真実のいのちに導かれて

幸せを問う

本当の幸せってなに

 皆さん今晩は。只今ご紹介いただきました高史明でございます。未熟者が今日こうしてまた、ご縁をいただくことになりました。これで、3度目でございましょうか。教えをいただくことになりまして、日々を喜んで歩ませていただきながらも、いっこうに教えを深くいただけない者です。それがこうして伝統のある高倉会館のこの場所へまた立たせていただきまして、身のすくむ思いをいたしております。深く感謝いたします。
 未熟者でございますけれども、その感謝の思いをこめまして、今日という時代の中で親鸞ショウニンの教えをどのようにいただいているか、そのことを申しあげてまいりたいと思います。限られた時間でございますので、ショウニンの教えを今日という時代のなかに生きておられる浄土真宗のお寺の住職、ボウモリさま、そしてお子たちの歩みにまず学んでみたいと思います。その歩みをとおしてショウニンの教えをいただいてみたいと、そう願うことでございます。
 人間は、この地球上におりますたくさんの生き物の中で、幸せということを、自分の頭で考えて生きる唯一の生物でございます。その考える力で幸せを追い求めて生きようとする生き物である、こう言っていいかと思います。数億種と言われるほどの生き物の中で、そのような生き方をしているのは人間だけでございましょう。それゆえに人間には、他の生き物に見られない固有の歴史がございます。そして今日の時代がある。
 ところでこの幸せを追い求めて至り着いた今日の時代にあって、人間は、はたして幸せであるのか。むしろ幸せとは何であったかと、改めて考えてはいないでしょうか。ふと、立ち止まって考えてみますれば、長い歴史においてそれが追い求められ、また今日という時代にあって刻々にそれを追い求めていながら、真面目に考えれば考えるほど、答えにつまってしまうようなところがあるのが、また今日の時代の特徴であるかと、そのように思います。
 そういう時代を生きるひとりといたしまして、私はある寺の小学校六年生のお嬢さんの言葉を考えることから、今日のお話をさせていただこうと思います。
 その子は西藤彩香ちゃんといいます。今日では中学生になっておられるようですが、この子が六年生のとき、学校でみんなに問いかけました。
「みんな本当の幸せってなんだと思いますか?」
六年生の子どもが、学校の友達に問いかけたわけでございます。人間はみんな幸せを追い求めている。しかしながら、本当の幸せは何かとなればその答えにまよってしまう。そうであればこの問いは万人の問いであると申せましょう。この子はこの問いを提出いたしまして、つぎのような回答を出しております。

「お金持ちで、自分の好きかってなことができたら幸せかなー。私は思う。だれとでもなかよくして、人からよろこばれる人になるのが、幸せでないかなー、と思います。好きなことをして遊ぶことも楽しいけれど、困った人を助けたりしたら、とってもいい気分になれる。これからも本当の幸せをいっぱいつくっていきたい」。

 すばらしい回答でございます。彩香ちゃんは「だれとでもなかよくして、人からよろこばれる人になるのが幸せではないか」と、このような回答をだしました。大人もまたこの回答にうなずきを覚えましょう。幸せとは仲良くできるところに恵まれるものでございます。この回答のとおりでございます。
 お金がどんなにあっても、家の中に争いがあれば幸せはございません。家の家の中がそうであれば、国と国との関係でも同じでありましょう。どんなに物質文明が豊かに構築されていたとしても、そこに戦争があるならば、やはり幸せはございません。幸せどころか、それは悲惨のどん底になると言っていいかと思います。誰とでも仲良くして、人から喜ばれるところに幸せがやどる。真実です。大人もまた、それに同感でございましょう。ひょっとすると、この子にそのようなことを教えたのは、大人であるかもしれません。しかしながら、大人はこの子の問いと回答を我が事実とすることができましょうか。仲良くというところに、幸せが宿ることを大人は知っている。その大人の一人として、この答えを前にするとき、私は誰とでも仲良くできない自分に気づかされないではおれないわけでございます。その自分を省みますときに、この子がただ大人に教えられてこのような回答を出したと、そのようには思うことができませんでした。
 そう思ってこの子の文章をみておりましたら、一年生のときに、次のような詩を書いておりました。

みほとけさまは、とてもやさしいめもやさしい
ともなりにいちゃんに、みえた
ちかくにいってみると、
あやか、がんばれょ
といっているみたいだった
なみだがでているみたいだった

 仲良くできない私たちの底

 この詩を目にしたとき、私はもっと幼かったときのこの子の顔を思い出しました。私がこの子にはじめて会いましたのは、たしかこの子がまだ学齢前だったと思います。そのご縁はこの子のおばあさまからのお電話によります。お寺の大事な長男坊が、お医者さんの麻酔ミスというようなことでこの世を去ってしまった。あとに若い住職と坊守、そして子どもたちが遺された。両親はその深くおおきな打撃に立ち上がる力を失っているようである。あなたも聞くところによると子どもに死なれたそうだ。そして親鸞ショウニンの教えに出遇われたと聞いた。そして歩みだしているというが、あなたのその経験を若い住職夫婦に伝えてやってほしいという、そのような趣旨のお言葉でございました。
 私はその当時、なにかを語れるような状態ではまだございませんでした。ただ一生懸命、やっとお念仏を称えさせていただくばかりで、お念仏いただきたい、そのような思いで毎日を送っていたような人間でございました。しかしながら、子に死なれた悲しみがいかに深いものであるか、それは知っておりました。それが語り合えるものならまいりましょうということで、出かけてまいりました。
 たしかに、おばあさまのお言葉どおりでした。若いお父さんお母さんは大きな打撃を受けているということが、そのお顔を一目見るだけでわかりました。顔は悲しみに凍っていたと言っていいでしょう。そのとき、この子は、私の見たこの子の姿でありますけれども、庭でままごと遊びをして遊んでおりました。その声が部屋におりました私の耳に届きました。両親をはじめみんなが悲しんでいるとき、子は庭でままごと遊びができるかと、私はそのように思いました。本当に、無邪気なかわいい声でございました。
 しかしながらそれは、私の見るという目、その目によってとらえられた、事の半面であったと、いま気づかされるわけであります。人間の見る目は、必ずしもすべてが見えるわけでないと、このことを通しても今また教えられます。事の半分、場合によっては十分の一ぐらいしか、目の前にあるものであっても見えない。それだけではない。事を本質的な深みで言うなら、見えるが故に、かえって、真実がまったく見えないことになる。なかなか厄介なものでございますけれども、そのことを教えられました。無邪気に笑っていたこの子も、涙をしっかり教えられていたんですね。この詩を読んで気づかされました。それでなければ、どうして、一年生のときの先ほどの詩ができましょう。
「みほとけさまは、とてもやさしい/めもやさしい/ともなりにいちゃんに、みえた/ちかくにいってみると、あやか、がんばれょといっているみたいだった/なみだがでているみたいだった」。
 ほとけさまに手を合わせて、仰いだほとけさまのお目めにその涙を感じることができるとは、自分の目にまた涙があったからでございましょう。一年生の子が、すでにしてその涙をいただいていた。そこには涙を通してのほとけさまとの出遇いが実現されていたと、そのように私は思います。そうしてみると、六年生の時のあの回答は、単に大人に教えこまれた知識というものだけにとどまらない。涙に導かれ、ほとけさまの教えを、一家中みんなで改めて学んできた結果があの言葉になっていたんだと、私はそう思うことでございます。
 だれとでも仲良くという一言。誰でもが知っていて、もっとも単純な回答であるにもかかわらず、なかなか実践できない、しかも本質的なこの回答。それがここに、ほとけさまの教えに導かれて明らかにされたということは、私にとってとても大事なことに思えました。それ故にまた、私はこの人生において避けることのできない涙というもの、それを今一度考えたいことでございます。涙とは何か。それを通すとき、私たちの 私と言える知恵の中身は、それまでとは違って感じられるようでした。誰とでも仲良くするのがよいと知りながら仲良くできない私たちのありようの底には、自力といわれておりますところの断愧のない私のチェがあるのではないか。それを個人生活の上で、あるいは世界の問題においても考えてみたいと思うことでございます。そうすれば、おのずと親鸞ショウニンが教えられている教えが、なにか胸に響いてくるように思われることでございます。

涙のいただき方

 人生にあるのは確かに喜びばかりではありません。悲しみがございます。大事なご長男が世を去った後、この一家は涙に襲われました。そのありさまをおばあさまの言葉で読んでみますと次のとおりです。

「それは、トモナリがこの地上からお浄土へ旅立ちの夜でした。白い粉雪が静かに降っていました。誰にも知らせず、家族ばかりのお別れをしようということでした。両親は入院のときの着のみ着のまんま、トモナリ君を真ん中に抱くように、両脇に横になり、誰にもはばかることなく、大きな声でともくんの体を揺すぶりながら、トモナリ、トモナリ、と涙のかれるまで泣き明かしました」

 両親がまず泣いています。そして子どもたちも同じです。

「三男の大信は、だまって兄ちゃんの枕もとに座っていましたが、急にほほをマッサージし始めました」

とおばあさまは言う。このとき、たしかこの子は小学校の一年生でございました。一年生の子が、ご両親が黙ると急に亡くなったお兄ちゃんの頬っぺをマッサージし始めた。そうさせるのもまた悲しみというものでございましょう。「きっと冷たくなった頬を暖めてやりたかったのでしょう」と、おばあさまは言われます。

「一生懸命やっていましたが、もう自分の手が痛くなったのでしょうか。だめだ、だめだ、と独り言のようにつぶやいて、口をへの字にして悲しみをこらえている横顔が目に焼き付いています」

両親が泣き、子どもも泣いています。

「次男の佳史は冷え冷えとした夜でしたので、おこたに入れてやすませた。一時間以上もたったと思います。もう寝たものとそっとのぞいてみますと、大きなひとみに涙をいっぱいためて、天井を見つめたまんまでした。小さな胸に兄の優しさ、いとおしさが込み上げてきたのでしょう」

 次男坊も同じでございます。そして一番末っ子だった彩香ちゃんも、同じであったのでありましょう。だから小学校一年生になっての詩に、みほとけさまの目に涙を感じることができたと書くことができたのだと思います。
 人間は泣く存在であると言えます。幸せを求めることの裏には涙がはりついている。万人がこの涙なしには、人生を歩むことはできません。万人が泣く。しかしながら、その涙のいただき方は必ずしも同じであるとは限らないと私は思います。涙は人間の生き方を映す鏡となります。同じように泣くにしても、その涙に当面してとる人間の態度の中に、その人がほとけさまの教えをいただいていこうとするのか、我、と言える知恵を頼っていこうとするのか、そのありようの分かれ目が出てくるように私には思われます。それはまた真実に生かされるか、偽りを生きるかの分かれめになります。その二つを考えながら、私ども、我と言える知恵の中身をさらに深く考えさせていただこうと思います。

 愛別離苦におうて

 愛するものに死に別れるという悲しみ、それに遇うて、それで悲しむのは万人が同じでありますけれども、とる態度は必ずしも同じではない。二通りあると申しました。それを『口伝鈔』に学んでみたいと思います。それをいただいて、その上でまた私の考え、我と言える知恵、それを深く考えさせて
いただこうと思います。『口伝鈔』(聖典六七一頁)の中に次のお言葉がございます。「愛別離苦におうて」と。愛するものが永遠の別れを告げなければならないという根本的な苦しみに遇うてでございます。そこに人の日常では見えなかった姿が映し出されてきます。

 父母妻子の別離をかなしむとき、仏法をたもち、念仏する機、いう甲斐なくなげきかなしむこと、しかるべからずとて、かれをはじしめ、いさむること、多分先達めきたるともがら、みなかくのごとし。

 このお言葉がある。親が死ねば子が泣きます。子が死ねば親が泣きます。夫婦の間でも同じでございます。夫に死なれれば妻が泣く。妻が死ねば夫が泣く。そのような根本的な悲しみに襲われて泣いている人がいるとき、その人に向かって「仏法をたもち、念仏する機、いう甲斐なくなげきかなしむこと、しかるべからず」と言う。つまりそのようなみっともない泣き方をするなと、このように言って泣いている人に恥ずかしい思いをさせて、しかも慰めているようなつもりになっている、それも先輩のような顔をして言うということ、これが1つの態度として人間にはあるというわけであります。今日の私ども
の時代にあっても、それがありましょう。それはなにか。

 この条、ショードーの諸宗を行学する機のおもいならわしにて、浄土真宗の機教をしらざるものなり。

と言われます。それは我によって、我と言える知恵で、真実に至ろうとする者のすることであって、浄土真宗の教えの深さを知らないもののすることであると、こう言われているのであります。
 それでは、浄土真宗の教えはどのように教えられているか。

まず凡夫は、ことにおいて、ったなく、おろかなり。その奸詐なる性の実なるをうずみて賢善なるよしをもてなすは、みな不実虚仮なり。

いまほどの話の流れの中で申しあげますならば、親に死なれながら世間体を憚って涙を見せまいとするのは、たとえそれができたとしても嘘でありましょう、と言うのであります。子に死なれるなら、泣くのが人間でないか、心の中は泣いておりましょうと、このように言われていると言っていいかと思います。その悲しみは深いものです。

たとい未来の生処を弥陀の報土とおもいさだめ、ともに浄土の再会をうたがいなしと期すとも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれなからん。

です。たとえ未来は阿弥陀様の御国で必ず遇えるんだと、このようにかた<信じているとしても、「おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれなからん」です。泣くのが人間であります。

なかんずくに、こう劫流転の世々生々の芳契、今生をもって、輪転の結句とし、愛執愛着のかりのやど、この人界の火宅出離の旧里たるべきあいだ、低耳二叡ともに、いかでかなごりおしからざらん。

と言われます。我に依って生きる人間は、ときにはつくづくと我に嫌気をさして、ああいやだと思うことがございます。他人と仲良くできない知恵は、裏返してみると我とも仲良くできない知恵でございます。そのような我に迷えば我が生きている環境とも、ああいやだ、こんな世の中はいやだと、こういう思いを抱く時もございましょう。しかしながら、そのような両者であっても、ともに永遠の別れを告げなければならないとすれば、思いはまた激しく、深く、重いというよりも慄となってその者を襲いましょう。「依正二報ともに、いかでかなごりおしからざらん」、このように言われております。

これをおもわずんば、凡衆の摂にあらざるべし。

と。そうでない者は、我々普通の人とは違うんだろうということです。そしてお言葉はございました。

おろかにつたなげにして、なげきかなしまんこと、他力往生の機に相応たるべし。

親に死なれたら、その悲しみのまま手を合わせて念仏させていただくがよろしい。そこへほとけさまの智慧と命がひらかれ、亡くなった親と、また子と、ともに生かされる世界が恵まれますと、このように言われているような気がいたします。終わりのほうにはまた、こういう言葉がございました。

浄土往生の信心成就したらんにつけても、このたびが輪回生死のはてなれば、なげきもかなしみも、もっともふかかるべきについて、あとまくらにならびいて、悲歎嗚咽し、ひだりみぎに群集して、恋慕てい泣すとも、さらにそれによるべからず。

親がお棺に入って家を出ようとするなら、それにとりすがって泣きわめくのが人間でしょう。だからといって救いがないのではないのです。迷っとる人間なればこそ、むしろほとけさまの慈しみをよりよくいただけるのだ、精いっぱい泣いて手が合えば、そのほうが、ほとけさまの智慧にはやく出遇わされるということではないでしょうか。これが浄土真宗の教えとして示されたお言葉でございました。

 駄目になったのは手の合わなかった自分

このお言葉を、私は我が事としていただくことでございます。その通りでございました。その悲しみを通して、この私もはじめて手が合うようになりました。お念仏をいただくようになりました。世間の人は、あいつはもう駄目になったと、そのようなお言葉もまま耳にしたことでございます。が、手を合わせてお念仏をさせていただいて、駄目になったのは手の合わなかった自分でございます。涙に対して、人間のとる二つの姿勢は、人間のありようをよくよく照らし出します。
 手が合うということはどういうことか。西藤彩香ちゃんのお母さんの言葉にもどって、次にそのことをもう少し考えてみたいと思います。泣いて泣いての毎日であったお母さんが、やがてこういう言葉を述べていました。

「がんばれ、がんばれという言葉はつらい。人間、がんばれんときがあるもの、どうやってがんばればいいのか、それさえわからないもの 」。

 母親なればこその言葉でしょう。私はそう思います。母親の真情がこの言葉に脈打っている。自分ががんばって、それで死んだ子が生き返るならば、どうにでもがんばってみたいのが母親というものでございましょう。しかしながら、死んだ子は、母親がどんなにがんばっても生き返らないのです。代わりに死んでも生き返らない。その苦しみ、悲しみにある母親には、がんばれという言葉こそがつらいものです。まさにつらい。「人間、がんばれんときがあるもの、どうやってがんばればいいのか、それさえわからないもの」
です。この言葉は、それまでのこのお母さんのよって立っていた わかるということ、それによっていた、我、が砕かれたということを意味しましょう。その、我、では、がんばろうにもがんばりようがないことが人生にある。それにぶつかった。そしてその先です。この事態のどん底において、このお母さんはなんと言うか。

「力がなくて、死ぬことも、生きることもできないとき、ほとけさまに遇えるような気がする」。

 私はこの言葉に、私どものこの、我、の目ではなかなか見ることのできないほとけさまの真実が光っているような気がいたします。「死ぬことも、生きることもできないとき、ほとけさまに遇えるような気がする」。ほとけさまは、我、が砕かれたとき、その砕かれた、我、のただ中にあらわれてくださるのです。このお母さんは念仏者として、あたらしく甦ったのでございましょう。ここに真実の生がひらかれる。しかしここでは、この出遇いに背を向けてしまう、我、中心のありようを、いま少し見てみたいと思います。お念仏をいただくほかない人に向かって、おまえはもう駄目になってしまったという立場。それをもう少し深く見ておきたいと思います。

がんばれ    の立場

 このお母さんのこの言葉を、東京のある集いで紹介いたしました。その帰りに、ある中年の婦人に呼びとめられました。あなたのそのお母さんの言葉をきいて、自分に気づいたことがある、とおっしゃる。その内容はこうでございました。
 その方の親友が癌の末期の患者で、もはや助からない状態で寝ておられる。見舞いに行き、その友人に向かって何度も、がんばれ、と言ってきたと言います。がんばれ、がんばれ、と。それが間違いであったことに気がついたと言うのです。
 そうでございましょう。病人にとって、がんばれという言葉は最初は、喜びです。しかし、意識があって、だんだんがんばれん自分というものに気づかされているのに、なお、がんばれ、がんばれ、と言い続けられるならば、もうそれを言うてくれるな、という思いもわいてくると思います。そうであればこのようにも言いたくなりましょう。がんばりたい、がんばりたいけれども、もう駄目なんだと。自分中心の、がんばれ、は残酷です。ぎりぎりのところを生きている人に向かって、がんばれとしか言えないのは、励ましているつもりでも励ましにならない。それしか言えなかったのは間違いであったと。それを前提として、そのうえで言われました。では、そのようなときなんと言えばよかったかと。これが問いでした。
 私は答えました。なんと言えばいいか、その言葉まではわかりませんと。しかし、わかることがいくつかありました。まずは、がんばれとしか言えないその立場はいかなるものであるかと言うことです。私が中心で、私と言える知恵で友人を見ているのがその人の立場です。向こうは見られるばかり。
こっちは見るばかり。これが、がんばれ、の立場でしょう。なんと言えばいいかということは、この自分の落とし穴に気づけば、おのずと出てきます。それだけが人間のありようであるのか。あなたが友人を見ておれば、友人もあなたを見ている。目に力がなく、声が出せなくなっているとしても、無言の眼ざしというものがある。その目で、あなたを見ているのです。その方にあなたはなにも学ぶものはないのですかと、そう申しあげました。
 力なくして、今死に向かっている人には、もうなにも学ぶものはないのか。自分が中心だったら、死に向かう人に学ぶものはないのかもしれません。しかしそれが、本当に生きているということであるのか。本当の友人であれば、目を澄まして、死に面している友人に教えられるはずです。友人をようく見る。そのよわよわしい声、表情に、がんばれないというその姿全体が、とても大事なものを教えているにちがいないのです。どうしてひとつでもいいからこれを教わっているということが先に言えないのか。それを言えば、必ず返事が返ってくる。死んでいく身、その身を通して友人は必ず大切なことを教えているはずです。それを学んでいるといってやれば、そう言えば必ず返事が返ってきましょう。がんばれと言ってくれるなというような言葉でなくて、別な返事が返ってきましょう。見る者はまた見られる者です。
 見られる自分、生かされている自分、それに気づけば、そこにいのちを中心にした新しい智慧の交流がございます。これは、我、を中心にした知恵ではすでにない。仲良くを実現していく智慧。
 このことは今日の世間のさまざまな問題にかかわります。老人問題の根っこにも、これがある。子どもの問題の根っこにもありましょう。人間中心、見る知恵中心の問題です。お年寄りを見て、今日の私どもは何を学んでおりましょうか。その昔インドのタゴールが誉め讃えた日本の精神と言われるようなこころの深さ、アジアの美風と言われたもの、それがだんだんものの陰に隠れて、見えなくなってきているのでございましょう。力というものばかりがよしとされている。そのとき、お年寄りは学ぶ相手ではなくなってきます。そこに本当の幸せを、改めて問わざるをえない今日の人間の問題があります。人間中心の人間は、いま、はたして十分に幸せなのか。

 我を問う

 いのちを見失っている人のありよう

 近代日本の優れた知識人・作家の夏目漱石先生の晩年の作品『こころ』の主人公の言葉において、いま一度我の中味を見てみたいと思います。ここに次の言葉があります。

 「自由と、独立と、おのれとに充ちたこの現代に生まれた我々には、その犠牲として、みんなこの淋しさを味わわなければならないでしょう」

その淋しさの内容とはなんであるのか。

「私は私自身を信用していないのです。つまり自分で自分が信用出来ないから、人も信用できないようになっているのです」。

 我、中心の私とは、この淋しい私ではないか。お年寄りに学ぶことのできない我とは、独立して自由であって、お金を使うことができても、その我が我には信用できない。だから、誰も信用できない。その極限は何か。我中心の私は、いのちをも自分のものとする。ところが、我のものであるはずの我のいのちから我とは見捨てられるものです。対象を見るばかりで、学ぶことを知らない我とは、すでにして見るものすべてに見捨てられているのであります。その我は、子どもたちにもまた学ぶことはありません。教えることだけが自分の務めだと思っていて学ぶことはできない。そのとき、そのことを対象化してよしとする言葉の知恵はいのちを覆うようになります。そのことの意味は巨大でございます。学校問題の根っこにあるのは、そのことだと思いますが、技術的な点をひとつだけ申しあげたいと思います。
 子どもに学ぶことのできないということの中味は、技術の点ではどういう様相を呈してくるか。日本で遠山啓先生とおっしゃる、たいへん優れた数学の学者がおられました。この先生は貧しい家にお生まれになったようで、学校で算数の時間に一から十までを習って、帰って復習しようとすると、親が言う。油がもったいないから勉強しないで、早く寝ろと。大変な貧しさです。しかし今の煙々たる電気のもとで、勉強、勉強といわれる子どもたちと、どっちが幸せかわかりません。
 遠山先生は早く寝て、翌日学校へ行く。翌日は十一から教わる。十一のわかる子、学校の先生がおっしゃる。遠山先生、手をあげる、それを黒板に書き表すことになる。そこでなんと書くか。前の日に習っていた十とは一にです。それで十だと。遠山先生はこの一を頭において、に一を足して101と、こう書いた。そうすると学校の先生は、これはおまえ、ひゃくいち、というもんだ、と言う。十一ではないと。すると言われるほうの子どもがこれがわからない。十が一に0だから、十一はもうひとつ一を足して101ではないかと言うわけです。それでがんばるとどういうことになるか。そこまで書いておられませんでしたが、まあ、そこで子どもががんばれば、学校の先生は言いましょう。おまえは「あほ」じゃないかと。これは一〇一だ、文句を言わずに十一を十一としてちゃんと暗記しろと。もっと素直に勉強せえ、と言われましょう。
 そのことは何を意味するか。学ぶことを知らない先生は自分を歪めるのはもちろん、子どもの心を歪めてしまうということです。学校の先生とのその時のトラブルの悔しさから、先生は後に大数学者になったのではないかと私は思うのですが、その先生が言われていた。子どもに九まで教えたら、そのまま十を教えてはならない。十を教えるには零の意味と位取りを教えなくてはならないと。その順序をとばして10を教え、11を聞けば子どもは必ず十一を一〇一と書く。これが道理である。つまり一〇一と書いたのは先生の間違いの表れだと言うことです。それを学校の先生は子どもの責任にしてしまう。
 私は思います。体を通して、零の意味と位取りをしっかりと身につけておかないと、小数がわからなくなる。小数がわからなくなると必ず分数がわからなくなる。分数がわからないということが、日本の学校問題ではどういう形で表れたか。
 校内暴力が全国に吹き荒れた時、中学生になって学校を壊すこどもの学力を検査してみたら、小学校四年生の分数がわかっていないことがはっきりしたということがございます。四年でつまずいたのです。その上、その後ずっと「馬鹿」だと言われたんでしょう。すると、子どもは大きくなって学校を壊すわけです。今日では、この矛盾はいっそう深刻です。子どもに、この苦しみを与えてしまう学校の先生は、どこに自分自身のいのちの喜びを見つけておられましょう。子どもに学ぶことを知らないということは、実は教えるということを知らないということであって、その根っこには、自分自身のいのちを見失っている人間のありようがあると、私はそう思います。これが、がんばれ、です。

 涙は母さんのカ

 ほとけさまに手が合うようになったこのお母さんは、向こうが見えているときの自分は、自分の見えない自分であることを教わっているのです。それは亡くなっていく方に、もっとも大事な宝物を教わることができたお母さんであります。人間の根本の迷いを、亡くなっていった、死んだ子どもに教えられた。このほとけさまに教えられる智慧はお年寄りを見る目を変えます。子どもを見る目を変えます。ここにヨーロッパ近代が生んだ、いわゆるヨーロッパの理性とはまるで違う智慧がはたらいている。私はそう思います。その智慧は、いのちに生かされる智慧です。
 このお母さんにまた、こういう言葉がございました。

「今でも突然ポロッと涙。人は私のことを思って話をそらせようとします。涙は涙でも、涙がかわったような気がします。悔やみの涙ではありません。あったかいすがすがしい涙です。涙が溢れると、こころにいっぱい力がわいてきて、自然と力がわいてきます。涙は母さんの力です。朋が涙の中にいてくれるのね、ありがとう、朋」。

 泣いて泣いて、涙の中に沈没しそうになっていたお母さんが、ほとけさまに導かれてゆく日々の中で、やがて「涙は母さんの力である」というのです。ここには、大地に根差している本物の人の姿があると私はそう思います。頭でっかちに、頭の知恵だけに頼っているのではなくて、涙を共にしてしかもそれを力にしていける、大地に根差した人の姿があると思います。そのことと、がんばってだけいくところに生まれてくる世界の違い、それはどのように違うか。それを次に考えることにいたします。
 まずお母さんの言葉から糸口をいただいてみようと、そう思います。
 このお母さんは保育園の園長さんでございます。たくさんの子どもを預かっていておられた。いま記憶が正確ではございませんが、ざっと申しあげますれば、このように涙をお母さんの力だと、このように言えるようになる前、このお母さんの保育の眼目は、県の大会でどれだけの子どもが入選するかと、そのようなことにあったようでございます。書や絵などの賞を何人いただくか、そういうことだったのでしょう。つまり、どれだけいい子が育つかということでございました。そのお母さんがこうおっしゃいます。

「保育ってなんだろう。あなたの死によって私は、一人ひとりの子どもの大切なものを見失っていたことが、ガーンと頭を殴られる思いで知らされました。今まで見えなかった一人ひとりの目の輝き、いのちの喜々とした動きに子どもから教えられ、子どもに優しくつつまれて私のこころも豊かになります。今までの緊張と肩肘張っていた喜びではなく、静かなあたたかい喜びがあふれます。保育の根底には、モンポウという学びがないと、私にはどうしようもないことがわかりました。これも朋が教えてくれたことです。」

保育の根っこには聞法がないと駄目だと、このようにおっしゃる。これは何か。
 東京のある場所で、このお母さんのお言葉でなくて、私は聞法という言葉を口にして質問を受けたことがあります。どこかの大学だったと思いますが、聞法とはどんな字を書くか、これが質問でありました。法を聞くと書きます、と答えた。ああそうかと、わかったような顔でその場は済みました。ひょっとすると、法の言葉をたくさん聞いて、頭の中にそれをいっぱい知識として詰め込んで、その知識でまた何かやらかすのではないかと思いました。大学などではそれがいかなる意義をもつか、もっとも見えにくいことになりましょう。それでは、いのちが見えなくなる。保育の場でも同じです。
 聞法とは何か。このお母さんは言っておられます。「今まで見えなかった一人ひとりの目の輝き、いのちの喜々とした動きに」と。つまり聞法がないところでは、いのちがみえなくなるということでございました。聞法とは、ナムと手を合わさせていただいて、改めていのちを全身に感じさせていただくことでございましょう。ありのままの世界、真実の世界に生かされてゆくことでありましょう。そのことなしに、どうして子どもたちといのちを共に生きることができるか。知識で子どもたちを包んでいけば、それで幸せが得られるように思っている現代とは、まさにこの聞法と言われる、ほとけさまの智慧を学んでいく一番大事な根っこを失っているのでございましょう。その中身の暗さは、深いものがあると、私は思います。

近代を問う

 対象化するチェ

 私たちはこうしてご縁をいただいて、同じ場に今いますが、この私たちには、地球がこの瞬間も物凄い勢いで動いているなどとは誰も感じることはできません。地球はじっとしている。今もしもガタガタ揺れたら、地震が起きたときでございます。しかし、地球はいつも物凄い勢いで動いているわけです。感じられないとしても動いている。その感じられないという、感じにたよっていたとき、人間は洋の東西を問わず、みんな宇宙の中心は地球であると思っていたのでございましょう。宇宙の中心にあって、じっと静止しており、動いているのは、太陽の方だと、こう思っていたわけでした。
 ところが千五百年代になって、コペルニクスという人が向こうに出てきた。彼は言いました。いや自分の目で太陽を見れば、太陽の方が地球の回りを回っているようだけれども、実は地球の方が太陽の回りを回っているんだと。彼はその当時の観測のデータを幾何学の方法をつかって考えてみたわけでした。すると地球の方が動いていた。これはヨーロッパにあっては大問題でした。
 なぜか。当時、ヨーロッパの神様の代理人ローマ法王庁は、宇宙の中心は地球であるという世界観、宇宙観にたって神の恩寵を説いたわけです。地球が動いているとなると天国が消えてしまう。どこにあるのか、わからなくなってしまうわけでございましょう。しかし、当時はまだ、こう言われて済んだそうです。コペルニクスよ、おまえはおまえのその説を、数学的に証明してみせることができるかと。彼は残念ながら、それができなかった。彼は線を引いて考えるという幾何学の方法にたよっていたわけですから、数学的には証明できなかった。だから狂いもあって、これが確かに真実ということができなかった。
 しかし、その次にガリレイという人が現れた。ガリレイという人は、一歩すすめて、線とは数に換算することができると考えます。データもさらに精密になっていた。それを使い、数という記号をもって考えてみました。すると、地球の方が太陽の回りを回っていた。そこで彼はコペルニクスの説を支持しました。今度は大問題です。数学的に証明してみせたわけですから、法王庁の根っこが揺すられたのです。彼は宗教裁判に呼び出されます。神を冒涜するものとして有罪の判決をうけます。死んでから墓をつくるということもゆるさんという厳罰でした。
 そのガリレイが、今日世界中の人間から近代科学の父と呼ばれています。その背景にあるのは、人間が科学の力をよしとし、それにたよったということがあるのでございましょう。だから、我と言える場所に立って、我と言える知恵を、科学という方法にまで鍛えあげた我は、その科学しか信じない。それで幸せが得られるというわけでございましょう。これががんばる立場です。何事もがんばれば、すべてがうまくいくものだと思っている。すべてを対象化し、そうできるチェで料理できれば、幸せになれると信じているのです。しかし、そこに今日の時代の最悪の大きな迷いがあると、私はそう思います。

 人が人に見えない

 ヨーロッパに生まれたいわゆる近代文明が、アジアに押し寄せてきて、日本は明治の近代化へと進み出ました。そこに、日清戦争という近代日本における最初の戦争が起きます。一八六四年、つまり明治維新の四年前にドストエフスキーという作家が「地下生活者の手記」という作品を発表していますが、その中で彼は言います。

「諸君、ににんが四は生のはじまりではなくて、死のはじまりである」

ににんが四とは数をつかって得た真理です。科学とは、この数をつかって対象をとらえる方法であるとも言えましょう。それによって近代文明は支えられている。彼はそれを生のはじまりとは見ないで、死のはじまりだ、とこう言った。彼のその言葉、その当時は誰もあまり理解をしなかったのでありましょう。作家の世迷いごとぐらいにいわれていたといってもいい。
 しかし、今日の人間は彼の言葉を、否応なく理解せざるを得ません。科学文明は原子爆弾をつくり出しました。広島に原爆一発が落ちた。それは五万トンの高性能火薬が爆発したことに相当する破壊だったといわれます。ざっとの計算です。ところが戦後アメリカが、ビキニの水爆実験をして爆発させた爆弾は、一発が千五百万トンだったといわれています。さらにソ連が負けじとばかり、その五年後に北極海で爆発させた爆弾は六千万トンです。
「諸君、ににんが四は生のはじまりではなくて死のはじまりである」とは、今日の人間には、身にせまる問題です。まさに今日の地球の人間は、このににんが四の正確さでせまってくる死に包囲されているのです。よく考えてみてください。五万トン一発の爆弾が広島を壊滅させた。北極海で爆発した爆弾は、一発が六千万トンであった。そして地球にはいま一万五千メガトンという核爆弾があるという。百五十億トンの爆弾です。なんという平和であるのか。
 ヨーロッパの文明の中身については、すでに、向こうに誕生した偉大なる知性の一人であると言っていいカントという哲学者が次のように言っております。その文明の裏にある闇を指摘する言葉ですが、一七九五年のものであります。明治維新のはじまるだいぶ前の言葉であることが改めて思われるものです。彼は世界の永遠平和を考えました。平和であるためには人々の交流がなければならないと言います。そのことを軍備を全廃することの大事さと共に説きながら、その中で自らの知性を次のように自らきびしく批判しておりました。

「われわれの大陸の文明化された諸国家、特に商業活動の盛んな諸国家の非友好的な態度を、これと比較してみると、かれらがほかの土地やほかの民族を訪問する際に示す不正は、恐るべき程度にまで達している」。

 その不正について、かっこして彼は言います。「訪問することは、かれらにとって、そこを征服することと同じことを意味する」と。文明の人がよその土地に訪問することは、それを征服することを意味していると言うのです。

「アメリカ、黒人地方、香料諸島、喜望峰などは、それらが発見されたとき、かれらにとってはだれにも属さない土地であるかのようだったが、それはかれらが住民たちを無に等しいとみなしたからである」。

 文明をひらいた人間が、アジア、アフリカ、アメリカそこいらに行くとき、そこには人はいたけれども、その人の姿が人には見えなかったという言葉です。だから殺したんでしょう。

「東インド(ヒンドスタン)では、かれらは商業支店を設けるだけだという口実の下に軍隊を導入したが、しかしそれとともに原住民を圧迫し、その他の諸固家を扇動して、広範な範囲に及ぶ戦争を起こし、飢え、反乱、裏切り、そのほか人類を苦しめるあらゆる災厄を嘆く声が数えたてられるような悪事を持ち込んだのである」。

 対象をににんが四の正確さでとらえられるチェには、それに自足するとき、人間から、自分自身を、またいのちを見失わせてしまう闇があるということでしょう。そのチエは「偽」であり、「仮」でありましょう。
 ついでに言いますと、彼はさらにこういうことも言っております。その当時は、幕藩体制の時代でございます。その時代の日本や中国にふれて言います。あの国らが鎖国政策をとっているのは賢明であったと。人間を人間と見なさない人々との交際に、一定の条件をつけるのは当然というのです。しかしその鎖国政策は大砲の前に打ち破られました。そこにヨーロッパとアジアの不幸な出会いがございます。その不幸な出会いの根っこを見ますれば、科学こそがすべてであるとみたその物の考え方がありましょう。
 たとえば福沢諭吉先生の中にもその認識がございます。科学は対象を数量化してとらえるが故に正確であると考えます。そのような知恵をもって対象に向かってこそ、物をたくさん正確に生み出すことができ、農かになると彼は考えました。ここに近代文明を支える人間の理性、あるいは科学の明るい面が反映されていると言ってもよいでしょう。しかしその裏には暗さもはりついているのです。同じ明治の人間、夏目漱石先生は『行人』という作品の中で、「人間の不安は科学から来る」と。どこまで連れて行かれるかわからないと。おそろしい、と言ってます。我と言える知恵、その知恵に孕まれる無明を、漱石先生は鋭く見ておられたのでしょう。

 死に至る病

ナム のない理性、それに支えられた 人間的知性、それは死に至る病です。そのことはガリレイと同時代のデカルトの考え方においても考えることができます。彼は言う。人間には他の生き物にない知恵がある、その知恵を彼は理性と呼びました。そのような力をもつ人間はひとつそれでもって、自然の主人になり、その所有者になろうと。そこに人間の幸せが実現されると、彼は考えたのでございました。これは、思うという力を基軸にするとき必然的にゆきつくところであります。
 人間はしかしどこから来たものでありましょう。いまこれを一人の人間のいのちと、我、の関係で考えますなら、自然の主人になるとは、いのちを私物化することに通じます。その、我、は罰としていのちに見捨てられます。物を通しての快楽の中で死に直進するのです。これは地球的規模においても言えます。人間が地球の主人になり所有者になる。地球は荒廃してゆく一方です。もしも地球がものを言えるのでしたら、黙っておりましょうか。人間の足に踏んずけられて死に向かわされている地球が黙っておりましょうか、仲良くはできんというにきまっておる。ところがその地球の声を人間は聞こうとしなかった。長い間アジアにはそれを聞く耳があった、そのような方法があった。ところが科学という眼鏡を掛けられて、風の知恵、光の知恵、大地の知恵に学ぶことを忘れてしまった。
 そして今、何が地球にあるか、地球が壊滅しそうな状況です。仲良くはできないと、地球が言い出しているのでございましょう。それが現代の人間の問題です。そこに聞法の大切さがかかっています。聞法ということは、我がいのちを改めてほとけさまに気づかせていただくだけでなしに、地球全体の運命がそこにかかっている。このように言っても過言ではないと思います。ナム、が根本でございます。

 二つの白法あり、よく衆生を救く

 親鸞ショウニンの教えに自然法爾という言葉がございます。私はこの教えに根本的な光を覚えます。人間は、自然の主人にはなれないのでございます。自然にむしろ生かされているのです。親鸞ショウニンは自然法爾の教えとかかわって言われています。

自然というは、自は、おのずからという。行者のはからいにあらず、しからしむということばなり(聖典五六二頁)

と。このようにいわれております。おのずからと言われ、しからしむと言われている、その光はいかなる光であるのか、そのようなお言葉で示される世界とはどのような世界であるか。
 最後にお母さまの言葉をいま一度たどりながら、それを考えてみたいと思います。この若い住職と坊守さま、そして一家、みなさんには深い苦しみがありました。あまりにも大きな悲しみです。子なき後、子が死ぬことになったお医者さまの家を見ることができなかった。それがまた苦痛であった、と言われていました。私の言葉に置き直しては、ご住職にお叱りを受けるかもしれませんが、ご住職の苦しみにこういうことがあったと思います。
 真宗では人を恨むなと教えられる。怒ってならないと教えられる。住職は僧侶であってその道を教えられている。ところがその医者のことを考えると、怒りも、恨みも、沸々と沸いてくる、これがつらい、そういうことがあったようでございます。坊守さまも同じでございましょう。その方がやがてなんと言うか。「涙は母さんの力である」、このように言ったお母さんはやがて、お医者についてもこう言われます。

「あなたが息を引き取った病院の前を通りました、とても勇気がいりました。今までずっとずっと避けて通ったけれど、思い切って通りました。朋は、病院さえも暖かくナム阿弥陀仏と包んでいるのですね。病院の前を通ると、お念仏を忘れている私も、思わずナム阿弥陀仏、ナム阿弥陀仏。大きな声でお念仏が出てくださいました。なかなかお念仏できない私に、お念仏させてくださいました。お念仏に生きなさいよ、と朋の声が聞こえました、じっと見つめて通りました」。

 なんと広い世界であるかと私は思います。いくら教えられても、怒りも、恨みも、沸いてくる。その病院の前を思いきって通った。何がそうさせたか。お念仏でございましょう。「朋は、病院さえも暖かくナム阿弥陀仏と包んでいるのですね」、と言われている。これがわかったんでしょう。これがわかったということはどういうことか。病院を恨んでいる自分というものを、ナムせしめられた。懺愧を仏の智慧として恵まれているのでありましょう。
 ショウニンのお言葉がございます。「二つの白法あり、よく衆生を救く」(「涅槃経」聖典二五七頁、教行信証所引)と。その二つとは、
1つは懺であり、いま1つは愧である。懺愧であってはじめて人間となる。自分の恨めしい、恨んでいる病院もほとけさまは包んでいる、これがわかってきたのでございましょう。だからまた言われる。「病院の前を通ると、お念仏を忘れている私も、思わずナム阿弥陀仏、ナム阿弥陀仏」。
 この方はお子が亡くなられてからもう一心不乱にお念仏を称えておられた方です。住職や子ども達と一生懸命、一生懸命。大きな報恩講が成立するようになっているのでございます。その方が言われる、お念仏を忘れている私゜この方がここで称えられたお念仏は阿弥陀さまのお念仏だったのでありましょう。ショウニンの教えてくださったとおりでございます。我のものにしていたお念仏ではなかった。真実の智慧であり、いのちであるナム阿弥陀仏がこの方の全身を貫いて、この世界に光り輝いて出てきたのでございましょう。なかなかお念仏できない私がお念仏させていただく。

「お念仏に生きなさいよ、と朋の声が聞こえました、じっと見つめて通りました」と言う。このときこのお母さんの全身には、歓喜が脈打っていたと私は思います。喜びが脈打っていたと。ここに仲良くできる真実の智慧が実現されております。ほんとうの幸せをひらく仲良くできる智慧でございます。子どもたちの言葉にも同じ光があります。それをふたつほど紹介してみたい。

 仲良くできる世界が開かれる

もっともっとたくさん紹介してみたい詩がございますけれども、まずさきほどの西藤彩香ちゃんです。小学校五年生のとき、こういう詩をつくっております。

お父さんお母さんの気持ち

私は朋兄ちゃんがなくなってとってもさびしい。
けど、お父さんとお母さんはもっともっと数倍もさびしい。
私には考えきれないほどさびしい。
お父さん、お母さんは元気な顔をしているけど、
心の中は、私に考えきれないほどさびしい。

小学校五年生です、この子。自立して独り立ちしていこうとするそのときに、両親のこころの中をここまで深く感じられることは、この子のこころが、ほとけさまと共に歩んでいるからでございましょう。ほとけさまのおこころこそ、人間の淋しさを、もっとも深く根底から包んでくださるのです。そのおこころに導かれるとき、人生はほんとうに深くなります。これこそが本当のつながりであると。
次はお兄ちゃんの詩です。

いのち

いのちはみんなもっている。
牛も、馬も、鳥も、木も草も、動かない石や岩も、それぞれに充分な役割
をはたしてくれる。
動物、植物だけにいのちがあるんでないんだ。
動くものも、動かないものも、全部が合わさって地球ができている。
まあるい地球、みんなが手をつなぎあって生きているんだ。

すごい生命観です。科学でみれば、いのちは有機物です。有機というと生命を指し、いのちがあると見る。無機はその反対です。今日の科学はいのちのある方を細かく細かく、小さい世界まで分析していきます、分子段階までみていきます。するとなんという言葉が出てくるか。今日では実験室ではもはや生命は問題にならないと言う。何が問題であるのか、核酸の配列順序と、その物理的化学的変化のみが問題であると言う。
 なんと侘びしい生命観であることか。これが対象化され、数という記号に封じこめられたいのちです。いのちがばらばらになっている。いのちを、そのように見ることのできる人間が、すでにしてそのいのちから切り離されています。そのように言える人間の存在全体は、地球によって支えられているのではなかろうか。大地がなければ、人間はどこにも立っておれません。「まあるい地球、みんなが手をつなぎあって生きているんだ」、手をつなぎあって生きている、その手をつなぎ合わせているものは法です。仏法こそが真実のいのちです、それをいい当てている実に大きな生命観です。近代の我々の理性、かっこつきの理性、その分析的知でもって見失ったおおきないのちを、この子はわずか中学一年で言葉にしております。
 親鸞ショウニンは晩年に和讃を詠まれました。

よしあしの
文字をもしらぬひとはみな
まことのこころなりけるを
善悪の字しりがおは
おおそらごとのかたちなり(聖典511頁)

「よしあしの文字をもしらぬひとはみなまことのこころなりけるを」と言われる、このこころとは全宇宙のおこころでございましょう。宇宙をつつむ、こころです。よしあしの文字で切り刻んで、ばらばらにしてしまったものではなくて、あるがままの存在です。「心は知の相なりといえども実相に入らばすなわち無知なり」(「浄土論註」)という教えがありました。「真智は無知なり」(「浄土論註」聖典290頁、教行信証所引)、とも言われていました。「一切群生海の心なり」(「唯信紗文意」壁典五五四頁)です。それこそ「まことのこころ」です。仏と仏とが、ともに念じ合われている世界です。まあるい地球がある、みんなが手をつなぎあって生きている、そこにいのちの世界があります。それを善悪の字知り顔をして、ばらばらに切り刻んでいる。その知恵が一万五千メガトンという爆弾を地球にはりつけました。これを文明と言っている。
 インドの詩人タゴールは、ヨーロッパの文明の言葉、それは本当の進歩と同一ではないと言っております。本当の文明だったら、インドの思想ダルマと同じになるはずだと、どこかで目にしたことがあります。このダルマをヨーロッパの文明は見失いました。
 とはいえ、それでもって私は、私どもがいいと言うわけではございません。向こうの人たちの素晴らしさは本当に学びたい。これはナム阿弥陀仏と合掌させていただいて学ぶことでございましょう。ナムを通すことによって、ナム阿弥陀仏をいただくことによって向こうの人にいただいた知識を、智慧につつんでさしあげる。これがこれからの時代である。私はそう思います。自慢するのではない、向こうの良さをうんとこころから学んで、ナム阿弥陀仏にくるんで、その智慧をお返ししてゆく、さしあげていく時代がこれからだと私は思います。そこに真実のいのちの喜びがあるのでございましょう。
 生意気なことをたくさん申しあげました。まだまだ申し上げたいことはたくさんございますが、親鸞ショウニンの教えは、ひとりの喜びであって、万人の、万物の喜びであります。ナム阿弥陀仏です。ナムせしめられ、いまの世、この世をほとけさまの願いをもって、改めて、立たされて、生かされて前に進んでゆきたいことです。仲良くできる世界がひらかれる。お念仏こそ本当の意味で、仲良くできる智慧です。生意気なことをたくさん申しあげましたが、今日はこれでお別れさせていただこうと思います。みなさま方といっしょに、お念仏をいただけている幸せをつくづく感じつつ、終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 ナム阿弥陀仏