「永宗寺歴史考」より
永宗寺伝わる過去帳の記述を抜き出してまとめられた「永宗寺歴史考」があります。明治期にまとめられました。 それによると、最初期の永宗寺はどこに存在していたかは記されていませんが、ある時期からは富山市浜黒崎に寺院を構えていたようです。お寺に残る絵像の裏書きなどでも確認できます。 富山の城下町の整備にあたり、富山の各地からお寺が移転させられた時、永宗寺も富山へ移りました。最初は今の今木町(マンテンホテルの裏辺り)にあったようですが、鼬川の出水に悩まされたことから、願い出て今の柳町に移ったようです。 富山へ移転した後の江戸時代を通じて、四度の類焼での焼失と一度の水害損壊で、計五度の本堂再建があったと記されています。明治初期にも類焼で焼失して本堂を再建したものの、またも明治中期の火災で焼失、ようやく大正に本堂再建するもまたも富山大空襲で焼失。ようやく昭和35年に現在の本堂が建てられました。
「本願寺資料集成」より
本願寺資料集成 P49には次のようにあります。 木仏留 御影様之留 釈准如 慶長十三年八月五日 願主 永宗寺 釈善明 右 木仏者 越中国新川郡黒崎村 善明依望如此也