」とは、仏道という意味です。「眞」とは、まことという意味です。したがって、「道眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。8-1光闡道教 欲拯群萌 恵以眞實之利
574導宣どうせん「導」には、みちびくという意味があります。「宣」には、教えをのべ伝えるという意味があります。したがって、「導宣」という法名には、阿弥陀仏の本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-5如來導化 各能宜布
575洞達とうだつ「洞」には、みぬくという意味があります。「達」には、とおるという意味があります。したがって、「洞達」という法名には、人間のすべてを見ぬく仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。32-6神智洞達
576道超どうちょう「道」とは、仏道という意味です。「超」は、人のはからいをこえているという意味です。したがって、「道超」という法名には、本願念仏の道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。12-14道場超絶
577道明どうみょう「道」は、仏道を意味しています。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「道明」という法名には、阿弥陀仏の光明に照らされて、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。65-9長與道德合明
578等曜とうよう「等」は、すべてを等しく見ることができる眼を意味しています。「曜」は、かがやくという意味です。したがって、「等曜」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。9-6次名須禰等曜
579德慧とくえ「德」とは、功徳という意味です。「慧」とは、智慧を意味します。したがって、「德慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、真実の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。6-13無量功德 智慧聖明
580德行とくぎょう「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「德行」という法名には、念仏申す生活を通して、阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。27-2無量德行
581德香とくこう「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「香」は、その功德のかぐわしさを意味しています。したがって、「德香」という法名には、阿弥陀仏の功徳に出遇って念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。42-11温雅德香
582得住とくじゅ「得」には、えるという意味があります。「住」とは、居場所が与えられたことを意味しています。したがって、「得住」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、居場所をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-4皆已得住
583得正とくしょう「得」は、えるという意味です。「正」には、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「得正」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。3-13得微妙法 成最正覺
584德勝とくしょう「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「勝」には、すぐれるという意味があります。したがって、「德勝」という法名には、なにものにもすぐれた阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。63-2功德殊勝
585得成とくじょう「得」は、えるという意味です。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「得成」という法名には、聞法とお念仏の生活によって、人生を尽くし遂げてほしいという願いを込めさせていただいております。3-13得微妙法 成最正覺
586德成とくじょう「德」は、仏のはたらきによる功徳を意味しています。「成」には、成しとげられるという意味があります。したがって、「德成」という法名には、仏のはたらきによる功徳をえて、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。26-2具足衆德本願慧悉成滿
587得淨とくじょう「得」は、えるという意味です。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「得淨」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。87-13得淸淨法眼
588德信とくしん「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「信」は、信心を意味しています。したがって、「德信」という法名には、阿弥陀仏の功徳によって信心をえてほしいという願いを込めさせていただいております。81-14作諸功德 信心回向
589得深とくじん「得」は、えるという意味です。「深」は、ふかいという意味があります。したがって、「得深」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-12得深法忍
590得宣とくせん「得」は、えるという意味です。「宣」には、教えをのべ伝えるという意味があります。したがって、「得宣」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-15得佛華嚴三味 宣暢演説
591德善とくぜん「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。人々に本当のめぐみを与えるものを「善」といいます。したがって、「德善」という法名には、念仏の生活を通して、阿弥陀仏の功徳を得ていってほしいという願いを込めさせていただいております。29-16功德善力
592得智とくち「得」には、えるという意味があります。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「得智」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-3得諸如来 辯才之智
593德智とくち「德」とは、功徳という意味です。「智」とは、仏の智慧のはたらきを意味します。したがって、「德智」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、真実の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。6-13無量功德 智慧聖明
594得道とくどう「得」とは、えるという意味です。「道」とは、仏道という意味です。したがって、「得道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。9-3皆令得道
595德道とくどう「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「德道」という法名には、阿弥陀仏の功徳によって念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。71-10獲其福德 度世上天 泥洹之道
596德風とくふう「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「風」は、仏のはたらきが吹きわたることを意味しています。したがって、「德風」という法名には、阿弥陀仏の功徳を得て、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。42-7自然德風
597德法とくほう「德」は、仏のはたらきによる功徳を意味しています。「法」には、救いのすじみち、道理という意味があります。したがって、「德法」という法名には、仏のはたらきによって救われていく本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-11功德之法
598得法とくほう「得」は、えるという意味です。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「得法」という法名には、仏の教えを聽聞する生活を送ってほしいという顧いを込めさせていただいております。3-13得微妙法
599得寶とくほう「得」は、える、手にいれるという意味です。「寶」は、なにものにもかえがたい瑚いものを意味しています。したがって、「得寶」という法名には、なにものにもかえがたい阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。14-6得其妙寶
600德寶とくほう「德」は、仏のはたらきによる功徳を意味しています。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「德寶」という法名には、なにものにもかえがたい仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。25-16廣施功德寶
601德本とくほん「德」は、功徳という意味です。「本」は、根本という意味です。したがって、「德本」という法名には、さまざまな功徳をうむ根本である念仏を称えてほしいという願いを込めさせていただいております。19-1積累德本
602得妙とくみょう「得」は、える、手にいれるという意味です。「妙」は、たえ、すばらしいという意味です。したがって、「得妙」という法名には、すばらしい阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。14-6得其妙寶
603得明とくみょう「得」には、えるという意味があります。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「得明」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。64-3心得開明
604得聞とくもん「得」は、える、手にいれるという意味です。「聞」は、仏の教えを聞くという意味です。したがって、「得聞」という法名には、念仏する生活のなかで、いつでも仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。24-7自然得聞
605德量とくりょう「德」は、功徳という意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「德量」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。11-12神德無量
606柔順にゅうじゅん「柔」は、やわらかという意味があります。「順」は、すなおという意味があります。したがって、「柔順」という法名には、仏の教えにうなづいてほしいという願いを込めさせていただいております。36-2二者柔順忍
607入寶にゅうほう「入」は、はいるという意味があります。「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「入寶」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。37-13若入寶池
608然願ねんがん「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「願」とは、阿弥陀仏の願いを意味します。したがって、「然願」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。8-11對日唯然 願樂欲聞
609然樂ねんぎょう「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「樂」は、ねがうという意味です。したがって、「然樂」という法名には、仏の願いを聞き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。8-11對日唯然 願樂欲聞
610念生ねんしょう「念」は、おもうという意味です。「生」とは、うまれるという意味です。したがって、「念生」という法名には、阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。7-16愍念衆生
611然聲ねんしょう「然」は、阿弥陀仏の自然のはたらきを意味しています。「聲」は、念仏のこえを意味しています。したがって、「然聲」という法名には、阿弥陀仏の呼びかけである念仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-5自然妙聲
612念淨ねんじょう「念」には、心におもって忘れないという意味があります。「淨」には、きよらかにするという意味があります。したがって、「念淨」という法名には、阿弥陀仏の、この世をきよらかにしようとするおはたらきを、いつまでも忘れないでほしいという顧いを込めさせていただいております。25-8離欲深正念淨慧修梵行
613然成ねんじょう「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「然成」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという顆いを込めさせていただいております。35-5自然合成
614博綜はくそう「博」には、あまねくゆきわたるという意味があります。「綜」には、すべてを集めるという意味があります。したがって、「博綜」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。3-2博綜道術
615博道はくどう「博」には、あまねくゆきわたるという意味があります。「道」には、正しいすじみちという意味があります。したがって、「博道」という法名には、すべての人が救われる正しい道である本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。3-2博綜道術
616普願ふがん「普」は、ゆきわたるという意味です。「願」は、仏の本願を意味します。したがって、「普願」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。12-3普行此願
617普行ふぎょう「普」は、ゆきわたるという意味です。「行」は、念仏という意味です。したがって、「普行」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。12-3普行此願
618普薫ふくん「普」は、あまねく、すみずみまでゆきわたるという意味です。「薫」は、かおる、よいにおいがたちこめるという意味です。したがって、「普薫」という法名には、あらゆる世界にゆきわたる浄土のよいかおりを感じて、念仏して生きてほしいという願いを込めさせていただいております。21-4其香普蕉
619普現ふげん「普」は、あまねく平等という意味です。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「普現」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。4-12普現道教
620普照ふしょう「普」は、あまねくという平等の心を意味しています。「照」は、生きとし生けるものを照らし出しつつみ込む仏のはたらきを意味しています。したがって、「普照」という法名には、そのような仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-15普照十方
621普説ふせつ「普」は、あまねく十方にという意味です。「説」には、法を説くという意味があります。したがって、「普説」という法名には、あまねく十方に説かれる本願の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。43-9普爲十方 説微妙法
622普念ふねん「普」は、あまねく十方にという意味です。「念」は、念仏申すことを意味しています。したがって、「普念」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。49-9普念度一切
623法慧ほうえ「法」は、仏の教えという意味です。「慧」は、仏のさとりという意味です。したがって、「法慧」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。10-4次名法慧
624寶映ほうえい「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「映」は、照らし輝くという意味があります。したがって、「寶映」という法名には、人間の閤を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-3寶沙映撤
625法悦ほうえつ「法」は、仏の教えという意味です。「悦」は、よろこぶという意味です。したがって、「法悦」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10聞佛説法 心懐悦豫
626法演ほうえん「法」は、救いのすじみち、道理を意味しています。「演」は、おしひろめるという意味があります。したがって、「法演」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-10演出無量 妙法音聲
627法縁ほうえん「法」とは、仏の教えという意味があります。「縁」とは、えにし、ゆかりという意味があります。したがって、「法縁」という法名には、仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-14心以法縁
628寶英ほうおう「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「英」は、仏のはたらきが他よりすぐれていることを意味しています。したがって、「寶英」という法名には、なにものにもかえがたい仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-8寶英菩薩
629法音ほうおん「法」には、すじみち、道理という意味があります。「音」には、こえという意味があります。したがって、「法音」という法名には、仏の呼びかけの声に耳をかたむけてほしいという願いを込めさせていただいております。4-1常以法音 覺諸世間
630寶音ほうおん「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「音」は、こえという意味があります。したがって、「寶音」という法名には、なにものにもかえがたい念仏の声に耳をかたむけてほしいという願いを込めさせていただいております。36-8諸七寶樹 一種音聲
631法海ほうかい「法」は、仏の教えという意味です。「海」は、ひろく深い世界という意味です。したがって、「法海」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、ひろくて深い阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。11-9諸佛法海
632法覺ほうかく「法」は、仏の教えを意味します。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「法覺」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-1常以法音 覺諸世間
633法行ほうぎょう「法」は、仏の教えを意味しています。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「法行」という法名には、仏の教えを信じ、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。87-10如法修行
634寶華ほうけ「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「華」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「寶華」という法名には、なにものにもかえがたい阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。43-3ー一寶華
635法護ほうご「法」とは、仏法を意味します。「護」とは、まもるという意味です。したがって、「法護」という法名には、仏法を設る者になってほしいという願いを込めさせていただいております。6-8甚深法蔵 護佛種性
636寶沙ほうしゃ「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「沙」は、無数のすなという意味があります。したがって、「寶沙」という法名には、すべての人が光り輝く阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。38-3寶沙映徹
637寶樹ほうじゅ「寶」は、たからという意味です。「樹」は、浄土の樹木を意味します。したがって、「寶樹」という法名には、阿弥陀仏の浄土では、宝樹のかおりや葉音に仏の教えが聞かれているように、生活のいたるところで仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。23-1於寶樹中
638法住ほうじゅう「法」は、仏の本願の教えを意味しています。「住」には、居場所が定まるという意味があります。したがって、「法住」という法名には、仏の本願の教えに掃依し、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。27-10住空無相 無願之法
639寶照ほうしょう「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「照」は、てらすという意味があります。したがって、「寶照」という法名には、人間の闇を照らしだす阿弥陀仏に出遇い、浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。38-3寶沙映徹 無深不照
640法聲ほうしょう「法」は、すじみち、道理を意味しています。「聲」は、念仏の声を意味しています。したがって、「法聲」という法名には、あらゆる人々を救わずにはおれないという本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-6或聞法聲
641法常ほうじょう「法」とは、仏法を意味します。「常」とは、つねという意味です。したがって、「法常」という法名には、仏の教えを聞き、つねにお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。6-8甚深法蔵護佛種性常使不絶
642寶成ほうじょう「寶」は、なにものにもかえがたい眸いものを意味しています。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「寶成」という法名には、本当に尊いものとの出遇いを成し遂げてほしいという願いを込めさせていただいております。28-16自然七寅金銀瑠璃珊瑚琥珀碑裸砥砥合成爲地
643寶成ほうじょう「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「寶成」という法名には、本当に尊いものとの出遇いを成し遂げてほしいという願いを込めさせていただいております。33-7乃至七寶韓共合成
644法聲ほうじょう「法」は、すじみち、道理を意味しています。「菩」は、念仏の声を意味しています。したがって、「法啓」という法名には、あらゆる人々を救わずにはおれないという本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-10妙法音啓
645法信ほうしん「法」は、仏の教えを意味しています。「信」は、信心を意味しています。したがって、「法信」という法名には、仏の教えを信じて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86-10聞是經法歡喜信架
646法宣ほうせん「法」には、すじみち、道理という意味があります。「宣」は、教えをのべ伝えるという意味です。したがって、「法宣」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-6光融佛法宣流正化
647寶蔵ほうぞう「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「蔵」はおさめるという意味です。したがって、「寶蔵」という法名には、はかりがたき功徳をおさめた尊い本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。27-16無量寶蔵
648法得ほうとく「法」は、仏の教えを意味しています。「得」は、えるという意味です。したがって、「法得」という法名には、仏の教えを聽聞する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。65-1聽受經法又復得聞
649法忍ほうにん「法」は、仏の教えを意味しています。「忍」は、やすんじるという意味があります。したがって、「法忍」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという顧いを込めさせていただいております。35-12得深法忍
650法潤ほうにん「法」は、仏の教えを意味します。「潤」は、うるおすという意味です。したがって、「法潤」という法名には、人間に潤いを与える本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-13雨甘露法 潤衆生故
651寶網ほうもう「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「網」は、生きとし生けるものを救う阿弥陀仏の慈悲を意味しています。したがって、「寶網」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の慈悲のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。42-4無量寶網
652法了ほうりょう「法」は、仏の教えという意味です。「了」には、さとりという意味があります。したがって、「法了」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-9曉了幻化之法
653寶鈴ほうりょう「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「鈴」は、はたらきが響きわたることを意味しています。したがって、「寶鈴」という法名には、世界に押きわたる阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。42-7垂以寶鈴
654法流ほうる「法」は、救いのすじみち、道理を意味しています。「流」には、ゆきわたるという意味があります。したがって、「法流」という法名には、どんな人も救わずにはおかないという本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-10妙法音聲 其聲流布
655寶蓮ほうれん「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「蓮」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「寶蓮」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。43-3又衆寶蓮華
656發眞ほっしん「發」にはあらわれるという意味があります。「發眞」は、まことという意味です。したがって、「發眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10尋發無上正眞道意
657發心ほっしん「發」は、おこる、おこすの意味で。す「心」は、さとりを求める心の意味です。したがって、「發心」という法名には、仏のさとりを求めていく心をおこしてほしいという願いを込めさせていただいております。13-10我發無上正眞之心
658妙安みょうあん「妙」には、すぐれたという意味があります。「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。したがって、「妙安」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。57-10微妙安樂
659明意みょうい「明」には、あきらかにするという意味があります。「意」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「明意」という法名には、本願念仏の教えに出遇って、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-14本學明了 在意所爲
660明威みょうい「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「威」には、すぐれているという意味があります。したがって、「明威」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきである光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。31-12光明威神
661明慧みょうえ「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「明慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。82-2身相光明 智慧功德
662妙音みょうおん「妙」には、すぐれたという意味があります。「音」には、こえという意味があります。したがって、「妙音」という法名には、浄土からの呼びかけである念仏の声を聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。39-2諸妙音聲
663明皆みょうかい「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「皆」には、すべての人という意味があります。したがって、「明皆」という法名には、すべての人を照らしつつむ阿弥陀仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。31-2見此光明 皆得休息
664明願みょうがん「明」は、あかるいという意味です。「願」は阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「明願」という法名には、すべてを照らす阿弥陀仏の本顧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。36-4明了願故
665妙願みょうがん「妙」には、すぐれたという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「妙願」という法名には、阿弥陀仏のすぐれた本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。48-11滿足諸妙願
666明鏡みょうきょう「明」は、あきらかという意味です。「鏡」は、自分をうつすかがみという意味です。したがって、「明鏡」という法名には、鏡に自分をうつしてみるように、あきらかに世界をみることができるようになってほしいという願いを込めさせていただいております。20-15猶如明鏡 覩其面像
667明行みょうぎょう「明」は、きよくあかるいという意味です。「行」は、念仏という意味があります。したがって、「明行」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。10-8明行足
668妙薫みょうくん「妙」には、すぐれたという意味があります。「薫」は、かおるという意味です。したがって、「妙薫」という法名には、阿弥陀仏のかぐわしい慈悲の功徳に出遇って、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。28-6其香普薫 無量世界 容色端正 相好殊妙
669妙華みょうけ「妙」には、すぐれたという意味があります。「華」は、仏のさとりを意味しています。したがって、「妙華」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという頼いを込めさせていただいております。26-7當雨珍妙華
670妙快みょうけ「妙」には、すぐれたという意味があります。「快」は、苦楽を超えたこころよさを意味しています。したがって、「妙快」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。39-11微妙快樂
671妙雅みょうげ「妙」には、すぐれたという意味があります。「雅」は、みやびという意味があります。したがって、「妙雅」という法名には、みやびで、すぐれた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。36-11微妙和雅
672明顯みょうけん「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「顯」は、あきらかにするという意味です。したがって、「明顯」という法名には、人間の闇を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2月15日光明顯曜
673妙光みょうこう「妙」は、すぐれたという意味です。「光」は、われわれを照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「妙光」という法名には、生きとし生けるものを照らしつつむ、すぐれた仏の光明のはたらきを感じる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-13智慧深妙 光明威相
674妙香みょうこう「妙」には、すぐれたという意味があります。「香」は、かおりを意味しています。したがって、「妙香」という法名には、すぐれた阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。39-3衆妙華香
675妙響みょうこう「妙」には、すぐれたという意味があります。「響」は、阿弥陀仏のはたらきが響きわたることを意味しています。したがって、「妙響」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。48-6八音暢妙響
676妙嚴みょうごん「妙」は、思いはかることができないことを意味しています。「嚴」は、おごそかにおかざりすることを意味しています。したがって、「妙嚴」という法名には、阿弥陀仏の本願によっておごそかにおかざりされた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。80-8微妙嚴淨
677妙最みょうさい「妙」には、すぐれたという意味があります。「最」には、このうえなくという意味があります。したがって、「妙最」という法名には、すべての人が救われる、このうえない本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。3月13日得微妙法 成最正覺
678明志みょうし「明」は、あきらかという意味です。「志」は、仏道をもとめるこころという意味です。したがって、「明志」という法名には、仏道をもとめるという、あきらかですばらしいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。14-3知其高明 志願深廣
679明珠みょうじゅ「明」は、あかるいという意味があります。「珠」は、うつくしいたまを意味しています。したがって、「明珠」という法名には、美しい珠にたとえられる念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。39-6明月眞珠
680妙正みょうしょう「妙」には、すぐれたという意味があります。「正」には、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「妙正」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。3-13得微妙法 成最正覺
681明淸みょうしょう「明」は、あかるいという意味があります。「淸」には、きよらかという意味があります。したがって、「明淸」という法名には、きよらかであかるい阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。4-6顯明淸白
682妙稱みょうしょう「妙」には、すぐれたという意味があります。「稱」には、となえるという意味があります。したがって、「妙稱」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこび、となえる身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-2究暢要妙 名稱普至
683明照みょうしょう「明」は、阿弥陀仏の光明という意味があります。「照」は、てらしあかすという意味です。したがって、「明照」という法名には、すべての人を照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。12-11光明悉照
684明證みょうしょう「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「證」は、あかすという意味です。したがって、「明證」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。13-3幸佛信明 是我眞證
685妙聲みょうしょう「妙」には、すぐれたという意味があります。「聲」は、仏のこえを意味しています。したがって、「妙聲」という法名には、阿弥陀仏の呼びかけのこえに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。38-5自然妙聲
686妙淸みょうしょう「妙」は、思いはかることができないことを意味しています。「淸」は、きよらかという意味です。したがって、「妙淸」という法名には、人間のはからいを超えたきよらかな阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。57-10微妙安樂 淸淨若此
687妙淨みょうじょう「妙」には、すぐれたという意味があります。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「妙淨」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという顧いを込めさせていただいております。57-10微妙安樂 淸淨若此
688明淨みょうじょう「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「明淨」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇い、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。55-4慧光明淨
689明眞みょうしん「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「眞」は、真実を意味しています。したがって、「明眞」という法名には、阿弥陀仏の真実なる光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。45-13光明相好 具如眞佛
690明信みょうしん「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「信」は、信心を意味しています。したがって、「明信」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇い、本願を信じて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。81-13明信佛智
691明智みょうち「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「明智」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。81-13明信佛智
692明暢みょうちょう「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「暢」とは、ゆきわたるという意味です。したがって、「明暢」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-4如明淨鏡 影暢表裏
693明頂みょうちょう「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「頂」とは、いただくという意味です。したがって、「明頂」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。9-8次名安明頂
694妙頂みょうちょう「妙」は、すぐれたという意味です。「頂」は、いただくという意味です。したがって、「妙頂」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。9-14次名妙頂
695妙超みょうちょう「妙」は、すぐれたという意味です。「超」は、はからいをこえたという意味です。したがって、「妙超」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。12-14其衆奇妙 道場超絶
696明澄みょうちょう「明」は、あかるいという意味があります。「澄」は、すむという意味があります。したがって、「明澄」という法名には、あかるく、すんだ阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。38-3淸明澄潔 淨若無形
697妙暢みょうちょう「妙」には、すぐれたという意味があります。「暢」は、阿弥陀仏の本願が行きわたることを意味しています。したがって、「妙暢」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。48-6八音暢妙響
698明等みょうとう「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「等」は、ひとしいという意味です。したがって、「明等」という法名には、すべての人を等しく照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。11-2如是焔明 無與等者
699妙導みょうどう「妙」には、すぐれたという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「妙導」という法名には、本願念仏の教えに出遇い尊かれて、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。5-2究暢要妙 名稱普至 導御十方
700妙道みょうどう「妙」は、すぐれたという意味です。「道」は、仏道という意味です。したがって、「妙道」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。12-14其衆奇妙 道場超絶
701明德みょうとく「明」は、あきらかになるということを意味しています。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「明德」という法名には、聞法生活を通して、阿弥陀仏の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。31-7聞其光明 威神功德
702妙德みょうとく「妙」には、すぐれたという意味があります。「德」は、功徳という意味があります。したがって、「妙德」という法名には、すぐれた阿弥陀仏の功徳を得て
ほしいという願いを込めさせていただいております。
39-2諸妙音聲 神通功德
703妙然みょうねん「妙」は、すぐれたという意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「妙然」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。35-1微妙宮商 自然相和
704妙然みょうねん「妙」は、すぐれたという意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「妙然」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。80-8微妙嚴淨 自然之物
705妙寶みょうほう「妙」は、たえ、すばらしいという意味です。「寶」は、たからという意味です。したがって、「妙寶」という法名には、仏と成るという、本当にすばらしいたからを得てほしいという顧いを込めさせていただいております。14-6得其妙寶
706明養みょうよう「明」には、あきらかという意味があります。「養」には、やしないそだてるという意味があります。したがって、「明養」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、育てられてほしいという願いを込めさせていただいております。5-7明了諸國 供養諸佛
707明曜みょうよう「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「曜」には、光り輝くという意味があります。したがって、「明曜」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。43-6明曜日月
708妙樂みょうらく「妙」には、すぐれたという意味があります。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「妙樂」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。57-10微妙安樂
709明了みょうりょう「明」には、あきらかにするという意味があります。「了」には、さとるという意味があります。したがって、「明了」という法名には、本願の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-14本學明了
710明量みょうりょう「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「明量」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。43-4其華光明 無量種色
711妙麗みょうれい「妙」は、思いはかることができないことを意味しています。「麗」は、うるわしいという意味です。したがって、「妙麗」という法名には、人間のはからいを超えた、うるわしい仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。29-3微妙奇麗
712妙和みょうわ「妙」には、すぐれたという意味があります。「和」は、なごやかという意味があります。したがって、「妙和」という法名には、すぐれて、なごやかな阿弥
陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。
36-11微妙和雅
713聞悦もんえつ「聞」は、聞きうけるという意味です。「悦」は、よろこぶという意味です。したがって、「聞悦」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10聞佛説法 心懐悦豫
714聞縁もんえん「聞」は、仏の教えを聞くという意味です。「縁」は、ごえんの意味です。したがって、「聞縁」という法名には、わたしたちが今生きているということには、無量のご縁があるということを仏の教えに聞き、気づいてほしいという願いを込めさせていただいております。15-5菩薩聞已 修行此法 縁致滿足
715聞樂もんぎょう「聞」には、信じるという意味があります。「樂」は、よろこぶという意味です。したがって、「聞樂」という法名には、本願の教えを信じ、よろこびに滿ちあふれた生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。49-3聞法樂受行
716聞經もんぎょう「聞」は、聞法することを意味しています。「經」は、仏の教えを意味しています。したがって、「聞經」という法名には、本願念仏の教えを聞く生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86-12聞此經者
717聞見もんけん「聞」は、仏の教えを聞くという意味です。「見」は、みるという意味です。したがって、「聞見」という法名には、浄土の教えを聞き、その世界のありようを見てほしいという願いを込めさせていただいております。14-10聞佛所説 嚴淨國土 皆悉覩見
718聞光もんこう「聞」は、聞法することを意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「聞光」という法名には、本願念仏の教えを聞くことを通して、人間の闇を照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという顔いを込めさせていただいております。31-7聞其光明
719聞香もんこう「聞」は、聞法することを意味しています。「香」は、かおるという意味です。したがって、「聞香」という法名には、聞法し、きよらかなかおりにみちた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。39-8但見色聞香
720聞號もんごう「聞」は、聞法することを意味しています。「號」は、阿弥陀仏の名号を意味しています。したがって、「聞號」という法名には、聞法して念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。86-6其有得聞 彼佛名號
721聞修もんしゅう「聞」は、仏の教えを聞くことを意味します。「修」は、おさめる、修行という意味です。したがって、「聞修」という法名には、仏の教えを聞き、仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。14-2我聞此已 當如説修行
722聞聲もんしょう「聞」は、きくという意味があります。「聲」は、念仏のこえという意味があります。したがって、「聞聲」という法名には、仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。38-6或聞佛聲
723聞淨もんじょう「聞」は、仏の教えを聞くという意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「聞淨」という法名には、すみきった世界である浄土の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。14-10聞佛所説 嚴淨國土
724聞心もんしん「聞」は、聞くという意味です。「心」は、仏のこころという意味です。したがって、「聞心」という法名には、仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10聞佛説法 心懐悦豫
725聞説もんせつ「聞」は、聞法するという意味です。「説」は、仏の説法を意味します。したがって、「聞説」という法名には、本願念仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。10-10聞佛説法
726聞得もんとく「聞」は、お念仏の教えを聞くことを意味しています。「得」は、えるという意味です。したがって、「聞得」という法名には、仏の教えを問き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。35-11其聞音者 得深法忍
727聞慧もんね「聞」は、聞くという意味です。「慧」は、仏のさとりという意味です。したがって、「聞慧」という法名には、仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。11-7戒聞精進 三昧智慧
728聞然もんねん「聞」は、お念仏の教えを聞くことを意味します。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「聞然」という法名には、人のはからいを超えた念仏の教えに出遇ってほしいという顔いを込めさせていただいております。42-11其有聞者 塵勞垢習 自然不起
729聞明もんみょう「聞」は、聞法することを意味しています。「明」は、あきらかになるということを意味しています。したがって、「聞明」という法名には、念仏の教えに出遇い、聞法生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。31-7聞其光明
730聞名もんみょう「聞」には、聞いて信じるという意味があります。「名」は、阿弥陀仏の名号を意味しています。したがって、「聞名」という法名には、名号を聞いて阿弥陀仏を信じる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。44-7聞其名號
731唯演ゆいえん「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「演」は、仏が教えを説きのべられることを意味します。したがって、「唯演」という法名には、他でもなく仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。13-16唯願世尊 廣爲敷演
732唯願ゆいがん「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「願」は、阿弥陀仏の本願のことです。したがって、「唯願」という法名には、他でもなく阿弥陀仏の本願にこそ頷いてほしいという願いを込めさせていただいております。13-16唯願世尊
733唯樂ゆいぎょう「唯」は、ただこのこと一つという意味があります。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「唯樂」という法名には、ただただ阿弥陀仏の安楽浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております56-9唯樂正道
734唯見ゆいけん「唯」には、ただこのこと一つという意味があります。「見」には、まみえるという意味があります。したがって、「唯見」という法名には、すべての人を救おうとする阿弥陀仏の本願にこそ出遇ってほしいという願いを込めさせていた
だいております。
79-13唯見大水
735唯顯ゆいけん「唯」には、ただこのこと一つという意味があります。「顯」は、あきらかにするという意味です。したがって、「唯顯」という法名には、人間の閤をあきらかにする本願念仏の教えにこそ出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。80-2唯見佛光 明曜顯赫
736唯廣ゆいこう「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「廣」は、ひろいという意味です。したがって、「唯廣」という法名には、他でもなく仏の教えをひろく、すみずみまで聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。13-16唯願世尊 廣爲敷演
737惟淸ゆいしょう「惟」は、おもう、よく考えるという意味です。「淸」は、きよらかという意味です。したがって、「惟淸」という法名には、阿弥陀仏がよく考えられ、えらびとられたきよらかな行によって浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。14-13思惟攝取 莊嚴佛國 淸淨之行
738惟淨ゆいじょう「惟」は、おもう、よく考えるという意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「惟淨」という法名には、阿弥陀仏がよく考えられ、えらびとられた、すみきった行によって浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。14-13思惟攝取 莊嚴佛國 淸淨之行
739唯聽ゆいちょう「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「聽」は、きくという意味です。したがって、「唯聽」という法名には、ただこのこと一つという、本当にきくべきものをきいてほしいという願いを込めさせていただいております。15-7唯垂聽察
740唯念ゆいねん「唯」とは、ただこのこと一つという意味です。「念」とは、念仏を指します。したがって、「唯念」という法名には、ただひとすじに念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-6唯然大聖 我心念言
741唯然ゆいねん「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「然」は、そのとおりという頷きの意味です。したがって、「唯然」という法名には、仏の教えこそ真実であると頷いてほしいという願いを込めさせていただいております。13-10唯然世尊
742唯明ゆいみょう「唯」には、ただこのこと一つという意味があります。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「唯明」という法名には、人間の闇を照らす阿弥陀仏の光明に、ただただ出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。80-2唯見佛光 明曜顯赫
743唯聞ゆいもん「唯」には、ただこのこと一つという意味があります。「聞」は、聞法することを意味しています。したがって、「唯聞」という法名には、聞法する生活をひたすら送ってほしいという願いを込めさせていただいております。80-11唯然已聞
744勇超ゆうちょう「勇」は、いさましいという意味です。「超」は、人のはからいをこえているという意味です。したがって、「勇超」という法名には、人のはからいを超えた仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。10-12高オ勇哲 與世超異
745曜慧ようえ「曜」は、仏のはたらきが光り輝いているありさまを意味しています。「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。したがって、「曜慧」という法名には、人のはからいをこえた仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。56-7曜慧日
746養敬ようきょう「養」には、やしないそだてるという意味があります。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「養敬」という法名には、本願念仏の教えにやしない育てられ、教えをうやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。28-4供養恭敬
747榮光ようこう「榮」には、さかえるという意味があります。「光」は、すべての人を照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「榮光」という法名には、すべての人を照らしつつむ仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。34-16榮色光耀
748英最ようさい「英」とは、すぐれているという意味です。「最」とは、もっともという意味です。したがって、「英最」という法名には、世を超えてもっともすぐれた仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-8今日世英 住最勝道
749英勝ようしょう「英」とは、ひいでるという意味です。「勝」とは、すぐれているという意味です。したがって、「英勝」という法名には、世間を超えて最もひいでた仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。7-8今日世英 住最勝道
750英道ようどう「英」とは、すぐれているという意味です。「道」は、仏道という意味です。したがって、「英道」という法名には、なによりもすぐれた仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。7-8今日世英 住最勝道
751欲聞よくもん「欲」には、ねがうという意味があります。「聞」は、聞法するという意味です。したがって、「欲聞」という法名には、仏の願いを聞き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。8-12願樂欲聞
752了意りょうい「了」には、さとるという意味があります。「意」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「了意」という法名には、本願念仏の教えに出遇って、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。4-14本學明了 在意所爲
753量慧りょうえ「最」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「慧」とは、仏の智慧を意味します。したがって、「量慧」という法名には、人知ではかれない仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-13無量功徳 智慧聖明
754量願りょうがん「最」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味します。したがって、「量願」という法名には、限りあるものを超えた本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。2-10無量行願
755了願りょうがん「了」は、あきらかという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「了願」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。明了願故
756量光りょうこう「最」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「量光」という法名には、人知ではかれない阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。79-9即時無量壽佛放大光明
757量思りょうし「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「思」は、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「量思」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。46-11無量無邊不可思議
758了性りょうしょう「了」には、さとるという意味があります。「性」は、仏のこころという意味があります。したがって、「了性」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-9覺了法性
759量智りょうち「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「智」とは、仏の智慧を意味します。したがって、「量智」という法名には、人知ではかれない仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。6月13日無量功德 智慧聖明
760量道りょうどう「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「道」は、仏道という意味です。したがって、「量道」という法名には、人間のはからいを超えた本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。9-3無量衆生 皆令得道
761量德りょうとく「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「德」は、仏の功徳を意味します。したがって、「量德」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇い、その功徳をえてほしいという願いを込めさせていただいております。4-9無量功德
762量寶りょうほう「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「量」はなにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「量寶」という法名には、人知ではかれない功徳をおさめた尊い本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。27-16無量寶蔵
763了法りょうほう「了」には、さとるという意味があります。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「了法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。54-9覺了法性
764量明りょうみょう「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「量明」という法名には、人知ではかることのできない阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。6-13無量功德智慧聖明
765量妙りょうみょう「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「妙」は、すばらしい、たえなる世界という意味で、阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「量妙」という法名には、わたしたちのおもい、はからいを超えたすばらしい阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。13-12淸淨莊嚴無量妙土
766蓮華れんげ「蓮華」は、泥の中から美しい華を咲かせるので、仏道を歩む者にたとえられ、念仏者も白蓮華と言われています。したがって、「蓮華」という法名には、五濁に滿ちた世の中であっても、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。55-10猶如蓮華
767和敬わきょう「和」には、したしむという意味があります。「敬」は、うやまうという意味です。したがって、「和敬」という法名には、本願念仏の教えにしたしみ、教えを敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。56-7修六和敬