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1 | 愛敬 | あいきよう | 「愛」とは、あいするという意味です。「敬」とは、うやまうという意味です。したがって、「愛敬」という法名には、仏の教えに目覚め、人を愛し敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6,11 | 愛敬父母 |
2 | 愛法 | あいほう | 「愛」とは、大切にするという意味です。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「愛法」という法名には、仏の教えを大切にする人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54,3 | 愛法樂法 |
3 | 安住 | あんじゅう | 「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。「住」は、居場所が与えられたことを意味しています。したがって、「安住」という法名には、苦楽を超えて、居場所を見い出してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2,11 | 安住一切 |
4 | 安生 | あんしょう | 「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。「生」とは、うまれるという意味です。したがって、「安生」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56,11 | 以安群生 |
5 | 安詳 | あんじょう | 「安」は、やすらかという意味があります。「詳」は、あまねくという意味があります。したがって、「安詳」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38,4 | 安詳徐逝 |
6 | 安聲 | あんじょう | 「安」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。「聲」は、念仏の声を意味しています。したがって、「安聲」という法名には、念仏を申して阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 79,8 | 安樂國土 及諸菩薩 聲聞大衆 |
7 | 安諦 | あんたい | 「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。「諦」には、まこと、さとりという意味があります。したがって、「安諦」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4,16 | 所住安諦 |
8 | 安頂 | あんちょう | 「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。「頂」は、いただくという意味です。したがって、「安頂」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9,8 | 次名安明頂 |
9 | 安養 | あんにょう | 「安養」とは、阿弥陀仏の浄土の別名です。したがって、「安養」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57,13 | 往生安養國 |
10 | 安穩 | あんのん | 「安」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。「穩」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。したがって、「安穩」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13,2 | 快樂安穩 |
11 | 安明 | あんみょう | 「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。「明」とは、あきらかになるという意味です。したがって、「安明」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9,8 | 次名安明頂 |
12 | 安妙 | あんみょう | 「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「安妙」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39,10 | 淸淨安穩 微妙快樂 |
13 | 安樂 | あんらく | 「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「安樂」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57,10 | 微妙安樂 |
14 | 安立 | あんりゅう | 「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。「立」には、立脚地とするという意味があります。したがって、「安立」という法名には、安らかな浄土の功徳を身に受けて、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-10 | 各各安立 |
15 | 一乘 | いちじょう | 「一」とは、ひとつという意味です。「乘」とは、乘り物の意味です。したがって、「一乘」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55,1 | 究竟一乘 |
16 | 一淨 | いちじょう | 「一」とは、ひとつという意味です。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「一淨」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55,6 | 等一淨故 |
17 | 一念 | いちねん | 「一」には、このこと一つという意味があります。「念」には、念仏申すという意味があります。したがって、「一念」という法名には、ただひとすじに念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86,7 | 乃至一念 |
18 | 一心 | いっしん | 「一」には、このこと一つという意味があります。「心」には、本願を信ずる心という意味があります。したがって、「一心」という法名には、ただひたすら阿弥陀仏の本願を信じ、念仏申してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 32,1 | 禪思一心 |
19 | 一寶 | いっぽう | 「一」には、このこと一つという意味があります。「寶」には、なにものにもかえがたい尊いものという意味があります。したがって、「一寶」という法名には、なにものにもかえがたい仏のはたらきを信じてほしいという願いを込めきせていただいております。 | 42,2 | 或一寶二寶 |
20 | 意得 | いとく | 「意」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。「得」には、えるという意味があります。したがって、「意得」という法名には、阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 65,11 | 自在隨意 皆可得之 |
21 | 威德 | いとく | 「威」は、すぐれているという意味です。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって「威德」という法名には、阿弥陀仏のすぐれた功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11,8 | 威德無侶 |
22 | 威量 | いりょう | 「威」とは、すぐれているという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「威量」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7,5 | 威容顯曜 超絶無量 |
23 | 映深 | えいじん | 「映」は、照らし輝くという意味があります。「深」は、ふかいという意味があります。したがって、「映深」という法名には、人間の闇を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38,3 | 寶沙映徹 無深不照 |
24 | 映徹 | えいてつ | 「映」は、照らし輝くという意味があります。「徹」は、つらぬきとおすという意味があります。したがって、「映徹」という法名には、人間の闇を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38,3 | 寶沙映徹 |
25 | 慧海 | えかい | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「海」は、限りなく広く深いさまをあらわします。したがって、「慧海」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55,3 | 智慧如大海 |
26 | 會願 | えがん | 「會」は、かならずという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「會願」という法名には、仏道を歩み、本当の願いを明らかにしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14,7 | 會當剋果 何願不得 |
27 | 慧敬 | えきょう | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「慧敬」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇い、敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56,11 | 功慧殊勝 莫不尊敬 |
28 | 慧見 | えけん | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「見」は、みるという意味です。したがって、「慧見」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54,8 | 慧眼見眞 |
29 | 慧眼 | えがん | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「眼」は、まなこという意味です。したがって、「慧眼」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54,8 | 慧眼見眞 |
30 | 慧廣 | えこう | 「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「廣」には、ひろいという意味があります。したがって、「慧廣」という法名には、すべての人を救うという本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5,14 | 諸根智慧 廣普寂定 |
31 | 慧高 | えこう | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「高」は、すぐれたという意味があります。したがって、「慧高」という法名には、このうえなくすぐれた仏の智慧に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39,12 | 智慧高明 |
32 | 慧光 | えこう | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味しています。「光」は、生きとし生けるものを照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「慧光」という法名には、人のはからいを超えた仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55,4 | 慧光明淨 |
33 | 惠實 | えじつ | 「惠」とは、めぐむという意味です。「實」とは、まことという意味です。したがって、「惠實」という法名には、仏のまことのめぐみに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8,2 | 惠以眞實之利 |
34 | 慧修 | えしゅう | 「慧」は、仏の智慧を意味しています。「修」は、おさめるという意味です。したがって、「慧修」という法名には、念仏して仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25,8 | 淨慧修梵行 |
35 | 惠生 | えしょう | 「惠」とは、めぐむという意味です。「生」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「惠生」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27,8 | 以惠利群生 |
36 | 慧聲 | えしょう | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「聲」は、声という意味があります。したがって、「慧聲」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏のよびかけに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38,9 | 諸通慧聲 |
37 | 慧照 | えしょう | 「慧」には、はからいを超えた仏の智慧という意味があります。「照」には、てらすという意味があります。したがって、「慧照」という法名には、すべての人をてらす仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 47,12 | 慧日照世間 |
38 | 慧勝 | えしょう | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「勝」は、すぐれたという意味があります。したがって、「慧勝」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56,11 | 功慧殊勝 |
39 | 慧定 | えじょう | 「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「定」には、さだまるという意味があります。したがって、「慧定」という法名には、仏の智慧を得て、まことの人生を生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5,14 | 諸根智慧 廣普寂定 |
40 | 慧成 | えじょう | 「慧」には、はからいを超えた仏の智慧という意味があります。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「慧成」という法名には、仏の智慧に出遇い、人生をまっとうしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 51,14 | 知慧成滿 |
41 | 慧淨 | えじょう | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧という意味があります。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「慧淨」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇い、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55,4 | 慧光明淨 |
42 | 惠眞 | えしん | 「惠」とは、めぐむという意味です。「眞」とは、まことという意味です。したがって、「惠眞」という法名には、仏のまことのめぐみに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8,2 | 惠以眞實之利 |
43 | 壞眞 | えしん | 「懷」は、想い抱くという意味です。「眞」は、まことという意味です。したがって、「懷眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10,10 | 心懷悦豫 尋發無上正眞道意 |
44 | 慧心 | えしん | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「心」は、阿弥陀仏のころを意味しています。したがって、「慧心」という法名には、人のはからいを超えた智慧である阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55,2 | 慧由心出 |
45 | 慧深 | えじん | 「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「深」は、ふかく、すぐれたという意味です。したがって、「慧深」という法名には、阿弥陀仏の深い智慧に出遇ってほしいという頗いを込めさせていただいております。 | 11,13 | 智慧深妙 |
46 | 慧達 | えだつ | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「達」は、とおるという意味があります。したがって、「慧達」という法名には、人間のはからいを超えた仏の智慧に目覚めてほしいという顔いを込めさせていただいております。 | 39,12 | 智慧高明 神通洞達 |
47 | 悦淸 | えつしょう | 「悦」とは、よろこぶという意味です。「淸」とは、きよらかという意味です。したがって、「悦淸」という法名には、教えを聞いてよろこび、きよらかな生き方をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-16 | 諸根悦豫 姿色淸淨 |
48 | 悦淨 | えつじょう | 「悦」は、よろこぶという意味です。「淨」は、きよらかなという意味です。したがって、「悦淨」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-1 | 心悦淸淨 |
49 | 悦眞 | えっしん | 「悦」は、よろこぶという意味です。「眞」は、まことという意味です。したがって、「悦眞」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 心懐悦豫 尋登無上正眞道意 |
50 | 慧導 | えどう | 「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「慧導」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-6 | 以甚深禪慧開導衆人 |
51 | 慧德 | えとく | 「慧」とは、智慧を意味します。「德」は、功徳という意味があります。したがって、「慧德」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、真実の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-7 | 三味智慧 威德無侶 |
52 | 慧日 | えにち | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「日」は、太腸の意味です。したがって、「慧日」という法名には、人間を照らしだす仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-7 | 曜慧日 |
53 | 慧入 | えにゅう | 「慧」には、はからいを超えた仏の智慧という意味があります。「入」には、はいるという意味があります。したがって、「慧入」という法名には、仏の智慧に出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 51-14 | 知慧成滿 深入諸法 |
54 | 慧滿 | えまん | 「慧」には、はからいを超えた仏の智慧という意味があります。「滿」には、みちあふれるという意味があります。したがって、「慧滿」という法名には、仏の智慧に出遇い、滿足した人生を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 51-14 | 知慧成滿 |
55 | 慧妙 | えみょう | 「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「妙」は、すぐれたという意味です。したがって、「慧妙」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-13 | 智慧深妙 |
56 | 慧明 | えみょう | 「慧」と「明」は、ともに人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。したがって、「慧明」という法名には、人のはからいを超えた仏の智懃に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-4 | 慧光明淨 |
57 | 慧力 | えりき | 「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「力」は、ちからの意味です。したがって、「慧力」という法名には、人のはからいを超えた仏のはたらきによって、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-13 | 定力慧力 |
58 | 演法 | えんぽう | 「演」には、のべるという意味があります。「法」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「演法」という法名には、本願の教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 53-4 | 演暢妙法 |
59 | 演妙 | えんみょう | 「演」とは、ひろめるという意味です。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「演妙」という法名には、念仏の教えをひろめてほしいという顔いを込めさせていただいております。 | 53-4 | 演暢妙法 |
60 | 演量 | えんりょう | 「演」には、おしひろめるという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「演量」という法名には、どこまでもはたらく阿弥陀仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-10 | 演出無量 |
61 | 應慧 | おうえ | 「應」は、応供という仏の別名を意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「應慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 83-14 | 是故應當明信 諸佛無上智慧 |
62 | 往覺 | おうかく | 「往」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。「覺」は、仏のさとりを意味しています。したがって、「往覺」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 47-3 | 往觀無量覺 |
63 | 應現 | おうげん | 「應」には、おうじるという意味があります。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「應現」という法名には、苦悩する人々に応じてあらわれた阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-9 | 隨應而現 |
64 | 應順 | おうじゅん | 「應」は、応供という仏の別名を意味しています。「順」には、したがうという意味があります。したがって、「應順」という法名には、仏の教えにしたがい、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 87-9 | 應當信順 |
65 | 應正 | おうしょう | 「應」は、こたえるという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「應正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々とともにお念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-7 | 應供等正覺 |
66 | 應心 | おうしん | 「應」は、おうじるという意味です。「心」は、こころという意味です。したがって、「應心」という法名には、わたしたちのこころにおうじて教えてくださっている仏の法を聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-9 | 應其心願 |
67 | 應信 | おうしん | 「應」は、応供という仏の別名を意味しています。「信」は、信心を意味しています。したがって、「應信」という法名には、仏の教えを信じて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 83-14 | 是故應當明信 |
68 | 應隨 | おうずい | 「應」には、おうじるという意味があります。「隨」には、よりそうという意味があります。したがって、「應隨」という法名には、すべての人によりそい救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-6 | 隨其所應 |
69 | 應等 | おうとう | 「應」は、こたえるという意味です。「等」は、すべてを等しく見ることができる眼を意味しています。したがって、「應等」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-7 | 應供等正覺 |
70 | 往道 | おうどう | 「往」には、むかいすすむという意味があります。「道」には、正しいすじみちという意味があります。したがって、「往道」という法名には、すべての人々が救われる本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-9 | 往詣道場 |
71 | 應念 | おうねん | 「應」は、おうじるという意味です。「念」は、念仏をとなえることを意味しています。したがって、「應念」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 52-9 | 應念即至 |
72 | 應法 | おうほう | 「應」は、おうじるという意味です。「法」は、仏がお説きになる教えという意味です。したがって、「應法」という法名には、仏のお説きになる教えに応じ、かなうように生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 22-11 | 應法妙服 |
73 | 温香 | おんこう | 「温」は、阿弥陀仏の慈悲のぬくもりを意味しています。「香」は、そのぬくもりのかぐわしさを意味しています。したがって、「温香」という法名には、阿弥陀仏の慈悲をいただいて念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 42-11 | 温雅德香 |
74 | 遠照 | おんしょう | 「遠」には、どこまでもゆきわたるという意味があります。「照」は、闇を照らす阿弥陀仏の光明のはたらきを意味しています。したがって、「遠照」という法名には、どこまでもゆきわたる阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 84-9 | 名日遠照 |
75 | 開慧 | かいえ | 「開」は、ひらくという意味です。「慧」は、仏の智慧を意味しています。したがって、「開慧」という法名には、正しい道理を明らかにする仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-12 | 開彼智慧眼 |
76 | 皆往 | かいおう | 「皆」には、すべての人という意味があります。「往」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「皆往」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 46-13 | 皆悉往詣 |
77 | 皆壽 | かいじゅ | 「皆」は、みなという意味があります。「壽」とは、仏のいのちという意味があります。したがって、「皆壽」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-3 | 此皆無量壽佛 威神力故 |
78 | 皆受 | かいじゅ | 「皆」には、すべての人という意味があります。「受」には、うけるという意味があります。したがって、「皆受」という法名には、すべての人が本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-15 | 皆受自然 |
79 | 開善 | かいぜん | 「開」とは、ひらくという意味です。人に本当のめぐみを与えるものを「善」といいます。したがって、「開善」という法名には、仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-9 | 杜三趣開善門 |
80 | 開導 | かいどう | 「開」には、ひらくという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「開導」という法名には、すべての人の心を開き導く阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 78-3 | 隨器開導 |
81 | 皆道 | かいどう | 「皆」には、すべての人という意味があります。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「皆道」という法名には、人々と共に念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 78-4 | 皆令得道 |
82 | 皆得 | かいとく | 「皆」には、すべての人という意味があります。「得」は、えるという意味です。したがって、「皆得」という法名には、すべての人を救おうとする阿弥陀仏の大悲の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-16 | 皆得人身 |
83 | 皆然 | かいねん | 「皆」には、すべての人という意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「皆然」という法名には、すべての人が阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-15 | 皆受自然 |
84 | 開法 | かいほう | 「開」は、ひらくという意味です。「法」は、救いのすじみち、正しい道理という意味があります。したがって、「開法」という法名には、正しい救いの道理である仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-16 | 爲衆開法蔵 |
85 | 皆量 | かいりょう | 「皆」は、みなという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「皆量」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-3 | 此皆無量壽佛 威神力故 |
86 | 覺音 | かくおん | 「覺」は、目覚めという意味です。「音」は、念仏の声を意味しています。したがって、「覺音」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-6 | 正覺大音 |
87 | 學曉 | がくきょう | 「學」には、学ぶという意味があります。「曉」は、夜明けを意味しています。したがって、「學曉」という法名には、本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-9 | 善學無畏之網 曉了幻化之法 |
88 | 覺性 | かくしょう | 「覺」は、目覚めるという意味です。「性」は、仏のこころという意味があります。したがって、「覺性」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-9 | 覺了法性 |
89 | 樂聲 | がくしょう | 「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。「聲」は、こえを意味しています。したがって、「樂聲」という法名には、阿弥陀仏の安楽浄土から呼びかける念仏のこえに出遇ってほしいという囲いを込めさせていただいております。 | 36-10 | 又其樂聲 |
90 | 覺心 | かくしん | 「覺」は、さとりの意味です。「心」は、さとりを求める心という意味です。したがって、「覺心」という法名には、仏のさとりを求めていく心をおこしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-10 | 我發無上正覺之心 |
91 | 覺通 | かくつう | 「覺」は、目党めるという意味です。「通」は、つうじる・心がかようという意味です。したがって、「覺通」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-12 | 次名海覺神通 |
92 | 學道 | がくどう | 「學」には、まなぶという意味があります。「道」には、正しいすじみちという意味があります。したがって、「學道」という法名には、本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-4 | 入山學道 |
93 | 覺法 | かくほう | 「覺」は、仏のさとりを意味しています。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「覺法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-9 | 覺了法性 |
94 | 學法 | がくほう | 「學」には、まなぶという意味があります。「法」には、救いのすじみちという意味があります。したがって、「學法」という法名には、本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-15 | 學一切法 |
95 | 覺明 | かくみょう | 「覺」は、目覚めるという意味です。「明」は、きよくあかるいという意味です。したがって、「覺明」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-8 | 等正覺 明行足 |
96 | 學明 | がくみょう | 「學」には、まなぶという意味があります。「明」には、あきらかという意味があります。したがって、「學明」という法名には、本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-14 | 本學明了 |
97 | 覺量 | かくりょう | 「覺」は、目党めるという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「覺量」という法名には、仏のはたらきに目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-12 | 於無量世界 現成等覺 |
98 | 覺了 | かくりょう | 「覺」は、目覚めるという意味があります。「了」には、さとるという意味があります。したがって、「覺了」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-9 | 覺了法性 |
99 | 願演 | がんえん | 「願」は、ねがうという意味です。「演」は、仏が教えを説きのべられることです。したがって、「願演」という法名には、仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-16 | 唯願世尊 廣爲敷演 |
100 | 願應 | がんおう | 「願」は、ねがうという意味です。「應」は、おうじるという意味です。したがって、「願應」という法名には、わたしたちのねがいにおうじて教えてくださっている仏の法を聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-9 | 應其心願 |
101 | 歡喜 | かんぎ | 「歡」は、身がよろこぶという意味です。「喜」は、心がよろこぶという意味です。したがって、「歡喜」という法名には、本当に自分が歩むべき道を念仏の道に得て、身もこころもよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 22-8 | 歡喜信築 |
102 | 願樂 | がんぎょう | 「願」とは、仏の願いを意味します。「樂」は、ねがうという意味です。したがって、「願樂」という法名には、仏の願いを聞き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-12 | 願樂欲聞 |
103 | 願行 | がんぎょう | 「願」は、ねがうという意味です。「行」は、修行という意味です。したがって、「願行」という法名には、どこまでも仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-16 | 唯願世尊 廣爲敷演 諸佛如来 浄土之行 |
104 | 歡光 | かんこう | 「歡」には、よろこぶという意味があります。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「歡光」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇い、歡びを得てほしいという願いを込めさせていただいております。 | 30-12 | 歡喜光佛 |
105 | 願廣 | がんこう | 「願」は、ねがうという意味です。「廣」は、ひろいという意味です。したがって、「願廣」という法名には、仏道をねがうという、ひろいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-3 | 志願深廣 |
106 | 願精 | がんしょう | 「願」は、仏の本願という意味です。「精」は、こころという意味です。したがって、「願精」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-4 | 發願於彼 力精所欲 |
107 | 願生 | がんしょう | 「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。「生」は、浄土に往生することを意味しています。したがって、「願生」という法名には、人々を浄土に往生させたいという阿弥陀仏の本顔に出遇ってほしいという頼いを込めさせていただいております。 | 44-8 | 願生彼國 |
108 | 願淨 | がんじょう | 「願」は、ねがうという意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「願淨」という法名には、すみきった阿弥陀仏の浄土に生まれたいと頻ってほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 13-16 | 唯願世尊 廣爲敷演 諸佛如来 浄土之行 |
109 | 願成 | がんじょう | 「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。「成」は、なしとげるという意味です。したがって、「願成」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-3 | 願慧悉成満 |
110 | 歡信 | かんしん | 「歡」には、よろこぶという意味があります。「信」は、信心を意味しています。したがって、「歡信」という法名には、信心をえてよろこぶ生活を送ってほし いという願いを込めさせていただいております。 | 86-10 | 歡喜信築 |
111 | 願深 | がんじん | 「顧」は、ねがうという意味です。「深」は、ふかいという意味です。したがって、「願深」という法名には、仏道をねがうというふかいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-3 | 志願深廣 |
112 | 願宣 | がんせん | 「願」は、ねがうという意味です。「宣」は、仏が教えをあきらかにお説きになることです。したがって、「願宣」という法名には、仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-11 | 願佛爲我 廣宣經法 |
113 | 貫綜 | かんそう | 「貫」には、つらぬくという意味があります。「綜」には、すべてを集めるという意味があります。したがって、「貫綜」という法名には、すべての人を救う本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-15 | 貫綜棲練 |
114 | 願慧 | がんね | 「願」は、阿弥陀仏の本顔を意味しています。「慧」は、仏の智慧を意味しています。したがって、「願慧」という法名には、阿弥陀仏の本顆に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-3 | 願慧悉成満 |
115 | 願聞 | がんもん | 「願」とは、仏の願いを意味します。「聞」とは、聞法するという意味です。したがって、「願聞」という法名には、仏の願いを開き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-12 | 願樂欲聞 |
116 | 願力 | がんりき | 「願」は、阿弥陀仏の本頗を意味しています。「力」は、ちからを意味します。したがって、「願力」という法名には、阿弥陀仏の本頻力によって浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-12 | 意力願カ |
117 | 喜心 | きしん | 「喜」とは、よろこぶという意味です。「心」は阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「喜心」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをよろこぶ人となってはしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-4 | 喜法之心 |
118 | 義深 | ぎじん | 「義」は、すじみち、道理の意味です。「深」は、ふかいという意味です。したがって、「義深」という法名には、仏が説かれる深い道理にめざめてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-16 | 斯義弘深 |
119 | 喜法 | きほう | 「喜」とは、よろこぶという意味です。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「喜法」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-4 | 喜法之心 |
120 | 教惠 | きょうえ | 「教」とは、おしえという意味です。「惠」とは、めぐむという意味です。したがって、「教惠」という法名には、真のめぐみを与える仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-1 | 光闡道教 欲拯群萌 惠以眞實之利 |
121 | 教開 | きょうかい | 「教」は、本願念仏の教えを意味しています。「開」は、ひらくという意味です。したがって、「教開」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 75-4 | 教語開示 |
122 | 行願 | ぎょうがん | 「行」は、お念仏を意味しています。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「行願」という法名には、お念仏を申して本願の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-10 | 無量行願 |
123 | 教行 | きょうぎょう | 「教」は、本願念仏の教えを意味しています。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「教行」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 65-16 | 如教奉行 |
124 | 教語 | きょうご | 「教」は、本願念仏の教えを意味しています。「語」は、ことばという意味です。したがって、「教語」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 75-4 | 教語開示 |
125 | 馨香 | きょうこう | 「馨」は、かおりの広がりを意味しています。「香」は、かおりという意味です。したがって、「馨香」という法名には、念仏の教えをよろこび、人々に伝えてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 42-15 | 馨香芬烈 |
126 | 行權 | ぎょうごん | 「行」は、お念仏を意味しています。「權」は、仏が人々を禅くための手立てを意味しています。したがって、「行權」という法名には、人々をお念仏に導こうとされる仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-11 | 行權方便 |
127 | 教實 | きょうじつ | 「教」とは、おしえという意味です。「實」とは、まことという意味です。したがって、「教實」という法名には、まことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-1 | 光闡道教 欲拯群萌 惠以眞實之利 |
128 | 教衆 | きょうしゅ | 「教」とは、おしえという意味です。「衆Jとは、人々という意味です。したがって、「教衆」という法名には、どこまでも人々を教化し続ける仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-3 | 教化度脱 無量衆生 |
129 | 教生 | きょうしょう | 「教」とは、おしえという意味です。「生」とは、生きるという意味です。したがって、「教生」という法名には、仏の教えに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-3 | 教化度脱 無量衆生 |
130 | 行精 | ぎょうしょう | 「行」は、修行という意味です。「精」は、精魂をこめてひたすら進むという意味です。したがって、「行精」という法名には、生活をあげて仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-8 | 我行精進 |
131 | 樂正 | ぎょうしょう | 「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。「正」には、すべてに通じるという意味があります。したがって、「樂正」という法名には、すべての人々が救われる阿弥陀仏の安楽浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-9 | 唯樂正道 |
132 | 行成 | ぎょうじょう | 「行」は、修行という意味です。「成」は、成就するという意味です。したがって、「行成」という法名には、念仏によって阿弥陀仏の浄土へ往生することを成就してほしいという顆いを込めさせていただいております。 | 14-2 | 當如説修行成滿所願 |
133 | 教眞 | きょうしん | 「教」とは、おしえという意味です。「眞」とは、まことという意味です。したがって、「教眞」という法名には、まことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-1 | 光闡道教 欲拯群萌 惠以眞實之利 |
134 | 敬善 | きょうぜん | 「敬」には、うやまうという意味があります。「善」は、よく巧みに人々にめぐみを施す阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「敬善」という法名には、阿弥陀仏のはたらきを敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 64-4 | 若有慈敬於佛者 實爲大善 |
135 | 行善 | ぎょうぜん | 「行」は、念仏を意味しています。「善」は、よく巧みに人々にめぐみを施す阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「行善」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇い念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 71-9 | 端身正行 独作諸善 |
136 | 行値 | ぎょうち | 「行」は、念仏を慈味しています。「値」には、であうという意味があります。したがって、「行値」という法名には、日々新たに念仏の教えに出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 34-14 | 行行相値 |
137 | 樂聽 | ぎょうちょう | 「樂」には、よろこぶという意味があります。「聽」は、きくという意味です。したがって、「樂聽」という法名には、本願念仏の教えをきき、教えをよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 50-2 | 樂聽如是教 |
138 | 行道 | ぎょうどう | 「行」は、念仏を意味しています。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「行道」という法名には、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 76-15 | 受行道法 |
139 | 敬得 | きょうとく | 「敬」には、うやまうという意味があります。「得」には、めぐみをえるという意味があります。したがって、「敬得」という法名には、念仏申し、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 50-13 | 見敬得大慶 |
140 | 行徳 | ぎょうとく | 「行」は、お念仏を意味します。「徳」は、功徳を意味します。したがって、「行徳」という法名には、阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57-16 | 勸行求道徳 |
141 | 曉法 | きょうほう | 「曉」は、あきらかになるという意味があります。「法」は、仏の教えという意味です。したがって、「曉法」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-9 | 曉了幻化之法 |
142 | 敬寶 | きょうほう | 「敬」には、うやまうという意味があります。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「敬寶」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、うやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-9 | 恭敬三寶 |
143 | 樂法 | ぎょうほう | 「樂」には、よろこぶという意味があります。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「樂法」という法名には、仏の教えをきき、教えをよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-3 | 愛法樂法 |
144 | 行法 | ぎょうほう | 「行」は、念仏を意味しています。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「行法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-7 | 常行法施 |
145 | 行滿 | ぎょうまん | 「行」は、修行という意味です。「満」は、満たす、完全にするという味です。したがって、「行滿」という法名には、念仏によって阿弥陀仏の浄土へ往生することを完成してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-2 | 當如説修行成滿所願 |
146 | 教問 | きょうもん | 「教」とは、おしえという意味です。「問」とは、といという意味です。したがって、「教問」という法名には、仏の教えを通して本当の願いを明らかにしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-12 | 諸天教汝 來問佛耶 |
147 | 敬聞 | きょうもん | 「敬」には、うやまうという意味があります。「聞」には、信じるという意味があります。したがって、「敬聞」という法名には、本願念仏の教えを信じ、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 49-15 | 謙敬聞奉行 |
148 | 樂聞 | ぎょうもん | 「樂」とは、ねがうという意味です。「聞」とは、聞法するという意味です。したがって、「樂聞」という法名には、仏の願いを聞き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8月12日 | 願樂欲聞 |
149 | 敬養 | きょうよう | 「敬」には、うやまうという意味があります。「養」には、やしない育てるという意味があります。したがって、「敬養」という法名には、本願念仏の教えにやしない育てられ、教えをうやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57-1 | 恭敬供養 |
150 | 曉了 | きょうりょう | 「曉」は、あきらかになるという意味があります。「了」には、さとるという意味があります。したがって、「曉了」という法名には、本願念仏の教えに目覚め、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-9 | 曉了幻化之法 |
151 | 喜量 | きりょう | 「喜」は、よろこぶという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「喜量」という法名には、浄土のはたらきに目覚め、喜んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-11 | 歡喜無量 |
152 | 恭敬 | くぎょう | 「恭」には、つつしむという意味があります。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「恭敬」という法名には、本願に出遇い、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 52-6 | 恭敬供養 |
153 | 遇光 | ぐこう | 「遇」は、出遇うという意味です。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「遇光」という法名には、自分を照らし包む阿弥陀仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 30-14 | 遇斯光者 |
154 | 弘誓 | ぐぜい | 「弘」は、ひろいという意味です。「誓」は、ちかうという意味です。したがって、「弘誓」という法名には、阿弥陀仏がかならず成就すると皆われた、ふかくひろい本願をうたがいなく信じてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 19-1 | 被弘誓鎧 |
155 | 弘宣 | ぐせん | 「弘」は、ひろめるという意味です。「宣」は、教えをのべ伝えるという意味です。したがって、「弘宣」という法名には、本願念仏の教えをよろこぶ身になって、縁ある人にも伝えていってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-13 | 弘宣正法 |
156 | 求道 | ぐどう | 「求」は、求めるという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「求道」という法名には、仏道を求めていってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-9 | 志求無上道 |
157 | 求法 | ぐほう | 「求」は、求めるという意味です。「法」は仏の教えを意味します。したがって、「求法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-11 | 志求佛法 |
158 | 華光 | けこう | 「華」は、浄土のはなを意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「華光」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇い、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-4 | 其華光明 |
159 | 華順 | けじゅん | 「華」とは、うつくしいという意味です。「順」は、したがうという意味です。したがって、「華順」という法名には、真実の教えに出遇い、その教えにしたがって生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 34-15 | 華華相順 |
160 | 華生 | けしょう | 「華」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「生」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「華生」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 45-3 | 便於七寶華中 自然化生 |
161 | 華明 | けみょう | 「華」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「明」は、阿弥陀仏のはたらきのおおらかさを意味しています。したがって、「華明」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-4 | 其華光明 |
162 | 華葉 | けよう | 「華」は、浄土のはなを意味しています。「葉」は、浄土の木の葉を意味しています。したがって、「華葉」という法名には、きよらかな阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 37-10 | 華葉垂布 |
163 | 顯意 | けんい | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「意」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「顯意」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-9 | 顯現道意 |
164 | 謙敬 | けんきょう | 「謙」には、謙虚という意味があります。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「謙敬」という法名には、本願を信じ、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 49-15 | 謙敬聞奉行 |
165 | 見敬 | けんきょう | 「見」は、本願の教えにまみえることを意味しています。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「見敬」という法名には、本願の教えに出遇い、人々を敬う生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 50-13 | 見敬得大慶 |
166 | 賢護 | げんご | 「賢」は、すぐれたという意味です。「護」は、まもるという意味です。したがって、「賢護」という法名には、仏のすぐれた教えに出遇い、伝えていってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-5 | 又賢護等 |
167 | 見光 | けんこう | 「見」には、まみえるという意味があります。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「見光」という法名には、自分を照らし包む阿弥陀仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-2 | 見此光明 |
168 | 顯光 | けんこう | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「顯光」という法名には、人間の闇を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-15 | 光明顯曜 |
169 | 顯寶 | けんじつ | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「實」は、阿弥陀仏の真実を意味しています。したがって、「顯實」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏のまことの御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-3 | 分別顯示 眞實之際 |
170 | 堅正 | けんしょう | 「堅」は、つよいという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味です。したがって、「堅正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共にお念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-8 | 堅正不却 |
171 | 顯照 | けんしょう | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「照」は、人間の闇を照らす阿弥陀仏の光明のはたらきを意味しています。したがって、「顯照」という法名には、人間の闇を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-15 | 光明顯曜 普照十方 |
172 | 顯淸 | けんしょう | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「淸」は、きよらかという意味です。したがって、「顯淸」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏のきよらかな御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-6 | 顯明淸白 |
173 | 現成 | げんじょう | 「現」には、あらわれるという意味があります。「成」には、成しとげられるという意味があります。したがって、「現成」という法名には、仏の本願に出遇い、教えをよろこぶ身となってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-13 | 現成等覺 |
174 | 顯眞 | けんしん | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「眞」は、阿弥陀仏の真実を意味しています。したがって、「顯眞」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏のまことの御心に出遇ってほしいという頗いを込めさせていただいております。 | 6-3 | 分別顯示 眞實之際 |
175 | 見尊 | けんそん | 「見」は、本願の教えにまみえることを意味しています。「尊」には、腺敬するという意味があります。したがって、「見尊」という法名には、本顧の教えに出遇い、人々を尊敬していく生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 49-14 | 曾更見世尊 |
176 | 顯超 | けんちょう | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「超」は、すぐれるという意味です。したがって、「顯超」という法名には、人間の削をあきらかにする阿弥陀仏のすぐれた御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-5 | 威容顯曜 超絶無量 |
177 | 顯道 | けんどう | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「顯道」という法名には、人間の倍]をあきらかにする阿弥陀仏の御心に出遇い、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-9 | 顯現道意 |
178 | 現道 | げんどう | 「現」には、あらわれるという意味があります。「道」とは、仏道という意味です。したがって、「現道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-12 | 普現道教 |
179 | 見徳 | けんとく | 「見」には、まみえるという意味があります。「徳」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「見徳」という法名には、阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-3 | 即見無量壽佛 威徳巍巍 |
180 | 顯徳 | けんとく | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「徳」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「顯徳」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-9 | 顯現道意 無量功徳 |
181 | 顯明 | けんみょう | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「顯明」という法名には、人間の闇を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-6 | 顯明淸白 |
182 | 見聞 | けんもん | 「見」は、まみえるという意味があります。「聞」は、聞法するという意味があります。したがって、「見聞」という法名には、仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-8 | 但見色聞香 |
183 | 顯曜 | けんよう | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「曜」は、光り輝く阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「顯曜」という法名には、人間の隙を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-15 | 光明顯曜 |
184 | 顯量 | けんりょう | 「顯」は、あきらかにするという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「顯量」という法名には、人間の闇をあきらかにする阿弥陀仏のはかりなき光に出遇ってほしいという顔いを込めさせていただいております。 | 4-9 | 顯現道意 無量功徳 |
185 | 現量 | げんりょう | 「現」には、あらわれるという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「現量」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇ってほしいという頗いを込めさせていただいております。 | 4-9 | 顯現道意 無量功徳 |
186 | 廣慧 | こうえ | 「廣」は、ひろまるという意味です。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「廣慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-13 | 功勲廣大 智慧深妙 |
187 | 光慧 | こうえ | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「光慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 82-2 | 身相光明 智慧功徳 |
188 | 興演 | こうえん | 「興」とは、おこすという意味です。「演」とは、ひろめるという意味です。したがって、「興演」という法名には、念仏の教えをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-9 | 興大悲愍衆生 演慈辯授法眼 |
189 | 廣演 | こうえん | 「廣」は、ひろいという意味です。「演」は、仏が教えを説きのべられることです。したがって、「廣演」という法名には、仏のひろく懇切な教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-1 | 廣爲敷演 |
190 | 光英 | こうおう | 「光」は、人々を照らし包む仏のはたらきを意味しています。「英」は、その仏のはたらきが他よりすぐれていることを意味しています。したがって、「光英」という法名には、人のはからいを超えた仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-7 | 光英菩薩 |
191 | 光遠 | こうおん | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「遠」には、どこまでもゆきわたるという意味があります。したがって、「光遠」という法名には、すべての人を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-4 | 名曰光遠 |
192 | 光教 | こうきょう | 「光」とは、あきらかにするという意味です。「教」とは、教えという意味です。したがって、「光教」という法名には、仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-1 | 光闡道教 |
193 | 興教 | こうきょう | 「興」とは、おこるという意味です。「教」とは、教えという意味です。したがって、「興教」という法名には、生きとし生けるものを救うためにおこされた仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-2 | 興出於世 教化度脱 |
194 | 廣教 | こうきょう | 「廣」には、ひろやかなという意味があります。「教」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「廣教」という法名には、すべての人々を救う仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 53-4 | 廣宣道教 |
195 | 香薫 | こうくん | 「香」は、かぐわしいよいにおいという意味です。「薫」は、かおる、よいにおいがたちこめるという意味です。したがって、「香薫」という法名には、阿弥陀仏の浄土のよいかおりを感じ、念仏して生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 21-4 | 其香普薫 |
196 | 光顯 | こうけん | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「顯」は、あきらかにするという意味です。したがって、「光顯」という法名には、人間の間を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-15 | 光明顯曜 |
197 | 光顔 | こうげん | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「顔」は、仏のお顔、願いという意味です。したがって、「光顔」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-1 | 光顔巍巍 |
198 | 香嚴 | こうごん | 「香」は、かおりを意味しています。「嚴」は、かざるという意味です。したがって、「香嚴」という法名には、すぐれた香りでかざられた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-3 | 衆妙華香 莊嚴之具 |
199 | 廣濟 | こうさい | 「廣」は、ひろくして、大きいという意味です。「濟」は、すくうという意味です。したがって、「廣濟」という法名には、あまねく一切の人々をすくう仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-11 | 廣濟衆厄難 |
200 | 光實 | こうじつ | 「光」とは、仏のはたらきをあらわします。「實」とは、まことという意味です。したがって、「光實」という法名には、仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-1 | 光闡道教 欲拯群萌 惠以眞實之利 |
201 | 幸證 | こうしょう | 「幸」は、ねがうという意味です。「證」は、あかすという意味です。したがって、「幸證」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、浄土に生まれることをねがう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-3 | 幸佛信明 是我眞證 |
202 | 光照 | こうしょう | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「照」は、人々を照らし包み込む仏のはたらきを意味しています。したがって、「光照」という法名には、自分 を照らし包む阿弥陀仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 30-5 | 或有佛光照百佛世界 |
203 | 香莊 | こうしょう | 「香」は、かおりを意味しています。「莊」とは、かざるという意味です。したがって、「香莊」という法名には、すぐれた香りでかざられた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-3 | 衆妙華香 莊嚴之具 |
204 | 光眞 | こうしん | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「眞」は、真実を意味しています。したがって、「光眞」という法名には、阿弥陀仏の真実なる光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 45-13 | 光明相好 具如眞佛 |
205 | 光世 | こうせ | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「世」は、人の住む世界を意味しています。したがって、「光世」という法名には、人の住む世界をあまねく照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 79-9 | 放大光明 普照一切 諸佛世界 |
206 | 廣宣 | こうせん | 「廣」は、ひろいという意味です。「宣」は、仏が教えをあきらかにお説きになることです。したがって、「廣宣」という法名には、仏のひろく懇切な教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-11 | 廣宜經法 |
207 | 興大 | こうだい | 「興」とは、おこすという意味があります。「大」とは、大悲を意味します。したがって、「興大」という法名には、阿弥陀仏の大悲心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-9 | 興大悲愍衆生 |
208 | 光澤 | こうた< | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「澤」には、みずみずしいという意味があります。したがって、「光澤」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 42-15 | 柔軟光澤 |
209 | 廣智 | こうち | 「廣」には、どこまでもゆきわたるという意味があります。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「廣智」という法名には、どこまでもゆきわたる阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただい ております。 | 81-8 | 大乘廣智 |
210 | 光智 | こうち | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「光智」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 82-2 | 身相光明 智慧功德 |
211 | 高哲 | こうてつ | 「高」は、すぐれているという意味です。「哲」は、さとるという意味です。したがって、「高哲」という法名には、仏のすぐれた教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-12 | 高オ勇哲 |
212 | 廣道 | こうどう | 「廣」には、ひろやかなという意味があります。「道」は、本願の仏道を意味しています。したがって、「廣道」という法名には、すべての人々が救われる本願の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 53-4 | 廣宣道教 |
213 | 光繞 | こうによう | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「繞」には、そばにいるという意味があります。したがって、「光繞」という法名には、すべての人をつつむ阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 48-2 | 回光圍繞身 |
214 | 廣法 | こうぼう | 「廣」は、ひろいという意味です。「法」は、仏がお説きになる教えという意味です。したがって、「廣法」という法名には、仏のひろく懇切な教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-11 | 廣宣經法 |
215 | 高明 | こうみょう | 「高」は、たかいという意味です。「明」は、あきらかという意味です。したがって、「高明」という法名には、仏道をもとめるという、たかくあきらかで、すばらしいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-3 | 知其高明 志願深廣 |
216 | 光妙 | こうみょう | 「光」は、人々を照らし包む仏のはたらきを意味しています。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「光妙」という法名には、人々を照らし包むすぐれた仏の光明のはたらきを感じる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 29-3 | 光赫焜耀 微妙奇麗 |
217 | 光明 | こうみょう | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「明」は、あきらかになるということを意味しています。したがって、「光明」という法名には、人間の世界の闇を照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-3 | 光明顯赫 |
218 | 好明 | こうみょう | 「好」は、うるわしい阿弥陀仏のすがたを意味しています。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「好明」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-4 | 相好光明 |
219 | 光融 | こうゆう | 「光」は、生きとし生けるものを照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。「融」には、通じるという意味があります。したがって、「光融」という法名には、仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-6 | 光融佛法 宣流正化 |
220 | 光曜 | こうよう | 「光」は、人々を照らし包む仏のはたらきを意味しています。「曜」は、そのはたらきが光り輝いているありさまを意味しています。したがって、「光曜」という法名には、仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-15 | 光明顯曜 |
221 | 光耀 | こうよう | 「光」は、すべての人を照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。「耀」には、光り輝くという意味があります。したがって、「光耀」という法名には、阿弥陀仏の光り輝く光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 34-16 | 榮色光耀 |
222 | 晃耀 | こうよう | 「晃」は、仏のはたらきが四方に広がり出るさまを意味しています。「耀」は、そのはたらきが光り輝いていることを意味しています。したがって、「晃耀」という法名には、四方に光り輝く仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 42-7 | 光色晃耀 |
223 | 滉瀁 | こうよう | 「滉」には、水が広く深いさまをあらわします。「瀁」には、水のはてしないさまをあらわします。したがって、「滉瀁」という法名には、はてしなく広く深い阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 79-13 | 滉瀁浩汗 |
224 | 廣量 | こうりょう | 「廣」は、ひろくして、大きいという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「廣量」という法名には、すべての人にはたらく仏の広大なこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 32-12 | 深廣無量 |
225 | 光量 | こうりょう | 「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「光屈」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-4 | 其華光明 無量種色 |
226 | 光麗 | こうれい | 「光」は、仏の放つ光明という意味で、仏の智愁を表します。「麓」は、うるわしい、澄んできれいなさまという意味です。したがって、「光麗」という法名には、うるわしく澄んできれいな仏の智慧の光にあふれた阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 20-2 | 嚴淨光麗 |
227 | 護法 | ごほう | 「護」には、まもるという意味があります。「法」とは、仏法を意味します。したがって、「護法」という法名には、仏法を護る者になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-5 | 嚴護法城 |
228 | 勤精 | ごんしょう | 「勤」は、つとめるという意味です。「精」は、まじりけなく、ひとすじであるという意味です。したがって、「勤精」という法名には、仏道をひとすじに歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57-12 | 宜各勤精進 |
229 | 嚴淨 | ごんじょう | 「嚴」は、おごそかなおかざりの意味です。「淨」は、きよらかで、すみきっているという意味です。したがって、「嚴淨」という法名には、おごそかにかざられた、きよらかで、すみきった世界である阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 20-1 | 嚴淨光麗 |
230 | 嚴明 | ごんみょう | 「嚴」は、おごそかな、おかざりを意味しています。「明」とは、あきらかになるという意味です。したがって、「嚴明」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-12 | 次名莊嚴光明 |
231 | 嚴妙 | ごんみょう | 「嚴」は、おごそかなおかざりの意味です。「妙」は、すばらしいたえなる世界という意味で、阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「嚴妙」という法名には、阿弥陀仏がおつくりになられた、すばらしくかざられた世界に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-12 | 淸淨莊嚴無量妙土 |
232 | 最勝 | さいしょう | 「最」は、もっともという意味です。「勝」は、すぐれているという意味です。したがって、「最勝」という法名には、最も勝れている本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-9 | 最勝福田 |
233 | 最道 | さいどう | 「最」とは、もっともという意味です。「道」とは、仏道という意味です。したがって、「最道」という法名には、世間を超えた仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-8 | 住最勝道 |
234 | 讃壽 | さんじゅ | 「讃」には、ほめるという意味があります。「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「讚壽」という法名には、阿弥陀仏の浄土をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-6 | 皆共讃歎 無量壽佛 |
235 | 慈演 | じえん | 「慈」とは、慈悲という意味です。「演」は、ひろめるという意味です。したがって、「慈演」という法名には、慈悲のこころをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-9 | 演慈辯授法眼 |
236 | 慈恩 | じおん | 「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「恩」には、めぐみという意味があります。したがって、「慈恩」という法名には、阿弥陀仏の慈悲のめぐみに出遇ってほしいという頻いを込めさせていただいております。 | 63-10 | 皆蒙慈恩 |
237 | 志願 | しがん | 「志」は、仏道をもとめるこころという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「志願」という法名には、仏道をねがうというこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-3 | 志願深廣 |
238 | 慈敬 | じきょう | 「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「慈敬」という法名には、阿弥陀仏の慈悲を敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 64-4 | 若有慈敬於佛者 |
239 | 慈教 | じきょう | 「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「教」は、念仏の教えを意味しています。したがって、「慈教」という法名には、念仏の教えを通して阿弥陀仏の慈悲に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 74-10 | 慈心放教 |
240 | 至成 | しじょう | 「至」は、いたる、めざすところまでとどくという意味です。「成」は、なしとげるという意味です。したがって、「至成」という法名には、生涯をつくして念仏を修して仏道をなしとげてほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 22-4 | 至成佛道 |
241 | 至誠 | しじょう | 「至」には、この上ないという意味があります。「誠」には、まことという意味があります。したがって、「至誠」という法名には、阿弥陀仏のまことの御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 75-11 | 所作至誠 |
242 | 慈聲 | じしょう | 「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「聲」は、こえという意味があります。したがって、「慈聲」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏のよびかけに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-8 | 大慈悲聲 |
243 | 慈心 | じしん | 「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。「心」は、阿弥陀仏の心を意味しています。したがって、「慈心」という法名には、阿弥陀仏の慈悲の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 74-10 | 慈心教誨 |
244 | 志崇 | しそう | 「志」は、こころざすという意味です。「崇」には、とうとぶという意味があります。したがって、「志崇」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをとうとぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-14 | 志崇佛道 |
245 | 實善 | じつぜん | 「實」は、阿弥陀仏の真実を意味しています。「善」は、よく巧みに生きとし生けるものに恵みをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「實善」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 64-5 | 實爲大善 |
246 | 至導 | しどう | 「至」には、すべてにいたるという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「至導」という法名には、すべての人を救う本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-3 | 名稱普至 導御十方 |
247 | 至道 | しどう | 「至」には、いたるという意味があります。「道」とは、正しい道すじという意味があります。したがって、「至道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-2 | 必至無上道 |
248 | 志道 | しどう | 「志」は、こころざすという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「志道」という法名には、仏道を志してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-9 | 志求無上道 |
249 | 志道 | しどう | 「志」は、こころざすという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「志道」という法名には、仏道を志してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-14 | 志崇佛道 |
250 | 慈等 | じとう | 「慈」は、仏の慈悲を意味しています。「等」は、仏がすべてを等しく見ることができることを意味しています。したがって、「慈等」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-4 | 大慈等故 |
251 | 至德 | しとく | 「至」には、この上ないという意味があります。「德」は、阿弥陀仏の功德を意味しています。したがって、「至德」という法名には、この上ない阿弥陀仏の功德に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 66-2 | 甚爲至德 |
252 | 志法 | しほう | 「志」は、こころざすという意味です。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「志法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-11 | 志求佛法 |
253 | 持寶 | じほう | 「持」には、たもっという意味があります。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「持寶」という法名には、なにものにもかえがたい阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-6 | 持海輪寶 |
254 | 寂靜 | じゃくじょう | 「寂」は、音もなくしずかという意味です。「靜」は、しずまる、しずかという意味です。したがって、「寂靜」という法名には、仏道を歩むことによって、こころしずかであってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-12 | 其心寂靜 |
255 | 志勇 | しゅう | 「志」は、こころざすという意味です。「勇」は、いさましいという意味です。したがって、「志勇」という法名には、仏道を志し、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-8 | 志勇精進 |
256 | 修願 | しゅがん | 「修」は、念仏申すことを意味しています。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「修願」という法名には、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-14 | 修諸功德 願生彼國 |
257 | 修敬 | しゅきょう | 「修」は、修めるという意味です。「敬」は、敬うという意味です。したがって、「修敬」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えを敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-7 | 修六和敬 |
258 | 壽光 | じゅこう | 「壽」は、阿弥陀仏の無量寿を意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「壽光」という法名には、無鉦寿・無量光たる阿弥陀仏に帰依し、念仏の生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 30-4 | 無量壽佛 威神光明 最尊第一 |
259 | 壽宣 | じゅせん | 「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「宣」には、ひろめるという意味があります。したがって、「壽宣」という法名には、すべての人の救いを誓われた阿弥陀仏の本願に出遇い、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-10 | 汝寧復聞無量壽佛大音宣布一切世界 |
260 | 壽尊 | じゅそん | 「壽」は、阿弥陀仏の無量寿を意味しています。「尊」とは、とうといという意味です。したがって、「壽尊」という法名には、無量寿仏の尊さに出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 30-4 | 無量壽佛 威神光明 最尊第一 |
261 | 修德 | しゅとく | 「修」は、おさめる、修行するという意味です。「德」は、功德という意味です。したがって、「修德」という法名には、念仏によってさまざまな功德をえてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 19-5 | 修習普賢之德 |
262 | 住德 | じゅとく | 「住」は、居場所が与えられたことを意味しています。「德」は、仏のはたらきによる功德を意味しています。したがって、「住德」という法名には、お念仏の功德によって居場所を見い出してほしいという頻いを込めさせていただいております。 | 2-11 | 安住一切功德之法 |
263 | 住得 | じゅとく | 「住」とは、居場所が与えられたことを意味しています。「得」には、えるという意味があります。したがって、「住得」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、居場所をよろこぶ身になってほしいという頓いを込めさせていただいております。 | 5-4 | 佛所住者 皆已得住 |
264 | 壽德 | じゅとく | 「壽」は、無屈寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「德」は、阿弥陀仏の功德を意味しています。したがって、「壽德」という法名には、阿弥陀仏の功德があふれる浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-6 | 無量壽佛 威神功德 |
265 | 修法 | しゅほう | 「修」とは、修めるという意味です。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「修法」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという顔いを込めさせていただいております。 | 54-6 | 修心佛法 |
266 | 澍法 | じゅほう | 「澍」には、うるおすという意味があります。「法」には、救いのすじみち、道理という意味があります。したがって、「澍法」という法名には、ひとびとにうるおいと救いを与える本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-16 | 澍法雨 |
267 | 受法 | じゅほう | 「受」には、うけるという意味があります。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「受法」という法名には、仏の教えをいただき、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 52-15 | 聽受經法 |
268 | 壽寶 | じゅほう | 「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「壽寶」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 82-6 | 無量壽國 於七寶華中 |
269 | 壽明 | じゅみょう | 「壽」は、阿弥陀仏の無量寿を意味しています。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「壽明」という法名には、無量寿・無量光たる阿弥陀仏に帰依し、念仏の生活を送ってほしいという願いを込めさせていただい ております。 | 30-4 | 無量蒜佛威扉車光明 |
270 | 壽樂 | じゅらく | 「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「壽樂」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57-16 | 壽樂無有極 |
271 | 壽量 | じゅりょう | 「壽」は、寿命、いのちという意味です。「量」は、無量寿という仏のはたらきを意味しています。したがって、「壽量」という法名には、はかりなきいのちに帰命してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-14 | 彼佛圏土壽量幾何 |
272 | 純敬 | じゅんきょう | 「純」とは、純粋という意味です。「敬」とは、うやまうという意味です。したがって、「純敬」という法名には、純粋に仏をうやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-10 | 如純孝之子 愛敬父母 |
273 | 順實 | じゅんじつ | 「順」は、したがうという意味があります。「實」は、真実を意味しています。したがって、「順實」という法名には、仏の教えにしたがい、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-12 | 隨順淸淨 離欲寂滅 眞實之義 |
274 | 順淸 | じゅんしょう | 「順」は、したがうという意味があります。「淸」は、きよらかという意味があります。したがって、「順淸」という法名には、仏の教えにしたがい、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-12 | 隨順淸淨 |
275 | 順眞 | じゅんしん | 「順」は、したがうという意味があります。「眞」とは、まことという意味があります。したがって、「順眞」という法名には、仏の教えにしたがい、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-12 | 隨順淸淨 離欲寂滅 眞實之義 |
276 | 順慧 | じゅんね | 「順」は、したがうという意味があります。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「順慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 53-13 | 隨順智慧 |
277 | 淸安 | しょうあん | 「淸」は、きよらかという意味です。「安」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「淸安」という法名には、きよらかな阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-10 | 浦淨安稔 |
278 | 淨安 | じょうあん | 「淨」は、阿弥陀仏の浄土という意味があります。「安」は、苦楽を超えたやすらかさを意味しています。したがって、「淨安」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-10 | 淸淨安穏 |
279 | 正意 | しょうい | 「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「意」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「正意」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 66-1 | 端心正意 |
280 | 調意 | じょうい | 「調」は、ととのえるという意味です。「意」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「調意」という法名には、阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-1 | 布施調意 |
281 | 正慧 | しょうえ | 「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「慧」は、仏の智慧を意味しています。したがって、「正慧」という法名には、すべての人の悩みを知りつくす仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-8 | 離欲深正念淨慧修梵行 |
282 | 淸恵 | しょうえ | 「淸」にはきよらかという意味があります。「恵」とは、めぐむという意味です。したがって、「淸恵」という法名には、阿弥陀仏のきよらかな恵みである本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-8 | 專求淸白之法 以惠利群生 |
283 | 定慧 | じょうえ | 「定」とは、さだまるという意味です。「慧」とは、智惹という意味です。したがって、「定慧」という法名には、仏の智魃を得て、まことの人生を生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-10 | 如束定慧 |
284 | 淨慧 | じょうえ | 「淨」は、きよらかという意味です。「慧」は、仏の智慧という意味です。したがって、「淨慧」という法名には、仏のきよらかな智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-8 | 淨慧修梵行 |
285 | 生悦 | しょうえつ | 「生」は、うまれるという意味です。「悦」は、よろこぶという意味です。したがって、「生悦」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 13-1 | 十方来生 心悦淸淨 |
286 | 正音 | しょうおん | 「正」は、すべての人に通じるという意味です。「音」は、念仏の声を意味しています。したがって、「正音」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-6 | 正覺大音 |
287 | 淸音 | しょうおん | 「淸」には、きよらかという意味があります。「音」には、こえという意味があります。したがって、「淸音」という法名には、阿弥陀仏の呼びかけである念仏のこえに目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 34-16 | 淸風時發 出五音聲 |
288 | 照界 | しょうかい | 「照」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「界」は、人間の世界を意味しています。したがって、「照界」という法名には、人間の世界の闇を照らす阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 30-5 | 或有佛光照百佛世界 |
289 | 照界 | しょうかい | 「照」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「界」は、人間の世界を意味しています。したがって、「照界」という法名には、人間の世界の闇を照らす阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 51-9 | 普照三千大千世界 |
290 | 正覺 | しょうがく | 「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「正覺」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-13 | 成最正覺 |
291 | 常覺 | じょうかく | 「常」は、つねにという意味があります。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「常覺」という法名には、つねに我々にはたらき続ける阿弥陀仏の本顔に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-1 | 常以法音 覺諸世間 |
292 | 成覺 | じょうがく | 「成」には、成しとげられるという意味があります。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「成覺」という法名には、仏の本願に出遇い、教えをよろこぶ身となってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-13 | 現成等覺 |
293 | 定覺 | じょうがく | 「定」は、さだまるという意味です。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「定覺」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-10 | 決定必成無上正覺 |
294 | 正観 | しょうかん | 「正」とは、すべての人に通じるという意味があります。「觀」は、みるという意味です。したがって、「正觀」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-14 | 正念正觀 |
295 | 正願 | しょうがん | 「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「正願」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 1-6 | 尊者正願 |
296 | 勝願 | しょうがん | 「勝」は、すぐれているという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「勝願」という法名には、阿弥陀仏のすぐれた願いに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-11 | 超發無上殊勝之願 |
297 | 成願 | じょうがん | 「成」は、成就するという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「成願」という法名には、わたしたちの本当の願いである浄土への往生を成就してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-2 | 成滿所願 |
298 | 誠願 | じょうがん | 「誠」には、まことという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「誠願」という法名には、阿弥陀仏のまことの本顔に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 46-7 | 以至誠心 願生其國 |
299 | 淸行 | しょうぎょう | 「淸」は、きよらかという意味です。「行」は、修行という意味です。したがって、「淸行」という法名には、阿弥陀仏のきよらかな行によって浄土に生まれてほしいという頻いを込めさせていただいております。 | 14-14 | 淸淨之行 |
300 | 正行 | しょうぎょう | 「正」には、ただしいという意味があります。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「正行」という法名には、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 65-4 | 端身正行 |
301 | 淨鏡 | じょうきょう | 「淨」とは、きよらかという意味です。「鏡」とは、あきらかにするという意味です。したがって、「淨鏡」という法名には、私を映し出すきよらかな鏡のような仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-4 | 如明淨鏡 |
302 | 淨行 | じょうぎょう | 「淨」は、すみきっているという意味です。「行」は、修行という意味です。したがって、「淨行」という法名には、念仏によって、すみきった阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-1 | 浄土之行 |
303 | 常行 | じょうぎょう | 「常」とは、つねという意味があります。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「常行」という法名には、念仏する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-16 | 常能修行 |
304 | 精華 | しょうけ | 「精」には、まじりけがないという意味があります。「華」とは、うつくしいという意味です。したがって、「精華」という法名には、まじりけがなく、うつくしい阿弥陀仏の御心に出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 34-11 | 水精爲華 |
305 | 淸雅 | しょうげ | 「清」は、きよらかという意味があります。「雅」は、みやびという意味があります。したがって、「清雅」という法名には、きよらかなる阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-10 | 淸揚哀亮 微妙和雅 |
306 | 成華 | じょうけ | 「成」には、なしとげるという意味があります。「華」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「成華」という法名には、すべての人々を救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 52-11 | 化成華蓋 |
307 | 照見 | しょうけん | 「照」は、すみずみまでてらすという意味です。「見」は、みるという意味です。したがって、「照見」という法名には、阿弥陀仏のはなつ光にてらされて、世界のすみずみまでみることができるようになってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 20-13 | 皆悉照見 |
308 | 淨見 | じょうけん | 「淨」は、すみきっているという意味です。「見」は、みるという意味です。したがって、「淨見」という法名には、すみきった世界である浄土のありようを見てほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 14-10 | 嚴淨國土 皆悉覩見 |
309 | 常見 | じょうけん | 「常」は、つねにという意味です。「見」は、みるという意味です。したがって、「常見」という法名には、念仏する生活のなかでいつでも阿弥陀仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 24-4 | 常見無量 |
310 | 成現 | じょうげん | 「成」には、なしとげるという意味があります。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「成現」という法名には、仏の本願に出遇い、教えをよろこぶ身となってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-9 | 成等正覺 示現滅度 |
311 | 定現 | じょうげん | 「定」には、さだまるという意味があります。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「定現」という法名には、苦悩する生きとし生けるものを救おうとする本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-16 | 住深定門 悉覩現在 |
312 | 莊光 | しょうこう | 「莊」は、おごそかにおかざりすることを意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「莊光」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-12 | 次名莊嚴光明 |
313 | 正響 | しょうこう | 「正」は、すべての人に通じるという意味です。「響」は、ひびくという意味です。したがって、「正響」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共にお念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-6 | 正覺大音 響流十方 |
314 | 錠光 | じょうこう | 「錠光」とは、「燃燈」とも言われ、智慧の光を意味します。したがって、「錠光」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-2 | 錠光如来 |
315 | 淨光 | じょうこう | 「淨」は、すみきっているという意味です。「光」は、仏の放つ光明という意味で、仏の智慧を表します。したがって、「淨光」という法名には、すみきった仏の智慧の光にあふれた阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 20-1 | 嚴淨光麗 |
316 | 淨香 | じょうこう | 「淨」は、きよらかなという意味です。「香」は、かおりを意味しています。したがって、「淨香」という法名には、きよらかなかおりにみちた阿弥陀仏の淨士に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 37-2 | 清淨香潔 |
317 | 常廣 | じょうこう | 「常」は、常に教えが説かれていることを意味します。「廣」とは、安楽浄土が広大であることを意味します。したがって、「常廣」という法名には、本l!頁i念仏の教えに出遇い、安楽浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-6 | 常欲廣説 |
318 | 照極 | しょうごく | 「照」には、てらすという意味があります。「極」には、きわみ、はてという意味があります。したがって、「照極」という法名には、どこまでも照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-8 | 照耀無極 |
319 | 清嚴 | しょうごん | 「清」は、きよらかという意味です。「嚴」は、おごそかなおかざりの意味です。したがって、「清嚴」という法名には、きよらかで、おごそかにかざられた阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-12 | 清淨莊嚴無量妙土 |
320 | 淨嚴 | じょうごん | 「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「嚴」は、おごそかにおかざりするという意味です。したがって、「淨嚴」という法名には、阿弥陀仏の本願によっておごそかにおかざりされた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-12 | 清淨莊嚴無量妙土 |
321 | 稱讃 | しょうさん | 「稱」には、かなうという意味があります。「讃」には、ほめるという意味があります。したがって、「稲讃」という法名には、阿弥陀仏の名号をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 79-4 | 常共稱揚 讃歎彼佛 |
322 | 常修 | じょうしゅ | 「常」は、つねにという意味です。「修」は、おさめる、修行という意味です。したがって、「常修」という法名には、生涯をつくしてつねに念仏を申して仏道を成就してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 22-4 | 常修梵行 |
323 | 淨修 | じょうしゅ | 「淨」には、きよらかという意味があります。「修」には、おさめるという意味です。したがって、「淨修」という法名には、念仏して仏のきよらかな智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-8 | 淨慧修梵行 |
324 | 定緊 | じょうじゅ | 「定」は、かならず仏となることが定まるということを意味しています。「衆」は、なかまを意味しています。したがって、「定衆」という法名には、本願に出遇い、ともに念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-3 | 皆悉住於正定之衆 |
325 | 常住 | じょうじゅう | 「常」には、つねにという意味があります。「住」には、とどまるという意味があります。したがって、「常住」という法名には、いつまでもお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-5 | 心常諦住 |
326 | 淸淨 | しょうじょう | 「清」は、きよらかという意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「清淨」という法名には、きよらかで、すみきった阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-12 | 清淨莊嚴無量妙土 |
327 | 莊淨 | しょうじょう | 「莊」は、ととのった、おごそかなおかざりの意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「莊淨」という法名には、おごそかにかざられ、すみきった世界である阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-13 | 莊嚴佛國清淨之行 |
328 | 正定 | しょうじょう | 「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「定」は、かならず仏となることが定まるということを意味しています。したがって、「正定」という法名には、すべての人が救われる本願のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-3 | 皆悉住於正定之衆 |
329 | 成正 | じょうしょう | 「成」は、成就するという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味です。したがって、「成正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共に念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-13 | 速成正覺 |
330 | 正眞 | しょうしん | 「正」は、すべての人に通じるという意味があります。「眞」は、まことという意味です。したがって、「正眞」という法名には、すべての人に通じる仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 尋被無上正眞道意 |
331 | 勝心 | しょうしん | 「勝」は、すぐれるという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「勝心」という法名には、阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-3 | 等心勝心 |
332 | 正心 | しょうしん | 「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「正心」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 77-8 | 正心正意 |
333 | 淨信 | じょうしん | 「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「信」は、目覚めるという意味です。したがって、「淨信」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-4 | 次名淨信 |
334 | 誠心 | じょうしん | 「誠」には、まことという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の願いを意味しています。したがって、「誠心」という法名には、阿弥陀仏のまことの願いをいただいて、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 46-7 | 以至誠心 |
335 | 定心 | じょうしん | 「定」には、さだまるという意味があります。「心」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「定心」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-3 | 深心定心 |
336 | 照世 | しょうせ | 「照」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「世」は、人間の世界を意味しています。したがって、「照世」という法名には、人間の世界の闇を照らす阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 51-9 | 普照三千大千世界 |
337 | 常説 | じょうせつ | 「常」は、つねにという意味です。「説」は、阿弥陀仏の教えが説かれていることを意味します。したがって、「常説」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-6 | 常欲廣説 |
338 | 正善 | しょうぜん | 「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「善」は、よく巧みに生きとし生けるものに恵みをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「正善」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 71-9 | 端身正行 獨作諸善 |
339 | 勝善 | しょうぜん | 「勝」には、すぐれるという意味があります。「善」は、よく巧みに生きとし生けるものに恵みをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「勝善」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 77-9 | 勝在無量壽國 爲善百歳 |
340 | 常宣 | じょうせん | 「常」とは、つねにという意味があります。「宜」には、ひろめるという意味があります。したがって、「常宣」という法名には、念仏の教えをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 53-13 | 常宣正法 |
341 | 勝尊 | しょうそん | 「勝」には、すぐれるという意味があります。「尊」には、とうといという意味があります。したがって、「勝尊」という法名には、仏の尊くすぐれたこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-5 | 等此最勝尊 |
342 | 常尊 | じょうそん | 「常」は、つねにという意味です。「腺」とは、とうといという意味です。したがって、「常尊」という法名には、仏の尊い教えに出遇い、つねにお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-6 | 常令此尊 |
343 | 常諦 | じょうたい | 「常」には、つねにという意味があります。「諦」には、あきらかにするという意味があります。したがって、「常諦」という法名には、人々を救おうとする仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-5 | 心常諦住 |
344 | 誠諦 | じょうたい | 「誠」には、まことという意味があります。「諦」には、あきらかという意味があります。したがって、「誠諦」という法名には、阿弥陀仏のまことのこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-12 | 誠諦不虚 |
345 | 稱歎 | しょうたん | 「稱」には、ほめるという意味があります。「歎」には、たたえるという意味があります。したがって、「稱歎」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをよろこび、ほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57-2 | 所共稱歎 |
346 | 勝智 | しょうち | 「勝」には、すぐれるという意味があります。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「勝智」という法名には、なによりもすぐれた阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 81-8 | 無等無倫最上勝智 |
347 | 常知 | じょうち | 「常」は、つねにという意味です。「知」は、さとるという意味です。したがって、「常知」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、つねにお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-6 | 常令此尊 知我心行 |
348 | 乘智 | じょうち | 「乘」は、すべての人を浄土にいたらせるものを意味しています。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「乘智」という法名には、すべての人を浄土にいたらせる阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 81-8 | 大乘廣智 |
349 | 淨暢 | じょうちょう | 「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「暢」とは、ゆきわたるという意味です。したがって、「淨暢」という法名には、仏の教えを聞いて、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-4 | 如明淨鏡 影暢表裏 |
350 | 清徹 | しょうてつ | 「清」は、きよらかという意味があります。「徹」は、つらぬきとおすという意味があります。したがって、「清徹」という法名には、どこまでもきよらかな仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-12 | 耳根清徹 |
351 | 稱導 | しょうどう | 「稱」には、となえるという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「稱導」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-3 | 名稱普至 導御十方 |
352 | 精道 | しょうどう | 「精」は、まじりけなく、ひとすじであるという意味です。「道」は、仏道という意味です。したがって、「精道」という法名には、仏道をひとすじに歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-6 | 精進求道不止 |
353 | 正道 | しょうどう | 「正」には、すべての人に通ずるという意味があります。「道」には、正しいすじみちという意味があります。したがって、「正道」という法名には、すべての人々が救われる本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-11 | 於佛正道 |
354 | 昇道 | しょうどう | 「昇」は、のぽるという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「昇道」という法名には、仏道をひとすじに歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57-14 | 昇道無窮極 |
355 | 成等 | じょうとう | 「成」には、なしとげるという意味があります。「等」は、すべてを等しく見ることのできる仏の眼を意味しています。したがって、「成等」という法名には、すべてを等しく見ることのできる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-9 | 成等正覺 |
356 | 常道 | じょうどう | 「常」には、つねにという意味があります。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「常道」という法名には、つねにお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-5 | 心常諦住 度世之道 |
357 | 淨道 | じょうどう | 「淨」は、きよらかという意味です。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「淨道」という法名には、きよらかな仏道に立って歩んでいってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-8 | 淨慧修梵行志求無上道 |
358 | 成道 | じょうどう | 「成」は、なしとげるという意味があります。「道」には、正しい道すじという意味があります。したがって、「成道」という法名には、どこまでも仏道を歩みつづけてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-12 | 至成佛道 |
359 | 常導 | じょうどう | 「常」は、つねにという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「常導」という法名には、つねに我々を将いてくださる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-9 | 常爲導師 |
360 | 稱德 | しょうとく | 「稱」は、となえるという意味です。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「稱德」という法名には、阿弥陀仏の功徳である念仏を称える生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-9 | 稱其功德 |
361 | 照德 | しょうとく | 「照」は、人々を照らし包む仏のはたらきを意味しています。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「照德」という法名には、人々を照らし包む仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-5 | 照諸功德 |
362 | 正念 | しょうねん | 「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「念」には、心におもって忘れないという意味があります。したがって、「正念」という法名には、すべての人の救いを常におもい続ける阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-8 | 離欲深正念 |
363 | 昭然 | しょうねん | 「昭」には、あきらかという意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「昭然」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇い、自らの救いをあきらかにしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 64-9 | 昭然分明 |
364 | 常然 | じょうねん | 「常」は、つねにという意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「常然」という法名には、永遠に絶えることのない阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-1 | 建立常然 |
365 | 淨然 | じょうねん | 「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「然」は、阿弥陀仏の自然のはたらきを意味しています。したがって、「淨然」という法名には、阿弥陀仏の自然のはたらきによって浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-8 | 微妙嚴淨 自然之物 |
366 | 淸風 | しょうふう | 「淸」にはきよらかという意味があります。「風」は、仏のはたらきが吹きわたることを意味しています。したがって、「淸風」という法名には、阿弥陀仏の淸らかな本顧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 34-16 | 淸風時發 |
367 | 淸法 | しょうほう | 「淸」にはきよらかという意味があります。「法」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「淸法」という法名には、きよらかな仏の本顔の教えに出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-8 | 專求淸白之法 |
368 | 正法 | しょうぽう | 「正」には、すべての人に通じるという意味があります。「法」には、救いの道すじ、道理という意味があります。したがって、「正法」という法名には、すべての人が救われていく本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-13 | 弘宣正法 |
369 | 請法 | しょうぽう | 「請」は、もとめるという意味です。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「請法」という法名には、仏の教えを聞く生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-14 | 請轉法輪 |
370 | 乘寶 | じょうほう | 「乘」は、すべての人を浄土にいたらせるものを意味しています。「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「乘寶」という法名には、すべての人を浄土にいたらせる阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-12 | 乘百千由旬七寶宮殿 |
371 | 成滿 | じょうまん | 「成」は、成就するという意味です。「滿」は、滿たす、完全にするという意味です。したがって、「成滿」という法名には、わたしたちの本当の願いである浄土への往生を成就してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-2 | 成滿所願 |
372 | 莊明 | しょうみょう | 「莊」は、かたちづくるという意味です。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「莊明」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-12 | 次名莊嚴光明 |
373 | 淸妙 | しょうみょう | 「淸」は、きよらかという意味です。「妙」は、すばらしい、たえなる世界という意味で阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「淸妙」という法名には、きよらかで、すばらしい阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-12 | 淸淨莊嚴無量妙土 |
374 | 莊妙 | しょうみょう | 「莊」は、ととのった、おごそかなおかざりの意味です。「妙」は、すばらしいたえなる世界という意味で阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「莊妙」という法名には、おごそかにかざられた阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-12 | 淸淨莊嚴無量妙土 |
375 | 勝妙 | しょうみょう | 「勝」には、すぐれるという意味があります。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「勝妙」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-16 | 超勝獨妙 |
376 | 淸明 | しょうみょう | 「淸」は、きよらかという意味があります。「明」は、あかるいという意味があります。したがって、「淸明」という法名には、きよらかで、あかるい阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-3 | 淸明澄潔 |
377 | 淨妙 | じょうみょう | 「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。「妙」は、思いはかることができないことを意味しています。したがって、「淨妙」という法名には、人間のはからいを超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-12 | 淸淨莊嚴無量妙土 |
378 | 稱聞 | しょうもん | 「稱」は、となえるという意味があります。「聞」は、お念仏の教えを聞くという意味があります。したがって、「稱聞」という法名には、阿弥陀仏の呼びかけを聞き、念仏を称えてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-11 | 稱其所聞 |
379 | 照耀 | しょうよう | 「照」には、てらすという意味があります。「耀」には、光りかがやくという意味があります。したがって、「照耀」という法名には、人間の闇を照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-8 | 照耀無極 |
380 | 淸揚 | しょうよう | 「淸」は、きよらかという意味があります。「揚」は、ほめるという意味があります。したがって、「淸揚」という法名には、きよらかなる仏の功徳をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-10 | 淸揚哀亮 |
381 | 稱揚 | しょうよう | 「稱」には、かなうという意味があります。「揚」には、ほめるという意味があります。したがって、「稱揚」という法名には、阿弥陀仏の名号をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 79-4 | 常共稱揚 |
382 | 照曜 | しょうよう | 「照」は、闇を照らす阿弥陀仏の光明のはたらきを意味しています。「曜」には、かがやくという意味があります。したがって、「照曜」という法名には、人間の闇をかがやき照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-5 | 靡不照曜 |
383 | 淨影 | じょうよう | 「淨」とは、きよらかという意味です。「影」とは、すがたという意味です。したがって、「淨影」という法名には、私によりそう阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-4 | 如明淨鏡 影暢表裏 |
384 | 常揚 | じょうよう | 「常」には、つねにという意味があります。「揚」には、ほめるという意味があります。したがって、「常揚」という法名には、阿弥陀仏の名号をほめたたえる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 79-4 | 常共稱揚 |
385 | 照量 | しょうりょう | 「照」には、てらすという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「照量」という法名には、あらゆる人々を救わずにはおかないという阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-1 | 光明普照 無量佛土 |
386 | 淸亮 | しょうりょう | 「淸」は、きよらかという意味があります。「亮」は、あかるいという意味があります。したがって、「淸亮」という法名には、きよらかで、あかるい阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-10 | 淸揚哀亮 |
387 | 成量 | じょうりょう | 「成」には、なしとげるという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「成量」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5月14日 | 具足成就 無量總持 |
388 | 常和 | じょうわ | 「常」は、つねにという意味があります。「和」には、なごむという意味があります。したがって、「常和」という法名には、本願念仏の教えによって、常にこころがなごむ生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 29-10 | 常和調適 |
389 | 眞意 | しんい | 「眞」は、まことという意味です。「意」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「眞意」という法名には、阿弥陀仏のまことの御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 尋發無上正眞道意 |
390 | 深開 | じんかい | 「深」には、ふかくすぐれたという意味があります。「開」には、ひらくという意味があります。したがって、「深開」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-6 | 以甚深禪慧 開導衆人 |
391 | 眞義 | しんぎ | 「眞」とは、まことという意味です。「義」は、道理という意味があります。したがって、「眞義」という法名には、仏のまこと教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-12 | 眞實之義 |
392 | 信喜 | しんぎ | 「信」は、本願を信ずることを意味しています。「喜」には、よろこびにみちあふれるという意味があります。したがって、「信喜」という法名には、本願を信じよろこびにみちあふれた生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-7 | 信心歎喜 |
393 | 心喜 | しんぎ | 「心」は、本願を信ずる心を意味しています。「喜」には、よろこびにみちあふれるという意味があります。したがって、「心喜」という法名には、本願を信じ、よろこびにみちあふれた生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-7 | 信心歡喜 |
394 | 信樂 | しんぎょう | 「信」は、しんじる、うたがいがないという意味です。「樂」は、ねがうという意味です。したがって、「信樂」という法名には、本当に疑いなく信じねがうという信心をえてほしいという顔いを込めさせていただいております。 | 18-3 | 至心信樂 |
395 | 信行 | しんぎょう | 「信」は、信心を意味しています。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「信行」という法名には、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86-13 | 專心信受 持誦説行 |
396 | 信向 | しんこう | 「信」は、信心を意味しています。「向」は、如来の回向を意味しています。したがって、「信向」という法名には、如来回向の信心をえてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 81-14 | 信心回向 |
397 | 深廣 | じんこう | 「深」は、ふかくすぐれたという意味です。「廣」は、安楽浄土が広大であることを意味します。したがって、「深廣」という法名には、仏道をもとめるというふかくひろいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-3 | 志願深廣 |
398 | 信受 | しんじゅ | 「信」は、信心を意味しています。「受」には、うけとめるという意味があります。したがって、「信受」という法名には、阿弥陀仏の本願を信じ受け止めて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86-13 | 專心信受 |
399 | 信順 | しんじゅん | 「信」は、信心を意味しています。「順」には、したがうという意味があります。したがって、「信順」という法名には、阿弥陀仏の本願を信じて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 87-9 | 應當信順 |
400 | 心淸 | しんしょう | 「心」は、仏の御心という意味です。「淸」は、きよらかなという意味です。したがって、「心淸」という法名には、仏のきよらかな御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-1 | 心悦淸淨 |
401 | 信證 | しんしょう | 「信」は、めざめるという意味です。「證」は、さとるという意味です。したがって、「信證」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-3 | 幸佛信明 是我眞證 |
402 | 眞證 | しんしょう | 「眞」は、まことという意味です。「證」は、あかすという意味です。したがって、「眞證」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-3 | 是我眞證 |
403 | 心淨 | しんじょう | 「心」は、仏の御心という意味です。「淨」は、きよらかなという意味です。したがって、「心淨」という法名には、仏のきよらかな御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-1 | 心悦淸淨 |
404 | 心靜 | しんじょう | 「心」は、こころという意味です。「靜」は、しずまる、しずかという意味です。したがって、「心靜」という法名には、仏道を歩むことによって、こころしずかな生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-12 | 其心寂靜 |
405 | 尋正 | じんしょう | 「尋」は、たずねるという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「尋正」という法名には、すべての人に通じる仏の教えに出遇ってほしいという顛いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 尋發無上正眞道意 |
406 | 深照 | じんしょう | 「深」は、ふかいという意味があります。「照」は、てらすという意味があります。したがって、「深照」という法名には、人間の闇を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-3 | 寶沙映徹 無深不照 |
407 | 深定 | じんじょう | 「深」には、ふかくすぐれたという意味があります。「定」には、かならず仏となることが定まるという意味があります。したがって、「深定」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-16 | 住深定門 |
408 | 心尋 | しんじん | 「心」は、仏のこころという意味です。「尋」は、たずねるという意味です。したがって、「心尋」という法名には、仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 心懐悦豫 尋發無上正眞道意 |
409 | 尋眞 | じんしん | 「尋」は、たずねるという意味です。「眞」は、まことという意味です。したがって、「尋眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 尋發無上正眞道意 |
410 | 深心 | じんしん | 「深」は、深いという意味です。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「深心」という法名には、阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-3 | 深心定心 |
411 | 心諦 | しんたい | 「心」は、仏の御心を意味します。「諦」には、あきらかにするという意味があります。したがって、「心諦」という法名には、仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-5 | 心常諦住 |
412 | 深諦 | じんたい | 「深」は、ふかくすぐれたという意味です。「諦」は、あきらかにするという意味です。したがって、「深諦」という法名には、深くすぐれた本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-9 | 深諦善念 |
413 | 信智 | しんち | 「信」は、信心を意味しています。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「信智」という法名には、阿弥陀仏を信じ、智慧をいただいて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 81-13 | 明信佛智 |
414 | 深智 | じんち | 「深」とは、ふかくすぐれたという意味です。「智」とは、阿弥陀仏の智慧を意味します。したがって、「深智」という法名には、仏の深い智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-15 | 登深智慧 |
415 | 眞道 | しんどう | 「眞」は、まことという意味です。「道」は、仏道という意味です。したがって、「眞道」という法名には、仏のまことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 尋發無上正眞道意 |
416 | 深導 | じんどう | 「深」は、ふかいという意味です。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「深導」という法名には、深い本願念仏の教えに禅かれ、出遇っていってほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 5-6 | 以甚深禪慧開導衆人 |
417 | 尋道 | じんどう | 「尋」は、たずねるという意味です。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「尋道」という法名には、本願念仏の教えを聞き、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 尋發無上正眞道意 |
418 | 深忍 | じんにん | 「深」は、ふかいという意味です。「忍」は、やすんじるという意味があります。したがって、「深忍」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇ってほしいという顆いを込めさせていただいております。 | 35-12 | 得深法忍 |
419 | 信慧 | しんね | 「信」は、信心を意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「信慧」という法名には、阿弥陀仏を信じ、智慧をいただいて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 83-14 | 是故應當明信 諸佛無上智慧 |
420 | 深慧 | じんね | 「深」は、ふかいという意味です。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味してまいす。したがって、「深慧」という法名には、阿弥陀仏の深い智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-6 | 以甚深禪慧 |
421 | 深念 | じんねん | 「深」は、深いという意味です。「念」には、心におもって忘れないという意味があります。したがって、「深念」という法名には、すべての人の救いを深くおもい続ける阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-8 | 離欲深正念 |
422 | 深遠 | じんのん | 「深遠」とは、奥深く容易にはかりしれない念仏の教えを意味しています。したがって、「深遠」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-1 | 深遠微妙 |
423 | 眞寶 | しんぽう | 「眞」は、真実を意味しています。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「眞寶」という法名には、阿弥陀仏の真実のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 42-5 | 皆以金縷眞珠百千雑寶 |
424 | 深法 | じんぼう | 「深」は、深いという意味です。「法」は、念仏の教えを意味します。したがって、「深法」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-15 | 聞甚深法 |
425 | 尋發 | じんほつ | 「尋」は、たずねるという意味です。「發」には、おこすという意味があります。したがって、「尋發」という法名には、生きとし生けるものを救うためにおこされた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 尋發無上正眞道意 |
426 | 眞妙 | しんみょう | 「眞」とは、まことという意味です。「妙」とは、すばらしい世界という意味で、阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「眞妙」という法名には、まことの教えに出遇い、阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-15 | 眞妙辯才 |
427 | 信明 | しんみょう | 「信」は、めざめるという意味です。「明」は、きよくあかるいという意味です。したがって、「信明」という法名には、仏のみ教えにめざめてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-3 | 幸佛信明 |
428 | 深妙 | じんみょう | 「深」は、ふかいという意味です。「妙」は、すぐれたという意味です。したがって、「深妙」という法名には、深くすぐれた本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-13 | 智慧深妙 |
429 | 眞利 | しんり | 「眞」とは、まことという慈味です。「利」とは、めぐみという意味です。したがって、「眞利」という法名には、仏のまことのめぐみを得てほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-2 | 恵以眞實之利 |
430 | 隨應 | ずいおう | 「隨」には、よりそうという意味があります。「應」は、おうじるという意味です。したがって、「隨應」という法名には、すべての人によりそい救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-9 | 隨應而現 |
431 | 隨往 | ずいおう | 「隨」には、したがうという意味があります。「往」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「隨往」という法名には、本願念仏の教えにしたがって、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 45-2 | 即隨彼佛 往生其國 |
432 | 隨願 | ずいがん | 「隨」には、したがうという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「隨願」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-8 | 隨意所願 |
433 | 瑞華 | ずいけ | 「瑞」とは、よろこばしいという意味です。「華」とは、うつくしいという意味です。したがって、「瑞華」という法名には、お念仏をよろこぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-3 | 猶靈瑞華 |
434 | 隨現 | ずいげん | 「隨」には、よりそうという意味があります。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「隨現」という法名には、苦悩する人々を救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいておりま す。 | 35-9 | 隨應而現 |
435 | 隨生 | ずいしょう | 「隨」には、したがうという意味があります。「生」は、阿弥陀仏の浄土に往生することを意味しています。したがって、「隨生」という法名には、本願念仏の教えにしたがって、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 45-2 | 即隨彼佛 往生其國 |
436 | 隨心 | ずいしん | 「隨」には、したがうという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「隨心」という法名には、阿弥陀仏の御心に出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 52-7 | 隨心所念 |
437 | 隨眞 | ずいしん | 「隨」は、したがうという意味です。「眞」は、阿弥陀仏の真実を意味しています。したがって「隨眞」という法名には、本願念仏の教えを聞くことを通して、阿弥陀仏のまことのこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-12 | 隨順淸淨 離欲寂滅 眞實之義 |
438 | 隨念 | ずいねん | 「隨」には、したがうという意味があります。「念」は、念仏をとなえることを意味しています。したがって、「隨念」という法名には、阿弥陀仏のこころに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 52-7 | 隨心所念 |
439 | 垂寶 | すいほう | 「垂」には、あらわすという意味があります。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「垂寶」という法名には、なにものにもかえがたい阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-7 | 垂寶瓔珞 |
440 | 隨聞 | ずいもん | 「隨」には、よりそうという意味があります。「聞」は、聞法するという意味があります。したがって、「隨聞」という法名には、すべての人によりそい救う本願念仏の教えに出遇ってほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 38-6 | 隨其所應 莫不聞者 |
441 | 誓覺 | せいかく | 「誓」は阿弥陀仏の誓いを意味します。「覺」は正しい智慧に目覚めることを意味します。したがって、「誓覺」という法名には、正しい智慧に目覚めることを誓われた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-3 | 誓不成正覺 |
442 | 誓願 | せいがん | 「誓」は、阿弥陀仏の誓いを意味し、「願」は、その願いを意味します。したがって、「誓願」という法名には、一切の生きとし生けるものを救うと誓われた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-3 | 斯願不滿足誓不成正覺 |
443 | 制智 | せいち | 「制」には、とめる、やめさせるという意味があります。「智」には、人のはからいを超えた仏の智慧という意味があります。したがって、「制智」という法名には、さまざまな誘惑を超えさせる仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-12 | 制以智力 |
444 | 誓得 | せいとく | 「誓」は、ちかいという意味です。「得」は、えるという意味です。したがって、「誓得」という法名には、すべての人を救うことを誓われた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-3 | 吾誓得佛 |
445 | 誓妙 | せいみょう | 「誓」は、ちかいという意味です。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「誓妙」という法名には、すべての人を救うことを誓われた阿弥陀仏の願いに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-14 | 發斯弘誓 建此願已 一向專志 莊嚴妙土 |
446 | 是精 | ぜしょう | 「是」は、まことという意味です。「精」は、こころという意味です。したがって、「是精」という法名には、仏のまことの御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-12 | 如是精進 |
447 | 是證 | ぜしょう | 「是」は、まことという意味です。「證」は、あかすという意味です。したがって、「是證」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-3 | 是我眞證 |
448 | 是眞 | ぜしん | 「是」は、ただしいという意味です。「眞」は、まことという意味です。したがって、「是眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、お念仏をよろ こぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-3 | 是我眞證 |
449 | 攝淨 | せつじょう | 「攝」は、おさめとるという意味です。「淨」は、汚れがなくすみきっているという意味です。したがって、「攝淨」という法名には、阿弥陀仏がおさめとった汚れなくすみきった行によって、浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-13 | 思惟攝取莊嚴佛國淸淨之行 |
450 | 攝妙 | せつみょう | 「攝」は、おさめとるという意味です。「妙」は、すばらしい世界という意味で、阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「攝妙」という法名には、阿弥陀仏がおつくりになられた、すばらしい世界に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-11 | 攝取佛國淸淨莊嚴無量妙土 |
451 | 專學 | せんがく | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「學」は、まなぶという意味です。したがって、「專學」という法名には、ひとすじに本願念仏の教えを学び、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 65-15 | 專精修學 |
452 | 善學 | ぜんがく | 人に本当の恵みを与えるものを「善」といいます。「學」には、まなぶという意味があります。したがって、「善學」という法名には、本願念仏の教えを学び、出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-9 | 善學無畏之網 |
453 | 宣教 | せんきょう | 「宣」には、のべ伝えるという意味があります。「教」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「宣教」という法名には、本願の教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 53-4 | 廣宣道教 |
454 | 專樂 | せんぎょう | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「專樂」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-5 | 專樂求法 |
455 | 專行 | せんぎょう | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「專行」という法名には、ひとすじに念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86-13 | 專心信受 持誦説行 |
456 | 善曉 | ぜんきょう | 人に本当のめぐみを与えるものを「善」といいます。「曉」は、夜明けを意味しています。したがって、「善曉」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-9 | 善學無畏之網 曉了幻化之法 |
457 | 專志 | せんし | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「志」は、こころざすという意味です。したがって、「專志」という法名には、ひとすじに本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-15 | 一向專志 |
458 | 善思 | ぜんし | 「善」は、善く巧みに人々にめぐみをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「思」は、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「善思」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 78-14 | 汝等各善思之 |
459 | 善寶 | ぜんじつ | 人に本当の恵みを与えるものを「善」といいます。「實」には、成就するという意味があります。したがって、「善實」という法名には、真実の教えに出遇って実り多い人生にしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 1-7 | 尊者善實 |
460 | 專壽 | せんじゅ | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「壽」は、無量寿国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「專壽」という法名には、ひとすじに阿弥陀仏の浄土に生まれていく歩みをしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-13 | 一向專念無量壽佛 |
461 | 專受 | せんじゅ | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「受」には、うけとめるという意味があります。したがって、「專受」という法名には、阿弥陀仏の本願を信じ受け止めて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86-13 | 專心信受 |
462 | 宣正 | せんしょう | 「宣」は、教えをのべ伝えるという意味です。「正」には、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「宣正」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えを聞法し、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-6 | 宣流正化 |
463 | 專淸 | せんしょう | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「淸」にはきよらかという意味があります。したがって、「專淸」という法名には、ひとすじに、きよらかな浄土に生まれていく歩みをしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-8 | 專求淸白之法 |
464 | 專精 | せんしょう | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「精」には、まじりけがないという意味があります。したがって、「專精」という法名には、ひとすじに念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 65-15 | 專精修學 |
465 | 專淨 | せんじょう | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「專淨」という法名には、ひとすじに阿弥陀仏の浄土に生まれていく歩みをしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 49-1 | 尊求淨佛土 |
466 | 善調 | ぜんじょう | 「善」には、たくみにという意味があります。「調」には、ととのえるという意味があります。したがって、「善調」という法名には、我々をよく調えてくださる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-3 | 善調伏故 |
467 | 洗心 | せんしん | 「洗」には、きよいという意味があります。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「洗心」という法名には、きよらかな阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 65-5 | 洗除心垢 |
468 | 專信 | せんしん | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「信」は、信心を意味しています。したがって、「專信」という法名には、阿弥陀仏の本願をひとすじに信じて、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86-13 | 專心信受 |
469 | 專心 | せんしん | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「心」は、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の御心を意味しています。したがって、「專心」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の御心をひとすじに信じて、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86-13 | 專心信受 |
470 | 善心 | ぜんしん | 「善」は、善く巧みに人々にめぐみをほどこす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「心」は、阿弥陀仏の御心を意味します。したがって、「善心」という法名には、あらゆる人々を救おうとする阿弥陀仏の御心に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-1 | 善心生焉 |
471 | 宣暢 | せんちょう | 「宣」には、教えをのべ伝えるという意味があります。「暢」には、とどくという意味があります。したがって、「宣暢」という法名には、仏からの声に耳をかたむけ、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-16 | 宣暢演説 |
472 | 宣道 | せんどう | 「宣」には、のべ伝えるという意味があります。「道」は、本願の仏道を意味しています。したがって、「宣道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 53-4 | 廣宣道教 |
473 | 善德 | ぜんとく | 人に本当の恵みを与えるものを「善」と言います。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「善德」という法名には、よく巧みにはたら <阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 77-8 | 爲德立善 |
474 | 專念 | せんねん | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「念」は、お念仏をとなえることを意味しています。したがって、「專念」という法名には、ひとすじに念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-13 | 一向專念 |
475 | 善念 | ぜんねん | 人に本当の恵みを与えるものを「善」と言います。「念」は、念仏という意味です。したがって、「善念」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-9 | 深諦善念 |
476 | 宣法 | せんぼう | 「宣」には、ひろめるという意味があります。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「宣法」という法名には、念仏の教えをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 53-13 | 常宣正法 |
477 | 專法 | せんぽう | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「法」は、仏の本願の教えを意味しています。したがって、「專法」という法名には、ひとすじに仏の本願の教えに出遇っていってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-8 | 尊求淸白之法 |
478 | 善法 | ぜんぽう | 「善」は、人に本当のめぐみを与えるものを意味します。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「善法」という法名には、人に本当のめぐみを与えてくださる本顆念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-15 | 於諸善法 |
479 | 專妙 | せんみょう | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「專妙」という法名には、ひとすじに本願念仏の教えを聞き、真実の教えに目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-15 | 一向專志 莊嚴妙土 |
480 | 善力 | ぜんりき | 人に本当の恵みを与えるものを「善」といいます。「力」には、はたらきという意味があります。したがって、「善力」という法名には、本当の恵みを与える阿弥陀仏の本願力に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 29-16 | 功德善力 |
481 | 善立 | ぜんりゅう | 人に本当の恵みを与えるものを「善」といいます。「立」には、たてるという意味があります。したがって、「善立」という法名には、阿弥陀仏の本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-11 | 善立方便 |
482 | 專量 | せんりょう | 「專」には、ひとすじにという意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「專量」という法名には、ひとすじに阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-13 | 一向專念無量壽佛 |
483 | 相敬 | そうきょう | 「相」には、互いにという意味があります。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「相敬」という法名には、本当に相手を敬うことができる人になってほしいという顎いを込めさせていただいております。 | 59-9 | 當相敬愛 |
484 | 相好 | そうごう | 「相好」は、阿弥陀仏のすぐれた身体の特徴を意味しています。したがって、「相好」という法名には、うるわしい姿をした阿弥陀仏に出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-8 | 相好殊特 |
485 | 相順 | そうじゅん | 「相」には、互いにという意味があります。「順」は、したがうという意味です。したがって、「相順」という法名には、本願の教えを聞く仲間と共に歩んでいってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 34-15 | 華華相順 |
486 | 相勝 | そうしょう | 「相」は、ともにという意味があります。「勝」は、すぐれるという意味があります。したがって、「相勝」という法名には、仲間とともに本願の教えを聞き、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-7 | 展轉相勝 |
487 | 崇道 | そうどう | 「崇」には、とうとぶという意味があります。「道」は、仏の教えを意味します。したがって、「崇道」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、教えをとうとぶ人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-14 | 志崇佛道 |
488 | 相得 | そうとく | 「相」には、互いにという意味があります。「得」とは、えるという意味です。したがって、「相得」という法名には、本願念仏の教えを聞き、阿弥陀仏の智慧をえて、仲間とともに歩んでいってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-10 | 佛佛相念 得無今佛 |
489 | 相念 | そうねん | 「相」とは、すがたという意味です。「念」とは、念仏という意味です。したがって、「相念」という法名には、念仏して、うるわしいすがたをした阿弥陀仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-10 | 佛佛相念 |
490 | 速覺 | そくがく | 「速」は、すみやかという意味です。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「速覺」という法名には、すみやかに迷いを超えさせようとする阿弥陀仏の本願に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-13 | 速成正覺 |
491 | 速正 | そくしょう | 「速」は、すみやかという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味です。したがって、「速正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共に念仏もうす生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-13 | 速成正覺 |
492 | 速成 | そくじょう | 「速」は、すみやかという意味です。「成」は、成就するという意味です。したがって、「速成」という法名には、一刻もはやく本願念仏の教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-13 | 速成正覺 |
493 | 觸光 | そっこう | 「觸」は、ふれるという意味があります。「光」は、あらゆる人々を照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「觸光」という法名には、どこまでもあらゆる人々を照らす仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-14 | 身觸其光 |
494 | 尊住 | そんじゅ | 「尊」とは、とうといという意味です。「住」とは、とどまるという意味です。したがって、「尊住」という法名には、仏の尊い教えに出遇い、お念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-6 | 今日世尊 住奇特法 |
495 | 大慧 | だいえ | 「大」は、人間のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「大慧」という法名には、人間のはからいを超えた阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-13 | 功勲廣大 智慧深妙 |
496 | 大演 | だいえん | 「大」とは、仏の大悲という意味です。「演」とは、ひろめるという意味です。したがって、「大演」という法名には、大悲の教えをひろめてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-9 | 興大悲愍衆生 演慈辯授法眼 |
497 | 大音 | だいおん | 「大」は、おおいなるという意味です。「音」は、念仏の声を意味しています。したがって、「大音」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-6 | 正覺大音 |
498 | 大願 | だいがん | 「大」は、おおきい、すばらしいという意味です。「願」は、ねがうという意味です。したがって、「大願」という法名には、わたしたちが本当にねがっている大きなすばらしい願いに気づいてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 15-6 | 無量大願 |
499 | 大光 | だいこう | 「大」は、人のはからいを超えた仏のはたらきを意味しています。「光」は、すべての人を照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「大光」という法名には、一切の人をわけへだてなくおさめとる仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-10 | 神力演大光 |
500 | 大號 | だいごう | 「大」は、人のはからいを超えた仏のはたらきを意味しています。「號」は、阿弥陀仏の本願の名告りである名号を意味しています。したがって、「大號」という法名には、お念仏を通して本願のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 1-6 | 尊者大號 |
501 | 大慈 | だいじ | 「大」は、おおいなるという意味があります。「慈」は、阿弥陀仏の慈悲を意味しています。したがって、「大慈」という法名には、おおいなる阿弥陀仏の慈悲に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-8 | 大慈悲聲 |
502 | 大地 | だいじ | 阿弥陀仏の本願は、「大地」に喩えらまれす。したがって、「大地」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-6 | 猶如大地 |
503 | 諦住 | たいじゅ | 「諦」には、あきらかにするという意味があります。「住」とは、居場所を見い出すことを意味しています。したがって、「諦住」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、居場所をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-5 | 心常諦住 |
504 | 大住 | だいじゅ | 「大」は、人のはからいを超えた仏のはたらきを意味しています。「住」は、居場所が与えられたことを意味しています。したがって、「大住」という法名には、本願のこころに出遇い居場所を見いだしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 1-11 | 尊者大住 |
505 | 大照 | だいしょう | 「大」は、人のはからいを超えた仏のはたらきを意味しています。「照」は、すべての人を照らしつつむ仏の光明のはたらきを意味しています。したがって、「大照」という法名には、仏の光明に照らされていることに気づいてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-10 | 神力演大光普照無際土 |
506 | 大淨 | だいじょう | 「大」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「淨」は、平等で、きよらかな阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「大淨」という法名には、平等で、きよらかな阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 1-11 | 尊者大淨志 |
507 | 大乘 | だいじょう | 「大」は、人のはからいを超えた仏の大いなるはたらきを意味しています。「乘」には、乘り物という意味があります。したがって、「大乘」という法名には、人のはからいを超えた仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-11 | 猶如大乘 |
508 | 諦善 | たいぜん | 「諦」は、あきらかにするという意味です。人に本当のめぐみをあたえるものを「善」といいます。したがって、「諦善」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-9 | 深諦善念 |
509 | 大智 | だいち | 「大」は、仏の大いなるはたらきを意味しています。「智」は、仏の智慧という意味です。したがって、「大智」という法名には、人のはからいを超えた仏の大いなるはたらきに出遇い、仏の智慧をえてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-13 | 功勲廣大 智慧深妙 |
510 | 諦聽 | たいちょう | 「諦」とは、あきらかという意味です。「聽」は、きくということです。したがって、「諦聽」という法名には、仏のまことの教えを聽き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-11 | 阿難諦聽 |
511 | 諦道 | たいどう | 「諦」とは、あきらかにするという意味です。「道」とは、仏道という意味です。したがって、「諦道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-5 | 心常諦住 度世之道 |
512 | 大等 | だいとう | 「大」は、人のはからいを超えた仏の大いなるはたらきを意味しています。「等」は、すべてを等しく見ることができることを意味しています。したがって、「大等」という法名には、すべてを等しく見ることができる仏の大いなるはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-4 | 大慈等故 |
513 | 諦念 | たいねん | 「諦」は、あきらかにするという意味です。「念」は、念仏という意味です。したがって、「諦念」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-9 | 深諦善念 |
514 | 大法 | だいほう | 「大」は、人のはからいを超えた仏の大いなるはたらきを意味しています。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「大法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-12 | 震大法雷 |
515 | 多聞 | たもん | 「多」は、多いという意味です。「聞」とは、本願念仏の教えを聞くことを意味しています。したがって、「多聞」という法名には、本願念仏の教えを聞く人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-13 | 多聞之力 |
516 | 端正 | たんじょう | 「端正」には、すがたかたちが整っているという意味があります。したがって、「端正」という法名には、念仏の教えを身をもって生きる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-14 | 顔貌端正 |
517 | 湛然 | たんねん | 「湛」は、たたえるという意味です。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「湛然」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 37-2 | 湛然盈滿 |
518 | 智音 | ちおん | 「智」は、仏の智慧を意味しています。「音」には、こえという意味があります。したがって、「智音」という法名には、仏の呼びかけを聞いて念仏する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-3 | 辯才之智 入衆言音 |
519 | 智海 | ちかい | 「智」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。「海」は、限りなくひろくて深いさまをあらわします。したがって、「智海」という法名には、人のはからいを超え、限りなくひろくて深い仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-3 | 智慧如大海 |
520 | 致敬 | ちきょう | 「致」は、いたす、つくすという意味です。「敬」は、うやまうという意味です。したがって、「致敬」という法名には、念仏の仏道を歩み、共に歩む人々をうやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 22-9 | 莫不致敬 |
521 | 値經 | ちきょう | 「値」には、であうという意味があります。「經」は、仏の教えを意味しています。したがって、「値經」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 87-3 | 値斯經者 |
522 | 知行 | ちぎょう | 「知」は、さとるという意味です。「行」は、念仏という意味です。したがって、「知行」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-6 | 知我心行 |
523 | 値見 | ちけん | 「値」には、であうという意味があります。「見」には、まみえるという意味があります。したがって、「値見」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 87-5 | 難値難見 |
524 | 智眼 | ちげん | 「智」は、仏の智慧を意味しています。「眼」は、仏のまなこを意味しています。したがって、「智眼」という法名には、仏の智慧の眼をいただいてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-12 | 開彼智慧眼 |
525 | 智光 | ちこう | 「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「智光」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-13 | 智慧深妙 光明威相 |
526 | 智言 | ちごん | 「智」とは、仏の智慧を意味しています。「言」には、言葉という意味があります。したがって、「智言」という法名には、仏の呼びかけを聞いて念仏する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-3 | 辯才之智 入衆言音 |
527 | 智勝 | ちしょう | 「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「勝」は、すぐれたという意味です。したがって、「智勝」という法名には、なによりもすぐれた阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-7 | 三昧智慧 威德無侶 殊勝希有 |
528 | 智照 | ちしょう | 「智」は、仏の智慧を意味しています。「照」は、照らされるという意味です。したがって、「智照」という法名には、仏の智慧に照らされていることに気づいてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-4 | 如佛無礙智通達靡不照 |
529 | 智定 | ちじょう | 「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「定」には、さだまるという意味があります。したがって、「智定」という法名には、阿弥陀仏の本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-14 | 諸根智慧 廣普寂定 |
530 | 知心 | ちしん | 「心」は、阿弥陀仏のこころという意味です。「知」は、さとるという意味です。したがって、「知心」という法名には、阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-6 | 知我心行 |
531 | 智深 | ちじん | 「智」とは、阿弥陀仏の智慧を意味します。「深」とは、ふかいという意味です。したがって、「智深」という法名には、仏の深い智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-13 | 智慧深妙 |
532 | 智洞 | ちとう | 「智」は、仏の智慧を意味しています。「洞」には、みぬくという意味があります。したがって、「智洞」という法名には、人間のすべてを見ぬく仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 32-6 | 神智洞達 |
533 | 智導 | ちどう | 「智」とは、仏の智慧を意味します。「導」とは、みちびくという意味です。したがって、「智導」という法名には、仏の智慧に甜かれてまことの人生を生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-5 | 其智難難 多所導御 |
534 | 値道 | ちどう | 「値」には、であうという意味があります。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「値道」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇い念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 87-5 | 難値難見 諸佛經道 |
535 | 智德 | ちとく | 「智」とは、仏の智慧のはたらきを意味します。「德」は、功徳という意味があります。したがって、「智德」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、真実の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-7 | 三味智慧 威德無侶 |
536 | 値得 | ちとく | 「値」には、であうという意味があります。「得」には、えるという意味があります。したがって、「値得」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 87-3 | 値斯經者 隨意所願 皆可得度 |
537 | 知法 | ちほう | 「知」には、信じるという意味があります。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「知法」という法名には、本願念仏の教えを信じ、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 48-12 | 知法如電影 |
538 | 智妙 | ちみょう | 「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。「妙」は、なによりもすぐれたという意味です。したがって、「智妙」という法名には、なによりもすぐれた阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-13 | 智慧深妙 |
539 | 知明 | ちみょう | 「知」は、しるという意味です。「明」は、あきらかという意味です。したがって、「知明」という法名には、すべてをあきらかに知るという仏の智懃にめざめてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-3 | 知其高明 志願深廣 |
540 | 智明 | ちみょう | 「智」は、仏の智慧を意味しています。「明」は、あかるいという意味があります。したがって、「智明」という法名には、人間の附を照らしだす仏の智慧に目覚めてほしいという)傾いを込めさせていただいております。 | 39-12 | 智慧高明 |
541 | 智勇 | ちゆう | 「智」には、人のはからいを超えた仏の智慧という意味があります。「勇」には、いさましいという意味があります。したがって、「智勇」という法名には、人のはからいを超えた仏の智慧に出遇ってほしいという頗いを込めさせていただいております。 | 45-4 | 智慧勇猛 |
542 | 聽受 | ちょうじゅ | 「聽」には、きくという意味があります。「受」には、うけるという意味があります。したがって、「聽受」という法名には、念仏の教えを聽聞する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 65-1 | 聰受經法 |
543 | 超住 | ちょうじゅう | 「超」には、こえるという意味があります。「住」には、とどまるという意味があります。したがって、「超住」という法名には、迷いを超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-4 | 超過世間諸所有法心常諦住 |
544 | 超勝 | ちょうしょう | 「超」には、こえるという意味があります。「勝」には、すぐれるという意味があります。したがって、「超勝」という法名には、人のはからいを超えた阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-16 | 超勝獨妙 |
545 | 澄淨 | ちょうじょう | 「澄」は、すむという意味があります。「淨」は、きよらかという意味があります。したがって、「澄淨」という法名には、きよらかですんだ阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-3 | 淸明澄潔 淨若無形 |
546 | 超心 | ちょうしん | 「超」には、こえるという意味があります。「心」は、仏のこころを意味します。したがって、「超心」という法名には、人間のはからいを超えた仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-4 | 超過世間 諸所有法 心常諦住 |
547 | 超世 | ちょうせ | 「超」は、すぐれるという意味です。「世」は、世界という意味です。したがって、「超世」という法名には、この世を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-5 | 超世無倫 |
548 | 超諦 | ちょうたい | 「超」には、こえるという意味があります。「諦」には、あきらかにするという意味があります。したがって、「超諦」という法名には、人間の分別を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 超過世間 諸所有法 心常諦住 | |
549 | 聽法 | ちょうぽう | 「聽」には、きくという意味があります。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「聽法」という法名には、仏の教えを聽き、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 52-15 | 聽受經法 |
550 | 超發 | ちょうほつ | 「超」は、この世をこえているという意味です。「發」は、おこすという意味です。したがって、「超發」という法名には、この世の常識を超えておこされた阿弥陀仏の本願に生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-11 | 超發無上殊勝之願 |
551 | 暢發 | ちょうほつ | 「暢」は、阿弥陀仏の本頻が行きわたることを意味しています。「發」には、おこすという意味があります。したがって、「暢發」という法名には、生きとし生けるものを救うためにおこされた阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 47-8 | 暢發和雅音 |
552 | 暢妙 | ちょうみょう | 「暢」は、阿弥陀仏の本願が行きわたることを意味しています。「妙」には、すぐれたという意味があります。したがって、「暢妙」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 51-15 | 究暢要妙 |
553 | 暢要 | ちょうよう | 「暢」は、阿弥陀仏の本願が行きわたることを意味しています。「要」には、最も大切なという意味があります。したがって、「暢要」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇うことを大切にして人生を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 51-15 | 究暢要妙 |
554 | 超量 | ちょうりょう | 「超」とは、こえるという意味です。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「超量」という法名には、人間の思いを超えてはかることができない仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-5 | 超絶無量 |
555 | 智量 | ちりょう | 「智」とは、仏の智慧を意味します。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「智量」という法名には、はかりなき仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-5 | 其智難是 |
556 | 通慧 | つうえ | 「通」は、つうじるという意味があります。「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。したがって、「通慧」という法名には、仏の智慧に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-9 | 諸通慧聲 |
557 | 通明 | つうみょう | 「通」には、すべての人に通じるという意味があります。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「通明」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-15 | 諸通明力 |
558 | 徹照 | てっしょう | 「徹」には、つらぬきとおすという意味があります。「照」は、闇を照らす阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「徹照」という法名には、人間の闇をつらぬき照らす阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 63-14 | 光明徹照 |
559 | 道意 | どうい | 「道」は、仏道という意味です。「意」は、仏のこころを意味しています。したがって、「道意」という法名には、仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 尋發無上正眞道意 |
560 | 等覺 | とうがく | 「等」は、すべてを等しく見ることのできる眼を意味しています。「覺」は、仏のさとりを意味しています。したがって、「等覺」という法名には、すべての人を等しく救う仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-13 | 現成等覺 |
561 | 等觀 | とうかん | 「等」は、等しいという意味です。「觀」には、みまもるという意味があります。したがって、「等觀」という法名には、すべての生きとし生けるものを見守ってくださる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-10 | 等觀三界 |
562 | 導行 | どうぎょう | 「導」とは、みちびくという意味です。「行」は、念仏という意味です。したがって、「導行」という法名には、阿弥陀仏の浄土にみちびく念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-8 | 住導師行 |
563 | 等現 | とうげん | 「等」は、すべてを等しく見ることのできる仏の眼を意味しています。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「等現」という法名には、すべてを等しく見ることのできる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-9 | 成等正覺 示現滅度 |
564 | 道堅 | どうけん | 「道」とは、仏道という意味です。「堅」は、つよいという意味です。したがって、「道堅」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-8 | 不如求道 堅正不却 |
565 | 道實 | どうじつ | 「道」とは、仏道という意味です。「實」とは、まことという意味です。したがって、「道實」という法名には、仏のまことの教えに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 8-1 | 光闊道教 欲拯群萌 恵以眞實之利 |
566 | 道樹 | どうじゅ | 「道」は、仏道を意味しています。「樹」は、釈腺がさとりを開いた菩提樹を意味しています。したがって、「道樹」という法名には、釈尊が示す仏道に目覚めてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-3 | 其道場樹 |
567 | 等正 | とうしょう | 「等」は、ひとしいという意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「等正」という法名には、すべての人に通じる仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-7 | 應供等正覺 |
568 | 等勝 | とうしょう | 「等」は、すべてを等くし見ることができる仏の眼を意味しています。「勝」は、すぐれるという意味があります。したがって、「等勝」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-3 | 等心勝心 |
569 | 等淨 | とうじょう | 「等」は、すべてを等しく見ることができる眼を意味しています。「淨」は、きよらかという意味です。したがって、「等淨」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-6 | 等一淨故 |
570 | 道正 | どうしょう | 「道」は、仏道という意味です。「正」は、すべての人に通じるという意味です。したがって、「道正」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、人々と共にお念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-8 | 不如求道 堅正不却 |
571 | 道聲 | どうしょう | 「道」には、正しいすじ道という意味があります。「聲」には、仏からの呼びかけという意味があります。したがって、「道聲」という法名には、すべての人が救われる正しい道を知らせる阿弥陀仏の呼びかけに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-6 | 我至成佛道名聲超十方 |
572 | 等心 | とうしん | 「等」は、すべてを等しく見ることができる眼を意味しています。「心」は阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「等心」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-3 | 等心勝心 |
573 | 道眞 | どうしん | 「道」とは、仏道という意味です。「眞」とは、まことという意味です。したがって、「道眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-1 | 光闡道教 欲拯群萌 恵以眞實之利 |
574 | 導宣 | どうせん | 「導」には、みちびくという意味があります。「宣」には、教えをのべ伝えるという意味があります。したがって、「導宣」という法名には、阿弥陀仏の本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-5 | 如來導化 各能宜布 |
575 | 洞達 | とうだつ | 「洞」には、みぬくという意味があります。「達」には、とおるという意味があります。したがって、「洞達」という法名には、人間のすべてを見ぬく仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 32-6 | 神智洞達 |
576 | 道超 | どうちょう | 「道」とは、仏道という意味です。「超」は、人のはからいをこえているという意味です。したがって、「道超」という法名には、本願念仏の道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-14 | 道場超絶 |
577 | 道明 | どうみょう | 「道」は、仏道を意味しています。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「道明」という法名には、阿弥陀仏の光明に照らされて、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 65-9 | 長與道德合明 |
578 | 等曜 | とうよう | 「等」は、すべてを等しく見ることができる眼を意味しています。「曜」は、かがやくという意味です。したがって、「等曜」という法名には、すべてを等しく見ることができる阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-6 | 次名須禰等曜 |
579 | 德慧 | とくえ | 「德」とは、功徳という意味です。「慧」とは、智慧を意味します。したがって、「德慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、真実の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-13 | 無量功德 智慧聖明 |
580 | 德行 | とくぎょう | 「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「德行」という法名には、念仏申す生活を通して、阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-2 | 無量德行 |
581 | 德香 | とくこう | 「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「香」は、その功德のかぐわしさを意味しています。したがって、「德香」という法名には、阿弥陀仏の功徳に出遇って念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 42-11 | 温雅德香 |
582 | 得住 | とくじゅ | 「得」には、えるという意味があります。「住」とは、居場所が与えられたことを意味しています。したがって、「得住」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、居場所をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-4 | 皆已得住 |
583 | 得正 | とくしょう | 「得」は、えるという意味です。「正」には、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「得正」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-13 | 得微妙法 成最正覺 |
584 | 德勝 | とくしょう | 「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「勝」には、すぐれるという意味があります。したがって、「德勝」という法名には、なにものにもすぐれた阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 63-2 | 功德殊勝 |
585 | 得成 | とくじょう | 「得」は、えるという意味です。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「得成」という法名には、聞法とお念仏の生活によって、人生を尽くし遂げてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-13 | 得微妙法 成最正覺 |
586 | 德成 | とくじょう | 「德」は、仏のはたらきによる功徳を意味しています。「成」には、成しとげられるという意味があります。したがって、「德成」という法名には、仏のはたらきによる功徳をえて、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 26-2 | 具足衆德本願慧悉成滿 |
587 | 得淨 | とくじょう | 「得」は、えるという意味です。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「得淨」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 87-13 | 得淸淨法眼 |
588 | 德信 | とくしん | 「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「信」は、信心を意味しています。したがって、「德信」という法名には、阿弥陀仏の功徳によって信心をえてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 81-14 | 作諸功德 信心回向 |
589 | 得深 | とくじん | 「得」は、えるという意味です。「深」は、ふかいという意味があります。したがって、「得深」という法名には、深い本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-12 | 得深法忍 |
590 | 得宣 | とくせん | 「得」は、えるという意味です。「宣」には、教えをのべ伝えるという意味があります。したがって、「得宣」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-15 | 得佛華嚴三味 宣暢演説 |
591 | 德善 | とくぜん | 「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。人々に本当のめぐみを与えるものを「善」といいます。したがって、「德善」という法名には、念仏の生活を通して、阿弥陀仏の功徳を得ていってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 29-16 | 功德善力 |
592 | 得智 | とくち | 「得」には、えるという意味があります。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「得智」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-3 | 得諸如来 辯才之智 |
593 | 德智 | とくち | 「德」とは、功徳という意味です。「智」とは、仏の智慧のはたらきを意味します。したがって、「德智」という法名には、阿弥陀仏の智慧に出遇い、真実の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-13 | 無量功德 智慧聖明 |
594 | 得道 | とくどう | 「得」とは、えるという意味です。「道」とは、仏道という意味です。したがって、「得道」という法名には、本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-3 | 皆令得道 |
595 | 德道 | とくどう | 「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「道」は、仏道を意味しています。したがって、「德道」という法名には、阿弥陀仏の功徳によって念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 71-10 | 獲其福德 度世上天 泥洹之道 |
596 | 德風 | とくふう | 「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。「風」は、仏のはたらきが吹きわたることを意味しています。したがって、「德風」という法名には、阿弥陀仏の功徳を得て、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 42-7 | 自然德風 |
597 | 德法 | とくほう | 「德」は、仏のはたらきによる功徳を意味しています。「法」には、救いのすじみち、道理という意味があります。したがって、「德法」という法名には、仏のはたらきによって救われていく本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-11 | 功德之法 |
598 | 得法 | とくほう | 「得」は、えるという意味です。「法」は、仏の教えを意味しています。したがって、「得法」という法名には、仏の教えを聽聞する生活を送ってほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 3-13 | 得微妙法 |
599 | 得寶 | とくほう | 「得」は、える、手にいれるという意味です。「寶」は、なにものにもかえがたい瑚いものを意味しています。したがって、「得寶」という法名には、なにものにもかえがたい阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-6 | 得其妙寶 |
600 | 德寶 | とくほう | 「德」は、仏のはたらきによる功徳を意味しています。「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「德寶」という法名には、なにものにもかえがたい仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 25-16 | 廣施功德寶 |
601 | 德本 | とくほん | 「德」は、功徳という意味です。「本」は、根本という意味です。したがって、「德本」という法名には、さまざまな功徳をうむ根本である念仏を称えてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 19-1 | 積累德本 |
602 | 得妙 | とくみょう | 「得」は、える、手にいれるという意味です。「妙」は、たえ、すばらしいという意味です。したがって、「得妙」という法名には、すばらしい阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-6 | 得其妙寶 |
603 | 得明 | とくみょう | 「得」には、えるという意味があります。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「得明」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 64-3 | 心得開明 |
604 | 得聞 | とくもん | 「得」は、える、手にいれるという意味です。「聞」は、仏の教えを聞くという意味です。したがって、「得聞」という法名には、念仏する生活のなかで、いつでも仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 24-7 | 自然得聞 |
605 | 德量 | とくりょう | 「德」は、功徳という意味があります。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「德量」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-12 | 神德無量 |
606 | 柔順 | にゅうじゅん | 「柔」は、やわらかという意味があります。「順」は、すなおという意味があります。したがって、「柔順」という法名には、仏の教えにうなづいてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-2 | 二者柔順忍 |
607 | 入寶 | にゅうほう | 「入」は、はいるという意味があります。「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「入寶」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 37-13 | 若入寶池 |
608 | 然願 | ねんがん | 「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「願」とは、阿弥陀仏の願いを意味します。したがって、「然願」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-11 | 對日唯然 願樂欲聞 |
609 | 然樂 | ねんぎょう | 「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「樂」は、ねがうという意味です。したがって、「然樂」という法名には、仏の願いを聞き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-11 | 對日唯然 願樂欲聞 |
610 | 念生 | ねんしょう | 「念」は、おもうという意味です。「生」とは、うまれるという意味です。したがって、「念生」という法名には、阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-16 | 愍念衆生 |
611 | 然聲 | ねんしょう | 「然」は、阿弥陀仏の自然のはたらきを意味しています。「聲」は、念仏のこえを意味しています。したがって、「然聲」という法名には、阿弥陀仏の呼びかけである念仏に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-5 | 自然妙聲 |
612 | 念淨 | ねんじょう | 「念」には、心におもって忘れないという意味があります。「淨」には、きよらかにするという意味があります。したがって、「念淨」という法名には、阿弥陀仏の、この世をきよらかにしようとするおはたらきを、いつまでも忘れないでほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 25-8 | 離欲深正念淨慧修梵行 |
613 | 然成 | ねんじょう | 「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「然成」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという顆いを込めさせていただいております。 | 35-5 | 自然合成 |
614 | 博綜 | はくそう | 「博」には、あまねくゆきわたるという意味があります。「綜」には、すべてを集めるという意味があります。したがって、「博綜」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-2 | 博綜道術 |
615 | 博道 | はくどう | 「博」には、あまねくゆきわたるという意味があります。「道」には、正しいすじみちという意味があります。したがって、「博道」という法名には、すべての人が救われる正しい道である本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-2 | 博綜道術 |
616 | 普願 | ふがん | 「普」は、ゆきわたるという意味です。「願」は、仏の本願を意味します。したがって、「普願」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-3 | 普行此願 |
617 | 普行 | ふぎょう | 「普」は、ゆきわたるという意味です。「行」は、念仏という意味です。したがって、「普行」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-3 | 普行此願 |
618 | 普薫 | ふくん | 「普」は、あまねく、すみずみまでゆきわたるという意味です。「薫」は、かおる、よいにおいがたちこめるという意味です。したがって、「普薫」という法名には、あらゆる世界にゆきわたる浄土のよいかおりを感じて、念仏して生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 21-4 | 其香普蕉 |
619 | 普現 | ふげん | 「普」は、あまねく平等という意味です。「現」には、あらわれるという意味があります。したがって、「普現」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-12 | 普現道教 |
620 | 普照 | ふしょう | 「普」は、あまねくという平等の心を意味しています。「照」は、生きとし生けるものを照らし出しつつみ込む仏のはたらきを意味しています。したがって、「普照」という法名には、そのような仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-15 | 普照十方 |
621 | 普説 | ふせつ | 「普」は、あまねく十方にという意味です。「説」には、法を説くという意味があります。したがって、「普説」という法名には、あまねく十方に説かれる本願の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-9 | 普爲十方 説微妙法 |
622 | 普念 | ふねん | 「普」は、あまねく十方にという意味です。「念」は、念仏申すことを意味しています。したがって、「普念」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇い、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 49-9 | 普念度一切 |
623 | 法慧 | ほうえ | 「法」は、仏の教えという意味です。「慧」は、仏のさとりという意味です。したがって、「法慧」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-4 | 次名法慧 |
624 | 寶映 | ほうえい | 「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「映」は、照らし輝くという意味があります。したがって、「寶映」という法名には、人間の閤を照らしだす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-3 | 寶沙映撤 |
625 | 法悦 | ほうえつ | 「法」は、仏の教えという意味です。「悦」は、よろこぶという意味です。したがって、「法悦」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 聞佛説法 心懐悦豫 |
626 | 法演 | ほうえん | 「法」は、救いのすじみち、道理を意味しています。「演」は、おしひろめるという意味があります。したがって、「法演」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-10 | 演出無量 妙法音聲 |
627 | 法縁 | ほうえん | 「法」とは、仏の教えという意味があります。「縁」とは、えにし、ゆかりという意味があります。したがって、「法縁」という法名には、仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-14 | 心以法縁 |
628 | 寶英 | ほうおう | 「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「英」は、仏のはたらきが他よりすぐれていることを意味しています。したがって、「寶英」という法名には、なにものにもかえがたい仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-8 | 寶英菩薩 |
629 | 法音 | ほうおん | 「法」には、すじみち、道理という意味があります。「音」には、こえという意味があります。したがって、「法音」という法名には、仏の呼びかけの声に耳をかたむけてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-1 | 常以法音 覺諸世間 |
630 | 寶音 | ほうおん | 「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「音」は、こえという意味があります。したがって、「寶音」という法名には、なにものにもかえがたい念仏の声に耳をかたむけてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-8 | 諸七寶樹 一種音聲 |
631 | 法海 | ほうかい | 「法」は、仏の教えという意味です。「海」は、ひろく深い世界という意味です。したがって、「法海」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、ひろくて深い阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-9 | 諸佛法海 |
632 | 法覺 | ほうかく | 「法」は、仏の教えを意味します。「覺」は、目覚めるという意味です。したがって、「法覺」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-1 | 常以法音 覺諸世間 |
633 | 法行 | ほうぎょう | 「法」は、仏の教えを意味しています。「行」は、念仏を意味しています。したがって、「法行」という法名には、仏の教えを信じ、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 87-10 | 如法修行 |
634 | 寶華 | ほうけ | 「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「華」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「寶華」という法名には、なにものにもかえがたい阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-3 | ー一寶華 |
635 | 法護 | ほうご | 「法」とは、仏法を意味します。「護」とは、まもるという意味です。したがって、「法護」という法名には、仏法を設る者になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-8 | 甚深法蔵 護佛種性 |
636 | 寶沙 | ほうしゃ | 「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「沙」は、無数のすなという意味があります。したがって、「寶沙」という法名には、すべての人が光り輝く阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-3 | 寶沙映徹 |
637 | 寶樹 | ほうじゅ | 「寶」は、たからという意味です。「樹」は、浄土の樹木を意味します。したがって、「寶樹」という法名には、阿弥陀仏の浄土では、宝樹のかおりや葉音に仏の教えが聞かれているように、生活のいたるところで仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 23-1 | 於寶樹中 |
638 | 法住 | ほうじゅう | 「法」は、仏の本願の教えを意味しています。「住」には、居場所が定まるという意味があります。したがって、「法住」という法名には、仏の本願の教えに掃依し、念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-10 | 住空無相 無願之法 |
639 | 寶照 | ほうしょう | 「寶」は、宝国という阿弥陀仏の浄土を意味しています。「照」は、てらすという意味があります。したがって、「寶照」という法名には、人間の闇を照らしだす阿弥陀仏に出遇い、浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-3 | 寶沙映徹 無深不照 |
640 | 法聲 | ほうしょう | 「法」は、すじみち、道理を意味しています。「聲」は、念仏の声を意味しています。したがって、「法聲」という法名には、あらゆる人々を救わずにはおれないという本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-6 | 或聞法聲 |
641 | 法常 | ほうじょう | 「法」とは、仏法を意味します。「常」とは、つねという意味です。したがって、「法常」という法名には、仏の教えを聞き、つねにお念仏をよろこぶ生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-8 | 甚深法蔵護佛種性常使不絶 |
642 | 寶成 | ほうじょう | 「寶」は、なにものにもかえがたい眸いものを意味しています。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「寶成」という法名には、本当に尊いものとの出遇いを成し遂げてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 28-16 | 自然七寅金銀瑠璃珊瑚琥珀碑裸砥砥合成爲地 |
643 | 寶成 | ほうじょう | 「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「成」には、なしとげるという意味があります。したがって、「寶成」という法名には、本当に尊いものとの出遇いを成し遂げてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 33-7 | 乃至七寶韓共合成 |
644 | 法聲 | ほうじょう | 「法」は、すじみち、道理を意味しています。「菩」は、念仏の声を意味しています。したがって、「法啓」という法名には、あらゆる人々を救わずにはおれないという本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-10 | 妙法音啓 |
645 | 法信 | ほうしん | 「法」は、仏の教えを意味しています。「信」は、信心を意味しています。したがって、「法信」という法名には、仏の教えを信じて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86-10 | 聞是經法歡喜信架 |
646 | 法宣 | ほうせん | 「法」には、すじみち、道理という意味があります。「宣」は、教えをのべ伝えるという意味です。したがって、「法宣」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-6 | 光融佛法宣流正化 |
647 | 寶蔵 | ほうぞう | 「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「蔵」はおさめるという意味です。したがって、「寶蔵」という法名には、はかりがたき功徳をおさめた尊い本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-16 | 無量寶蔵 |
648 | 法得 | ほうとく | 「法」は、仏の教えを意味しています。「得」は、えるという意味です。したがって、「法得」という法名には、仏の教えを聽聞する生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 65-1 | 聽受經法又復得聞 |
649 | 法忍 | ほうにん | 「法」は、仏の教えを意味しています。「忍」は、やすんじるという意味があります。したがって、「法忍」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 35-12 | 得深法忍 |
650 | 法潤 | ほうにん | 「法」は、仏の教えを意味します。「潤」は、うるおすという意味です。したがって、「法潤」という法名には、人間に潤いを与える本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-13 | 雨甘露法 潤衆生故 |
651 | 寶網 | ほうもう | 「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「網」は、生きとし生けるものを救う阿弥陀仏の慈悲を意味しています。したがって、「寶網」という法名には、すべての人を救う阿弥陀仏の慈悲のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 42-4 | 無量寶網 |
652 | 法了 | ほうりょう | 「法」は、仏の教えという意味です。「了」には、さとりという意味があります。したがって、「法了」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-9 | 曉了幻化之法 |
653 | 寶鈴 | ほうりょう | 「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「鈴」は、はたらきが響きわたることを意味しています。したがって、「寶鈴」という法名には、世界に押きわたる阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 42-7 | 垂以寶鈴 |
654 | 法流 | ほうる | 「法」は、救いのすじみち、道理を意味しています。「流」には、ゆきわたるという意味があります。したがって、「法流」という法名には、どんな人も救わずにはおかないという本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-10 | 妙法音聲 其聲流布 |
655 | 寶蓮 | ほうれん | 「寶」は、なにものにもかえがたい尊いものを意味しています。「蓮」は、阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「寶蓮」という法名には、阿弥陀仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-3 | 又衆寶蓮華 |
656 | 發眞 | ほっしん | 「發」にはあらわれるという意味があります。「發眞」は、まことという意味です。したがって、「發眞」という法名には、仏のまことの教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 尋發無上正眞道意 |
657 | 發心 | ほっしん | 「發」は、おこる、おこすの意味で。す「心」は、さとりを求める心の意味です。したがって、「發心」という法名には、仏のさとりを求めていく心をおこしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-10 | 我發無上正眞之心 |
658 | 妙安 | みょうあん | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「安」は、苦楽を超えた安らかさを意味しています。したがって、「妙安」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57-10 | 微妙安樂 |
659 | 明意 | みょうい | 「明」には、あきらかにするという意味があります。「意」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「明意」という法名には、本願念仏の教えに出遇って、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-14 | 本學明了 在意所爲 |
660 | 明威 | みょうい | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「威」には、すぐれているという意味があります。したがって、「明威」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきである光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-12 | 光明威神 |
661 | 明慧 | みょうえ | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「慧」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「明慧」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 82-2 | 身相光明 智慧功德 |
662 | 妙音 | みょうおん | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「音」には、こえという意味があります。したがって、「妙音」という法名には、浄土からの呼びかけである念仏の声を聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-2 | 諸妙音聲 |
663 | 明皆 | みょうかい | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「皆」には、すべての人という意味があります。したがって、「明皆」という法名には、すべての人を照らしつつむ阿弥陀仏の光明のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-2 | 見此光明 皆得休息 |
664 | 明願 | みょうがん | 「明」は、あかるいという意味です。「願」は阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「明願」という法名には、すべてを照らす阿弥陀仏の本顧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-4 | 明了願故 |
665 | 妙願 | みょうがん | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「妙願」という法名には、阿弥陀仏のすぐれた本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 48-11 | 滿足諸妙願 |
666 | 明鏡 | みょうきょう | 「明」は、あきらかという意味です。「鏡」は、自分をうつすかがみという意味です。したがって、「明鏡」という法名には、鏡に自分をうつしてみるように、あきらかに世界をみることができるようになってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 20-15 | 猶如明鏡 覩其面像 |
667 | 明行 | みょうぎょう | 「明」は、きよくあかるいという意味です。「行」は、念仏という意味があります。したがって、「明行」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-8 | 明行足 |
668 | 妙薫 | みょうくん | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「薫」は、かおるという意味です。したがって、「妙薫」という法名には、阿弥陀仏のかぐわしい慈悲の功徳に出遇って、念仏申す生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 28-6 | 其香普薫 無量世界 容色端正 相好殊妙 |
669 | 妙華 | みょうけ | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「華」は、仏のさとりを意味しています。したがって、「妙華」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという頼いを込めさせていただいております。 | 26-7 | 當雨珍妙華 |
670 | 妙快 | みょうけ | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「快」は、苦楽を超えたこころよさを意味しています。したがって、「妙快」という法名には、苦楽を超えた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-11 | 微妙快樂 |
671 | 妙雅 | みょうげ | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「雅」は、みやびという意味があります。したがって、「妙雅」という法名には、みやびで、すぐれた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-11 | 微妙和雅 |
672 | 明顯 | みょうけん | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「顯」は、あきらかにするという意味です。したがって、「明顯」という法名には、人間の闇を照らし、あきらかにする阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2月15日 | 光明顯曜 |
673 | 妙光 | みょうこう | 「妙」は、すぐれたという意味です。「光」は、われわれを照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「妙光」という法名には、生きとし生けるものを照らしつつむ、すぐれた仏の光明のはたらきを感じる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-13 | 智慧深妙 光明威相 |
674 | 妙香 | みょうこう | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「香」は、かおりを意味しています。したがって、「妙香」という法名には、すぐれた阿弥陀仏の功徳に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-3 | 衆妙華香 |
675 | 妙響 | みょうこう | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「響」は、阿弥陀仏のはたらきが響きわたることを意味しています。したがって、「妙響」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 48-6 | 八音暢妙響 |
676 | 妙嚴 | みょうごん | 「妙」は、思いはかることができないことを意味しています。「嚴」は、おごそかにおかざりすることを意味しています。したがって、「妙嚴」という法名には、阿弥陀仏の本願によっておごそかにおかざりされた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-8 | 微妙嚴淨 |
677 | 妙最 | みょうさい | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「最」には、このうえなくという意味があります。したがって、「妙最」という法名には、すべての人が救われる、このうえない本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3月13日 | 得微妙法 成最正覺 |
678 | 明志 | みょうし | 「明」は、あきらかという意味です。「志」は、仏道をもとめるこころという意味です。したがって、「明志」という法名には、仏道をもとめるという、あきらかですばらしいこころに生きてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-3 | 知其高明 志願深廣 |
679 | 明珠 | みょうじゅ | 「明」は、あかるいという意味があります。「珠」は、うつくしいたまを意味しています。したがって、「明珠」という法名には、美しい珠にたとえられる念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-6 | 明月眞珠 |
680 | 妙正 | みょうしょう | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「正」には、すべての人に通じるという意味があります。したがって、「妙正」という法名には、すべての人が救われる本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 3-13 | 得微妙法 成最正覺 |
681 | 明淸 | みょうしょう | 「明」は、あかるいという意味があります。「淸」には、きよらかという意味があります。したがって、「明淸」という法名には、きよらかであかるい阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-6 | 顯明淸白 |
682 | 妙稱 | みょうしょう | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「稱」には、となえるという意味があります。したがって、「妙稱」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこび、となえる身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-2 | 究暢要妙 名稱普至 |
683 | 明照 | みょうしょう | 「明」は、阿弥陀仏の光明という意味があります。「照」は、てらしあかすという意味です。したがって、「明照」という法名には、すべての人を照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-11 | 光明悉照 |
684 | 明證 | みょうしょう | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「證」は、あかすという意味です。したがって、「明證」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-3 | 幸佛信明 是我眞證 |
685 | 妙聲 | みょうしょう | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「聲」は、仏のこえを意味しています。したがって、「妙聲」という法名には、阿弥陀仏の呼びかけのこえに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-5 | 自然妙聲 |
686 | 妙淸 | みょうしょう | 「妙」は、思いはかることができないことを意味しています。「淸」は、きよらかという意味です。したがって、「妙淸」という法名には、人間のはからいを超えたきよらかな阿弥陀仏のこころに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57-10 | 微妙安樂 淸淨若此 |
687 | 妙淨 | みょうじょう | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「妙淨」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 57-10 | 微妙安樂 淸淨若此 |
688 | 明淨 | みょうじょう | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「淨」は、阿弥陀仏の浄土を意味しています。したがって、「明淨」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇い、浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-4 | 慧光明淨 |
689 | 明眞 | みょうしん | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「眞」は、真実を意味しています。したがって、「明眞」という法名には、阿弥陀仏の真実なる光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 45-13 | 光明相好 具如眞佛 |
690 | 明信 | みょうしん | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「信」は、信心を意味しています。したがって、「明信」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇い、本願を信じて念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 81-13 | 明信佛智 |
691 | 明智 | みょうち | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「智」は、阿弥陀仏の智慧を意味しています。したがって、「明智」という法名には、阿弥陀仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 81-13 | 明信佛智 |
692 | 明暢 | みょうちょう | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「暢」とは、ゆきわたるという意味です。したがって、「明暢」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-4 | 如明淨鏡 影暢表裏 |
693 | 明頂 | みょうちょう | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「頂」とは、いただくという意味です。したがって、「明頂」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-8 | 次名安明頂 |
694 | 妙頂 | みょうちょう | 「妙」は、すぐれたという意味です。「頂」は、いただくという意味です。したがって、「妙頂」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-14 | 次名妙頂 |
695 | 妙超 | みょうちょう | 「妙」は、すぐれたという意味です。「超」は、はからいをこえたという意味です。したがって、「妙超」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-14 | 其衆奇妙 道場超絶 |
696 | 明澄 | みょうちょう | 「明」は、あかるいという意味があります。「澄」は、すむという意味があります。したがって、「明澄」という法名には、あかるく、すんだ阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-3 | 淸明澄潔 淨若無形 |
697 | 妙暢 | みょうちょう | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「暢」は、阿弥陀仏の本願が行きわたることを意味しています。したがって、「妙暢」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 48-6 | 八音暢妙響 |
698 | 明等 | みょうとう | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「等」は、ひとしいという意味です。したがって、「明等」という法名には、すべての人を等しく照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-2 | 如是焔明 無與等者 |
699 | 妙導 | みょうどう | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「導」には、みちびくという意味があります。したがって、「妙導」という法名には、本願念仏の教えに出遇い尊かれて、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-2 | 究暢要妙 名稱普至 導御十方 |
700 | 妙道 | みょうどう | 「妙」は、すぐれたという意味です。「道」は、仏道という意味です。したがって、「妙道」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 12-14 | 其衆奇妙 道場超絶 |
701 | 明德 | みょうとく | 「明」は、あきらかになるということを意味しています。「德」は、阿弥陀仏の功徳を意味しています。したがって、「明德」という法名には、聞法生活を通して、阿弥陀仏の功徳を得てほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-7 | 聞其光明 威神功德 |
702 | 妙德 | みょうとく | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「德」は、功徳という意味があります。したがって、「妙德」という法名には、すぐれた阿弥陀仏の功徳を得て ほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-2 | 諸妙音聲 神通功德 |
703 | 妙然 | みょうねん | 「妙」は、すぐれたという意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「妙然」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-1 | 微妙宮商 自然相和 |
704 | 妙然 | みょうねん | 「妙」は、すぐれたという意味があります。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「妙然」という法名には、阿弥陀仏のすぐれたはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-8 | 微妙嚴淨 自然之物 |
705 | 妙寶 | みょうほう | 「妙」は、たえ、すばらしいという意味です。「寶」は、たからという意味です。したがって、「妙寶」という法名には、仏と成るという、本当にすばらしいたからを得てほしいという顧いを込めさせていただいております。 | 14-6 | 得其妙寶 |
706 | 明養 | みょうよう | 「明」には、あきらかという意味があります。「養」には、やしないそだてるという意味があります。したがって、「明養」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、育てられてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 5-7 | 明了諸國 供養諸佛 |
707 | 明曜 | みょうよう | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「曜」には、光り輝くという意味があります。したがって、「明曜」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-6 | 明曜日月 |
708 | 妙樂 | みょうらく | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「妙樂」という法名には、阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 57-10 | 微妙安樂 |
709 | 明了 | みょうりょう | 「明」には、あきらかにするという意味があります。「了」には、さとるという意味があります。したがって、「明了」という法名には、本願の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-14 | 本學明了 |
710 | 明量 | みょうりょう | 「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。したがって、「明量」という法名には、阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 43-4 | 其華光明 無量種色 |
711 | 妙麗 | みょうれい | 「妙」は、思いはかることができないことを意味しています。「麗」は、うるわしいという意味です。したがって、「妙麗」という法名には、人間のはからいを超えた、うるわしい仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 29-3 | 微妙奇麗 |
712 | 妙和 | みょうわ | 「妙」には、すぐれたという意味があります。「和」は、なごやかという意味があります。したがって、「妙和」という法名には、すぐれて、なごやかな阿弥 陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 36-11 | 微妙和雅 |
713 | 聞悦 | もんえつ | 「聞」は、聞きうけるという意味です。「悦」は、よろこぶという意味です。したがって、「聞悦」という法名には、本願念仏の教えに出遇い、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 聞佛説法 心懐悦豫 |
714 | 聞縁 | もんえん | 「聞」は、仏の教えを聞くという意味です。「縁」は、ごえんの意味です。したがって、「聞縁」という法名には、わたしたちが今生きているということには、無量のご縁があるということを仏の教えに聞き、気づいてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 15-5 | 菩薩聞已 修行此法 縁致滿足 |
715 | 聞樂 | もんぎょう | 「聞」には、信じるという意味があります。「樂」は、よろこぶという意味です。したがって、「聞樂」という法名には、本願の教えを信じ、よろこびに滿ちあふれた生活をしてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 49-3 | 聞法樂受行 |
716 | 聞經 | もんぎょう | 「聞」は、聞法することを意味しています。「經」は、仏の教えを意味しています。したがって、「聞經」という法名には、本願念仏の教えを聞く生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86-12 | 聞此經者 |
717 | 聞見 | もんけん | 「聞」は、仏の教えを聞くという意味です。「見」は、みるという意味です。したがって、「聞見」という法名には、浄土の教えを聞き、その世界のありようを見てほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-10 | 聞佛所説 嚴淨國土 皆悉覩見 |
718 | 聞光 | もんこう | 「聞」は、聞法することを意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「聞光」という法名には、本願念仏の教えを聞くことを通して、人間の闇を照らす阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという顔いを込めさせていただいております。 | 31-7 | 聞其光明 |
719 | 聞香 | もんこう | 「聞」は、聞法することを意味しています。「香」は、かおるという意味です。したがって、「聞香」という法名には、聞法し、きよらかなかおりにみちた阿弥陀仏の浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております。 | 39-8 | 但見色聞香 |
720 | 聞號 | もんごう | 「聞」は、聞法することを意味しています。「號」は、阿弥陀仏の名号を意味しています。したがって、「聞號」という法名には、聞法して念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 86-6 | 其有得聞 彼佛名號 |
721 | 聞修 | もんしゅう | 「聞」は、仏の教えを聞くことを意味します。「修」は、おさめる、修行という意味です。したがって、「聞修」という法名には、仏の教えを聞き、仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-2 | 我聞此已 當如説修行 |
722 | 聞聲 | もんしょう | 「聞」は、きくという意味があります。「聲」は、念仏のこえという意味があります。したがって、「聞聲」という法名には、仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 38-6 | 或聞佛聲 |
723 | 聞淨 | もんじょう | 「聞」は、仏の教えを聞くという意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「聞淨」という法名には、すみきった世界である浄土の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-10 | 聞佛所説 嚴淨國土 |
724 | 聞心 | もんしん | 「聞」は、聞くという意味です。「心」は、仏のこころという意味です。したがって、「聞心」という法名には、仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 聞佛説法 心懐悦豫 |
725 | 聞説 | もんせつ | 「聞」は、聞法するという意味です。「説」は、仏の説法を意味します。したがって、「聞説」という法名には、本願念仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-10 | 聞佛説法 |
726 | 聞得 | もんとく | 「聞」は、お念仏の教えを聞くことを意味しています。「得」は、えるという意味です。したがって、「聞得」という法名には、仏の教えを問き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 35-11 | 其聞音者 得深法忍 |
727 | 聞慧 | もんね | 「聞」は、聞くという意味です。「慧」は、仏のさとりという意味です。したがって、「聞慧」という法名には、仏の教えを聞き、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 11-7 | 戒聞精進 三昧智慧 |
728 | 聞然 | もんねん | 「聞」は、お念仏の教えを聞くことを意味します。「然」は、人のはからいを超えた阿弥陀仏のはたらきを意味しています。したがって、「聞然」という法名には、人のはからいを超えた念仏の教えに出遇ってほしいという顔いを込めさせていただいております。 | 42-11 | 其有聞者 塵勞垢習 自然不起 |
729 | 聞明 | もんみょう | 「聞」は、聞法することを意味しています。「明」は、あきらかになるということを意味しています。したがって、「聞明」という法名には、念仏の教えに出遇い、聞法生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 31-7 | 聞其光明 |
730 | 聞名 | もんみょう | 「聞」には、聞いて信じるという意味があります。「名」は、阿弥陀仏の名号を意味しています。したがって、「聞名」という法名には、名号を聞いて阿弥陀仏を信じる人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 44-7 | 聞其名號 |
731 | 唯演 | ゆいえん | 「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「演」は、仏が教えを説きのべられることを意味します。したがって、「唯演」という法名には、他でもなく仏の教えを聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-16 | 唯願世尊 廣爲敷演 |
732 | 唯願 | ゆいがん | 「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「願」は、阿弥陀仏の本願のことです。したがって、「唯願」という法名には、他でもなく阿弥陀仏の本願にこそ頷いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-16 | 唯願世尊 |
733 | 唯樂 | ゆいぎょう | 「唯」は、ただこのこと一つという意味があります。「樂」は、阿弥陀仏の安楽浄土を意味しています。したがって、「唯樂」という法名には、ただただ阿弥陀仏の安楽浄土に往生してほしいという願いを込めさせていただいております | 56-9 | 唯樂正道 |
734 | 唯見 | ゆいけん | 「唯」には、ただこのこと一つという意味があります。「見」には、まみえるという意味があります。したがって、「唯見」という法名には、すべての人を救おうとする阿弥陀仏の本願にこそ出遇ってほしいという願いを込めさせていた だいております。 | 79-13 | 唯見大水 |
735 | 唯顯 | ゆいけん | 「唯」には、ただこのこと一つという意味があります。「顯」は、あきらかにするという意味です。したがって、「唯顯」という法名には、人間の閤をあきらかにする本願念仏の教えにこそ出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-2 | 唯見佛光 明曜顯赫 |
736 | 唯廣 | ゆいこう | 「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「廣」は、ひろいという意味です。したがって、「唯廣」という法名には、他でもなく仏の教えをひろく、すみずみまで聞いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-16 | 唯願世尊 廣爲敷演 |
737 | 惟淸 | ゆいしょう | 「惟」は、おもう、よく考えるという意味です。「淸」は、きよらかという意味です。したがって、「惟淸」という法名には、阿弥陀仏がよく考えられ、えらびとられたきよらかな行によって浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-13 | 思惟攝取 莊嚴佛國 淸淨之行 |
738 | 惟淨 | ゆいじょう | 「惟」は、おもう、よく考えるという意味です。「淨」は、すみきっているという意味です。したがって、「惟淨」という法名には、阿弥陀仏がよく考えられ、えらびとられた、すみきった行によって浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 14-13 | 思惟攝取 莊嚴佛國 淸淨之行 |
739 | 唯聽 | ゆいちょう | 「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「聽」は、きくという意味です。したがって、「唯聽」という法名には、ただこのこと一つという、本当にきくべきものをきいてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 15-7 | 唯垂聽察 |
740 | 唯念 | ゆいねん | 「唯」とは、ただこのこと一つという意味です。「念」とは、念仏を指します。したがって、「唯念」という法名には、ただひとすじに念仏申す生活を送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-6 | 唯然大聖 我心念言 |
741 | 唯然 | ゆいねん | 「唯」は、ただこのこと一つという意味です。「然」は、そのとおりという頷きの意味です。したがって、「唯然」という法名には、仏の教えこそ真実であると頷いてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-10 | 唯然世尊 |
742 | 唯明 | ゆいみょう | 「唯」には、ただこのこと一つという意味があります。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「唯明」という法名には、人間の闇を照らす阿弥陀仏の光明に、ただただ出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-2 | 唯見佛光 明曜顯赫 |
743 | 唯聞 | ゆいもん | 「唯」には、ただこのこと一つという意味があります。「聞」は、聞法することを意味しています。したがって、「唯聞」という法名には、聞法する生活をひたすら送ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 80-11 | 唯然已聞 |
744 | 勇超 | ゆうちょう | 「勇」は、いさましいという意味です。「超」は、人のはからいをこえているという意味です。したがって、「勇超」という法名には、人のはからいを超えた仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 10-12 | 高オ勇哲 與世超異 |
745 | 曜慧 | ようえ | 「曜」は、仏のはたらきが光り輝いているありさまを意味しています。「慧」は、人のはからいを超えた仏の智慧を意味します。したがって、「曜慧」という法名には、人のはからいをこえた仏の智慧の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-7 | 曜慧日 |
746 | 養敬 | ようきょう | 「養」には、やしないそだてるという意味があります。「敬」には、うやまうという意味があります。したがって、「養敬」という法名には、本願念仏の教えにやしない育てられ、教えをうやまう人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 28-4 | 供養恭敬 |
747 | 榮光 | ようこう | 「榮」には、さかえるという意味があります。「光」は、すべての人を照らしつつむ仏のはたらきを意味しています。したがって、「榮光」という法名には、すべての人を照らしつつむ仏のはたらきに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 34-16 | 榮色光耀 |
748 | 英最 | ようさい | 「英」とは、すぐれているという意味です。「最」とは、もっともという意味です。したがって、「英最」という法名には、世を超えてもっともすぐれた仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-8 | 今日世英 住最勝道 |
749 | 英勝 | ようしょう | 「英」とは、ひいでるという意味です。「勝」とは、すぐれているという意味です。したがって、「英勝」という法名には、世間を超えて最もひいでた仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-8 | 今日世英 住最勝道 |
750 | 英道 | ようどう | 「英」とは、すぐれているという意味です。「道」は、仏道という意味です。したがって、「英道」という法名には、なによりもすぐれた仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 7-8 | 今日世英 住最勝道 |
751 | 欲聞 | よくもん | 「欲」には、ねがうという意味があります。「聞」は、聞法するという意味です。したがって、「欲聞」という法名には、仏の願いを聞き続けてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 8-12 | 願樂欲聞 |
752 | 了意 | りょうい | 「了」には、さとるという意味があります。「意」は、阿弥陀仏のこころを意味しています。したがって、「了意」という法名には、本願念仏の教えに出遇って、お念仏をよろこぶ身になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-14 | 本學明了 在意所爲 |
753 | 量慧 | りょうえ | 「最」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「慧」とは、仏の智慧を意味します。したがって、「量慧」という法名には、人知ではかれない仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-13 | 無量功徳 智慧聖明 |
754 | 量願 | りょうがん | 「最」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味します。したがって、「量願」という法名には、限りあるものを超えた本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 2-10 | 無量行願 |
755 | 了願 | りょうがん | 「了」は、あきらかという意味があります。「願」は、阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「了願」という法名には、阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 明了願故 | |
756 | 量光 | りょうこう | 「最」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「光」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「量光」という法名には、人知ではかれない阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 79-9 | 即時無量壽佛放大光明 |
757 | 量思 | りょうし | 「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「思」は、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の本願を意味しています。したがって、「量思」という法名には、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の本願に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 46-11 | 無量無邊不可思議 |
758 | 了性 | りょうしょう | 「了」には、さとるという意味があります。「性」は、仏のこころという意味があります。したがって、「了性」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-9 | 覺了法性 |
759 | 量智 | りょうち | 「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「智」とは、仏の智慧を意味します。したがって、「量智」という法名には、人知ではかれない仏の智慧に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6月13日 | 無量功德 智慧聖明 |
760 | 量道 | りょうどう | 「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「道」は、仏道という意味です。したがって、「量道」という法名には、人間のはからいを超えた本願念仏の仏道を歩んでほしいという願いを込めさせていただいております。 | 9-3 | 無量衆生 皆令得道 |
761 | 量德 | りょうとく | 「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「德」は、仏の功徳を意味します。したがって、「量德」という法名には、人知ではかることのできない仏のはたらきに出遇い、その功徳をえてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 4-9 | 無量功德 |
762 | 量寶 | りょうほう | 「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「量」はなにものにもかえがたい尊いものを意味しています。したがって、「量寶」という法名には、人知ではかれない功徳をおさめた尊い本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 27-16 | 無量寶蔵 |
763 | 了法 | りょうほう | 「了」には、さとるという意味があります。「法」は、仏の教えを意味します。したがって、「了法」という法名には、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 54-9 | 覺了法性 |
764 | 量明 | りょうみょう | 「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「明」は、阿弥陀仏の光明を意味しています。したがって、「量明」という法名には、人知ではかることのできない阿弥陀仏の光明に出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 6-13 | 無量功德智慧聖明 |
765 | 量妙 | りょうみょう | 「量」は、無量寿・無量光という仏のはたらきを意味しています。「妙」は、すばらしい、たえなる世界という意味で、阿弥陀仏の浄土のことです。したがって、「量妙」という法名には、わたしたちのおもい、はからいを超えたすばらしい阿弥陀仏の浄土に生まれてほしいという願いを込めさせていただいております。 | 13-12 | 淸淨莊嚴無量妙土 |
766 | 蓮華 | れんげ | 「蓮華」は、泥の中から美しい華を咲かせるので、仏道を歩む者にたとえられ、念仏者も白蓮華と言われています。したがって、「蓮華」という法名には、五濁に滿ちた世の中であっても、本願念仏の教えに出遇ってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 55-10 | 猶如蓮華 |
767 | 和敬 | わきょう | 「和」には、したしむという意味があります。「敬」は、うやまうという意味です。したがって、「和敬」という法名には、本願念仏の教えにしたしみ、教えを敬う人になってほしいという願いを込めさせていただいております。 | 56-7 | 修六和敬 |